第四話 退学
「どうしたの、その顔」
さやかが珍しいものでも見るような顔で尋ねてくる。
「いやあ…… 昨日色々あってな……」
「ゆうくんが疲れた顔してるなんて珍しいね」
翌日の朝、家を出ると偶然さやかも同じタイミングで家を出てきたのだ。
腐れ縁独特の謎の同期みたいなものって往々にしてあるよな。
「なんか困ってるなら私に相談してよね」
後ろで手を組みながらさやかは俺の隣をてくてく歩いている。
「困ってるってわけじゃないんだけどな…… なんか凄すぎて」
快晴の青空は俺のどんよりとした顔をあざ笑っているかのように澄んでいる。
花澤邸での食事会で絶品の料理をたらふく食べたのはよかったが、やはりあの高級で金持ちでブルジョアな雰囲気のせいで緊張していたようでその反動がどさっと俺の背中に乗っかっている。
「私に言えないことなの?」
「別に言えないことじゃないんだけどな~」
お嬢様の家に招待されたけど雰囲気に呑まれて疲れてしまったなんて言ってもさやかには分かってもらえないだろう。
それに、可憐の親父さんの気迫に負けて可憐と交際すると宣言してしまったことなんて口が裂けても言えない。
「さやかは学校どうだった?」
俺から話を逸らすために聞いてみた。
「うーん。ま、普通って感じ」
そか。普通が一番だよな。
「なんだよ。良い男とかいなかったのかよ」
さやかはかわいいと美人の中間みたいな顔で子供の時からみんなから愛されていて中学でも告白とか結構されているのに一度も恋人を作ったことが無いのだ。
幼馴染が俺だっていうのがもったいないくらい。
「そんなのいないって」
そう言うとさやかは苦笑しながら歩調を早める。
「そーかよ」
俺もさやかの口調になぜか笑ってしまう。
国道に出て昨日と同じタイミングで別れる。
「じゃあな」
「うん。またね」
さやかとの中身のない会話のおかげか背中のおもりは少し軽くなった気がした。
俺は押していたママチャリに跨りペダルをこぎ始める。
学校について教室に入るまでは何も変なことはなかった。
しかし自分の席に着くと異変に気付くのは容易だった。
俺の机に黒のマジックペンで落書きがされていたのだ。
それも「不純異性交遊」やら「性欲モンスター」やら「猿並みの脳みそ」だの謂れのない罵詈雑言が殴り書きされている。
そして極めつけには、黒板に俺と可憐が車に乗り込む瞬間が撮影された写真が何枚も貼られていた。
可憐はしっかりと俺の腕を掴んでいて、何も知らない人からはそういう関係に見えてしまうかもしれないような写真だ。
「あら、校門の前でこんな下品な行為をしておいてよく学校に来れましたわね」
振り向くと東山が腕組みをして立っていた。
その言い方は俺だけじゃなくクラスのほかの人間にも聞こえるようだった。
「ちげっ、可憐とはそんな関係じゃ――」
「はあ? ここにしっかりと証拠があるじゃないですか」
東山は黒板の方に移動して写真を指さす。
「これは可憐がいきなり掴みかかってきただけで」
俺は東山に抗議する。
「近づかないでいただけますか? 下品がうつります」
東山は自分の肩を抱き怖がるような仕草をして見せる。
実にわざとらしい。
「違うんだ。これは昨日、可憐が――」
「信用を失った者の言うことを聞く者なんてこの世にはいませんわ。そうですわよね。皆さん?」
その声に答えるようにクラスの連中が嘲笑する。
「このような下賤で卑猥な生徒を伝統ある星聖学園に在籍させていくわけにはいきません。あなたとこの女を退学処分とします」
東山の声は口を開くごとに大きくなっていき、教室にはそれを聞きつけた他のクラスの生徒まで集まってきてしまう。
「はあ? お前、何言ってんだよ? たかが生徒にそんなことできるわけねえだろ」
俺がそう言うとまわりの連中は先ほどよりも馬鹿にしたような声で笑う。
「わたくしを誰だと思っているんです? 昨日も説明しましたが、東山グループの社長の一人娘、東山七瀬でありますのよ?!」
