第十八話 やくそくの後
七瀬から聞いた話だとあの子猫には母親がいないようだった。
はぐれたのか、母親が死んでしまったのか、その理由は分からないがあの子猫はひとりぼっちだったそうだ。
彼女は毎日えさをやりにその子猫を訪ねていたようだ。
いつもの高圧的な態度からは考えられないような献身的なその姿を見てしまって、俺の彼女への印象がかなり変わった。
その翌日から俺も何か手伝えることは無いかと考えてみたのだが、七瀬には「誰にも言わないで」と口止めをされただけだった。
しかしそんな光景を見てしまって放っておけるほど薄情者ではなかった。
とりあえず、野良猫に関して情報を集めることにして放課後は七瀬に付き合うことにした。
「可憐って、何か動物を飼ってたりするのか?」
可憐は昨日から毎朝玄関前で俺を待っていて、一緒に登校している。
何か動物に関して知識がないかと思って聞いてみた。
「動物ですか?」
「猫とか、犬とか」
「母方のおじいさまは大きなダルメシアンを飼っていますが私の家では飼っていませんね」
「そうかー」
聞いてはみたものの家の中で飼う動物と野良猫じゃ勝手が違うから俺の質問も見当違いだった。
「今日はさやかは一緒じゃないのか?」
「さやかさんはもう出発したみたいです」
「そっか」
昨日言ったことは冗談のつもりだったけど、さやかはそれからしばらく一緒に登校してくれなくなった。
昼休み、いつも可憐と食事しているのを断って図書館へ向かった。
野良猫について調べるため。
図書館には生徒が無料で使えるパソコンがあって調べものにはいつでも使っていいということになっている。
さすが金持ち学園といったところか。
ブラウザを立ち上げて検索バーに「野良猫 世話」といれて検索をかけてみた。
菓子パンをかじりながら数十分間、野良猫に関することを調べた。
知らなかったことがかなり多い。
まず一番大事なこととして、無責任な給餌は厳禁だということだ。
無責任な給餌をすることで猫の頭数の増え、近隣住民の苦情の原因となり結果として猫自体が住民から嫌われてしまうことにもなりかねないそうだ。
あいつが無責任だと言っているわけではないし彼女が世話しているのは子猫だから頭数が増えるということもないだろう。
しかし、そいうった知識がないまま野良猫に餌をやってはいけないということだ。
そのために餌の管理はしっかりとしなければならない。
その日の放課後、七瀬についていった。
彼女は俺を無視しているけど、今日調べたことを伝えるべきだと思った。
しかし、なかなか言い出すタイミングが見つからず彼女が子猫に餌をやるところを隣で見ているだけという状況だった。
彼女の真剣な眼差しに水を差すのがはばかられたのだ。
そんな中で彼女は鞄から学食の紙パックの牛乳を取り出した。
どうやら彼女はそれを飲ませるらしい。
そこで昼休みに得た知識が役に立った。
「牛乳は腹壊しちゃうパターンもあるらしいぞ」
「え?」
「人間と同じで猫も牛乳で腹壊すことがあるらしい」
「なんでそんなこと知ってるのよ」
「俺が水汲んでくるからその皿ちょっと貸せ」
彼女から餌用のとは別の一回り小さな容器を受け取って公園の水道で水を入れてきた。
「その子、これからどうするんだ? 保護するのか?」
この先ずっとこのままというわけにもいかないだろう。
七瀬も俺も毎日来れる保証はないのだから。
餌をやり始めたのは七瀬だから、この猫の責任は彼女にある。
野良猫に給餌する場合は最後まで責任を持つ、これが最重要事項だと書いてあった。
しかし、七瀬はそれに対して答えることができないようだった。
それから数日間、放課後は七瀬と一緒に総合公園に向かい、その猫に餌をやるということが続いた。
七瀬は真剣な様子だけど感情は読み取れないような表情でその子猫に向き合っていた。
しかし、そうした中で少し気になる点が出てきた。
子猫の食べる量が俺が世話に参加したときより減っていたのだ。
