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第四十一話 パイルドセンチメンタル

 可憐の言葉を受けて、はっと思い出す。通電していなかった回路に電流が流れる。


 俺の思いが全く無かったと言えば嘘になる。子供の頃、好きな女の子は誰だと聞かれれば間違いなく、それはさやかだった。


 一番身近な存在であり、クラスもずっと一緒で、いつも一緒に居て、そんな女の子のことを好きにならないはずなど無かった。


 ただ、好き。それだけだった。


 もちろん小学生の女の子に対する恋心なんて、恋心かどうかも定かではない曖昧模糊とした感情。


 それは、友達として幼馴染としての側面と、女の子としての側面とが混ぜ合わさったもの。筆で何色かの絵の具を混ぜたようなもの。


 割合を数値化することなんてできないし、自分でもあの時の感情に名前を付けるなんてことはできないだろう。


 たださやかのことを女として見ていなかったわけではないし、さやかの気持ちにも気づかなかったわけではない。

 

 言い訳じみた考えを言語化するとすれば、砂を噛むような言い方になるが、お互いの関係が壊れるのが怖かったのだと思う。


 お隣さんで一番仲のいい幼馴染。それははたから見れば、深くて頑強で美しいものなのかもしれない。でも逆に言えば俺とさやかの関係はただそれだけでしかなかった。


 ひとつ歳をとるごとに一緒に過ごした時間は長くなる。まるで建築のようなものだ。時間が経てば少しずつ建物は完成していく。しかし作り上げた部分の修正はできない。後戻りはできない。


 でも人間の関係性なんて建築のように設計図など無い。どんな風に作るなんて当事者次第だ。


 そしてそれが進むにつれてお互いの関係の性質も慣性を持つようになって、それを維持しようとする方向へと行ってしまう。変化させるのではなくて変化させまいとする方向へとシフトしていく。倒れないようにバランスを取りながら。


――おれもさやかもチキン野郎だったってわけだ。


 ただそれだけの関係を変えたくなくて二人の間にレースカーテンをかけた。


 どう思っているか、どう感じているかはなんとなく察しているのに、表情は判然としない。


 お互いに何も伝えず、本音も言わず、向き合わず、そのまま今の今までずるずると来てしまったというわけ。


 俺はさやかの気持ちはなんとなくでしか分かっていなくて、それなのにちゃんと理解しようとしなかった。ずっとサボっていたのだ。


 そうしてサボっているうちに俺の気持ちはいつの間にか、女の子として好きっていう感情が風化していって、友達として、幼馴染としてというものだけが残ってしまったのだと思う。