「だからって、他の生徒を退学にするなんてできないだろ」
東山は不敵に笑う。
「この学園の運営費は誰が出しているか知っていますか?」
東山は取り巻きのメガネをかけた女に問いかける。
演劇でも演じているかのように大きな身振り手振りを加える。
「はい。星聖学園の施設費、人件費、その他売店や食堂の運営費などの四十パーセントは東山グループが出資しております」
メガネの女もアナウンサーのような正確な口調で東山に答える。
「そう。つまりこの星聖学園の運営の約四割は東山グループが担っているということ」
「それが関係あるのか?」
「まだ、分かりませんの? やはり下半身で行動している低脳な猿には理解できないようですね。そんなあなたにも分かるようにわたくしが懇切丁寧に説明して差し上げますわ」
東山は咳払いをして続ける。
「つまり運営の権限のほとんどが東山グループにあるということ。わたくしが頼みさえすれば一人や二人退学にするなんてことは容易い」
言い終わると女王様の様におおほほと笑い転げる。
「運営の権限とかがお前の家にあるのは分かった。 ……だが、これは無実だ」
そして俺も反論する準備を整える。
しかし、東山の追い打ちによってそれは阻止されてしまう。
「何を言っても無駄ですわ。すでにその方向で話を進めています。立派な証拠もありますしね」
「くそっ……」
「せっかく入試成績一位で入学したのに、入学二日目で退学なんてもったいないですわね」
俺は昔から間違ったことに対しては徹底的にそれを正しい方向に修正して生きてきた。
その行動が絶対的に正しいと思っていたし、今も間違ってるなんて思わない。
昨日、東山から可憐を助けたのも当然のことだ。
しかし金と権力に物を言わせて間違ったことを振りかざしてくる東山のような奴とは今まで出会ってこなかった。
それが間違っていても、今回ばかりは俺の力じゃどうにもできない。
しかもそれが引き金となって可憐の首を絞めることになってしまう。
例え無実だとしても俺の軽率な行動で俺自身に罰が下るのは仕方のないことなのかもしれない。
だが、俺のせいで俺以外の人間に迷惑をかけてしまうのだけは許せなかった。
可憐に迷惑がかかるのだけは絶対に避けたい。
可憐が退学なんてことになったら将来が約束されている可憐の経歴に泥を塗ることになる。
それだけは俺には耐えられない。
「東山。俺が可憐を誘ったんだ。だから可憐は俺に騙されただけ。可憐に罪はない」
俺の声を聴いて東山は笑うのをやめこちらに向き直る。
俺は東山の目を見て続ける。
「可憐の退学は無しにしてくれ。退学になるのは俺だけだ」
「……そうですか。分かりました。ではあなたを今日付けで退学処分とします」
はは。入学二日目で退学か。母さんになんて言い訳すればいいだろう……
俺はすべてを失って教室を去る。
俺の高校生活は二日で終わったのだ。いい夢見させてもらったよ。
自転車を取りに行くために一台しか停められていない旧校舎裏へと向かう。
明日からここは自転車置き場ではなくなる。敷地内で一か所だけ寂れて浮いているその場所。
結局、俺のような貧困家庭の生徒が来るような学校じゃなかったってことだ。
不純物は排除されて当然。
「クソが!」
サドルに跨るとタイヤがパンクしているのが分かった。
俺は諦めてママチャリから降り手押しでとぼとぼと校門へ向かった。
校門には一台のリムジンが到着しているところだった。
俺には関係のない上流家庭の生徒の車登校だろう。
この学校ではそれは普通なのだ。
それから目を逸らして、校門から出ようとするとそのリムジンのドアが開く。
「あら! 優様! ごきげんよう。偶然ですわね」
可憐の笑顔は最高に可愛かったが、今の俺には猛毒にしかならなかった。
今日も読んでいただきありがとうございました。
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