七瀬は近所のスーパーに置いてあるキャットフードはすべて試したみたいでその中で一番食べてくれたものをあげているそうだ。
猫にも食欲の増減くらいするのだろうとその時は俺も七瀬もあまり気にしていなかった。
そんな中、一学期最後の週に入った。
すでに七月中旬で先週から真夏日が続いていた。
「優様、今日の放課後はお暇でしょうか?」
「今日の放課後はちょっと」
子猫の食欲に関することもあるからそっちを優先したかった。
「……そうですか」
あからさまに残念そうにする可憐。
可憐が俺と一緒に登校を始めてから最初の方は手をつないできたのだが最近はそれがなくなった。
「ごめん。また今度な」
「ええ……」
確かに最近は可憐の誘いを断ることが増えてしまったような気がする。
それが申し訳なくなってこの間話していた夏休みの予定の話題をすることにした。
「可憐は夏休みしたいこととかあるのか?」
「え?」
「この前、俺に聞いてきただろ? どこか行きたいところないかって」
「……花火」
「なんだ?」
「花火大会に行きたいです」
「花火大会?」
自分で言うのもなんだが一応恋人同士なのだから、特筆してわざわざ挙げるほどのものでは無く当たり前のようなことを言ってきたので少しびっくりした。
「私、花火大会って行ったことが無くて」
「そうなんだ」
「……ええ」
誰しも花火大会くらい子供の頃に一度や二度行ったことがあるという認識であったが、これも庶民とお金持ちの違いなのだろうか。
「じゃあ、花火大会、一緒に行こう」
「本当ですか?!」
「そんなに行きたいのか?」
「優様と二人きりで!」
「じゃあ、二人で行こう」
「はい! 約束です」
可憐は俺の前に一歩踏み出す。そしてこちらに振り向き小指を差し出してきた。
「ああ。約束する」
俺も小指を出して可憐のと結び、上下に振った。
久々に見たひまわりのような笑顔は罪悪感を消してくれた。
その日の放課後、最近はすっかりと当たり前になってしまった野良猫の世話をするために総合公園に向かう。
七瀬と一緒に行けばよかったのだが、彼女が俺と一緒にいるところを見られたくないらしいので、別々に公園に集合している。
「あなたこんな事をしていて、愛しの彼女の方はいいのかしら」
「子猫を放っておくわけにもいかないだろ」
「わたくしがいるのですからあなたなんて別に必要ないのですけれど」
学校の図書館で調べた野良猫の世話に関する責任について。
そのことを七瀬は理解しているのだろうか。
彼女の言い草にそのことが再び思い出される。
俺からずっとその話ができないでいたが、このタイミングで話すことにした。
「野良猫に餌をやるのには責任が伴うんだよ。七瀬はそれを分かっているのか?」
「責任?」
何か大事なことを言われてしまうと身構えるように彼女のシルエットは一回り小さくなった気がした。
俺は野良猫に給餌することの責任に関して、調べたことを彼女に話した。もちろん、餌をやり始めた彼女自身にその責任があることも。
「だから、七瀬がどうするのか決めないといけない」
「わたくしが……」
猫の方を見てみると七瀬が皿に準備したキャットフードを眺めている。
しばらくそれを観察した後、一口だけ口をつける。
そのあとに水をなめる。
もう一口キャットフードを食べたあとのことだった。
猫が嘔吐したのだ。
「吐いた?!」
最近食欲がなかったことが関係しているのだろうか。
「ちょっと、どうすればいいのよ!」
「お、落ち着けよ!」
二人であたふたしている時だった。
「優様?」
そんな最悪のタイミングで可憐がその公園に現れたのだ。
「なんで東山様と一緒に……」
可憐は嫌なものでも見たような表情で俺を見つめている。
「ち、ちが、可憐!」
可憐はそのまま走り出してしまった。
可憐の目が潤んでいたことにこの時の俺はまだ気づくことができなかった。
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