 ただ、さやかは違った。


 時間が経てば経つほどに、大きくなってしまった。可憐や東山が気づくほどにだ。


 そしてそれは、俺の行動が原因で破裂してしまった。俺がさやかの気持ちをちゃんと理解しなかったせいで、爆発させてしまった。


 もっと言うなら、さやかを無視していた。


 それが俺とさやかのすれ違いの原因。


 喉の奥からはぁっと生暖かい息が出てきた。


 ――知らぬ存ぜぬでは済まないな……


 息を吐ききってしまうと、罪というよりは後悔の念が強く押し寄せた。


 同時に先ほど東山が言った言葉が胸に突き刺さる感覚を覚えた。


 俺とさやかはしっかり喧嘩をするべきだったんだ。


 相手の顔を見て、思っていることを全部ぶつけるべきだったんだ。


 そう思えば、爪の痕が残るほどにグッと拳に力が入った。


「真面目な話、か……」


 ふと、先ほどのさやかの顔が思い出される。柔らかい表情なのにどこかこわばった顔。


 思えば、何かに悩んでいるさやかはあまり見たことがない。ずっと俺にはその顔を見せないようにしていたのだと想像できた。


 しかし、何かが引っかかる。


「えっ?」


「……?」


 可憐と東山の二人が俺の呟きに反応する。


「去り際にさやかが言ってたろ? 自分のことをすっごく真面目って」


「ええ」


 俺の言葉に声だけで応答する可憐。


「あの時の顔がなんか引っかかって……。さやかのあの顔、さっきは初めて見る顔だと思ったんだけど、本当はどこかで見たことがあった気がするんだ」


 なぜ、無理に笑おうとしていたのか。


 俺が告白しても二人は訝しむ表情を見せた。そりゃそうだ。


 その顔のまま東山が言葉を漏らした。


「あの時、大橋さんは『ご飯作って、お風呂沸かして待っててあげる』と言っていましたわね……」


 東山の言葉につかえていた引っかかりがぐらつく感覚を覚える。


「『それとも、私?』とも言っていましたわ。いつもの冗談を言うときのような感じでした」


 可憐はしゅんと言葉を小さくする。


 いや、違う。可憐の言葉が加わってさらにぐらつきが大きくなる。今にも何か思い出せそう。


「冗談ではないってことかしら」


「どういう意味ですの?」


 東山の考察に可憐が説明を求める。


「大橋さんは佐渡さんとの『ご飯か、お風呂か、それとも私』の関係を冗談だとは思っていないってことです」


 東山に言われて、可憐は肩を落とした。しかしそれでも向き合おうと、目を鋭くして口を開いた。


「つまり、優様との結婚生活って意味ですの?」


 ――結婚。


「そういうことですわね」


 東山はやっと伝わったと嘆息を漏らした。


「以前に、そのような話を三人でしたことがあります」


 その時は東山の許嫁の話から始まって結婚の話になった。でもその時じゃない。さやかのあの顔を見たのはもっと昔だ。


 喉の寸前まで出かかっている。


 今が何時か分からないが、すでに夕日が見えた。




『とにかく!! 私との約束、守ってね!!』




 頭の中で火花が飛んだ。ばちっと音を立てて、ケーブルが繋がってショートする。

 

 「結婚」という言葉とちょうど今のような夕方の時間帯が古い記憶を呼び覚ました。幼き頃のとある一ページがありありと脳裏に蘇ったのだ。


 小学二年か三年くらいの時だ。何でもないようなとある日の放課後にさやかが突然変わったことを言い出したことがあった。


 確か、好きな人がいるかどうか聞かれてさやかだと答えた後に、私と結婚してくれるかと聞かれたのだ。それで俺は自信満々に「俺がさやかと結婚してやる」と答えた記憶がある。


 その時はさやかから結婚がどんなものか少しだけ聞かされて、それでもあまり分からないまま「約束な!」と頷いてしまった。


 我ながら笑ってしまう。今の今まで忘れていたのだから。


「どうかされました?」


「こんな時に笑うなんて、能天気なこと」


 可憐が俺の表情を見て質問してくる。対して東山は常に冷静だった。


 言葉の意味も分からないままずっと先の未来のことを「約束」だなんて言ってしまった。


 全く約束なんてできないのに。しかもあんな何でもないような日なのに。


 そんな少年時代の一コマがひどく懐かしくて、思わず笑みがこぼれた。


「さやかのあの顔の事、思い出したんだ」


 二人は俺の頭の中は見えないのだから、何かを想起した俺の様子は非常に不可解だっただろう。勝手に思い出して勝手に納得しているのだから。


 あの時の顔と全く一緒だった。なぜか緊張してがちがちにこわばった表情。なのに無茶に笑顔を作った顔。


 あの時の俺は、その顔を見て疑問に思ったのだろうが、一晩寝たら忘れる質だった。


 それこそ能天気だった。


 さやかもそれは分かっているはずだ。小二、三の俺が「結婚」なんて言葉の意味を分かっていなかったことには。おそらくあの時のさやかは俺の反応を見てがっかりしていたに違いない。勇気を出して言ってみたのに全く手ごたえが無かったんだから。


 だが、さやかはその約束を信じている。「真面目に」俺との結婚を考えているのだとしたら……


 言葉の意味を分かっていなかった俺に落胆していることと、「真面目に」結婚の約束を信じていることは別々のことだ。


 もしそうだとしたら、俺は……


 ――ったく、それ以来一度もそんな話題しなかったくせに。


「二人は先に帰っててくれ!!」


 気づいたら走り出していた。


 また東山に、全く後先を考えていないと馬鹿にされそう。


 また可憐を、心配させて困惑させてしまいそう。


「ちょ、ちょっと!」


「優様!」


 だけど俺は考えるより行動しろタイプなのだ。二人もそれは分かっていると信じる。


 さやかの思いを全部は吐き出させてやらないといけない。受け止めてやらないといけない。


 サボっていた分を取り戻そう。


 そう思えば、虎にでもなれそうなほどに足が軽くなった。


本日も読んでくださりありがとうございました。

「おもしろい!」「続きが読みたい!」と思ってくださった方はぜひブクマよろしくお願いします。


その他感想や評価もお待ちしております。


さやか編まだまだ続きます!

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