第1-2話 大阪市都島区東野田町2丁目4番地 牛丼屋 付近(2)
第1話の続きとなります。
カウンターの上で急停止したチンピラ・コボルドが後ずさった。かかとに当たった焼肉タレのボトルが下に落ちる。
「その扇子……お前――あの『ちんちくりんのシバキ姫さん』か!?」
「なんじゃとお!?」
「そこのコボルド~。あきまへんよぉ、本人の前でそないなこと言うたら~」
間違ってはいない。だけど、色々ズレている綾さん。
「わらわの名は『シバキ』ではないわ! 人違いは許すが、なによりちんちくりんとはなんじゃっ!」
それ、「ぶっ叩く」って大阪弁の「シバキ」だと思うんだけど……というか、お怒りポイントは『ちんちくりん』の方なんだ……。
「正義の味方気取りのチビ姫がなんで第5世界線におんねん! こらアカン。めんどくさなる前に」
と、相方らしきサラリーマンへ振り向くチンピラ・コボルド。
「第2世界線ん時に聞いた噂やと触らぬ神に祟りなしやって…………って、あれ? どこ行きよった?」
気がつけば、あの若いサラリーマン風の男が忽然と消えていた。
「さぁ?」
綾さんが律儀に応える。
「そういうたら、いつの間ぁにか、おらんようになってますなあ」
焦ったチンピラ・コボルドは隠し持っていた大きな釘を数本、取り出した。あれを牛丼に入れて言いがかりをつけていたのか。
「クソ! おとなしゅうに強制送還なんてされてたまるか! せっかく来た異世界や! 第5世界線で好きなようにするんじゃ!」
釘先を指の股から出すようにして握りこぶしを作る。チープだが手っ取り早い格闘武器になった。
牛丼屋の丸イスの上にすっくと立った姫様が、思案顔を見せる。
「ふむ。自主帰還ならば、第2世界線にもその姿で戻れたものを…………仕方ないのぉ!!」
声に全く仕方のなさが感じられない。誕生日プレゼントを前にした子供のようなオーラが出ている。
「こんガキャァ!」
犬歯の生えた口を開き、カウンターを蹴って、俺たちに飛びかかるチンピラ・コボルド!
「なにが姫さんや! 第5世界線やったら魔法も使えんチビやろが!」
「綾!」「おまかせください~」
綾さんは俺の手を握ったまま、片手で杖を軽く振った。
「にじゅうえんすろっとー」
その声と共にチンピラ・ゴブリンの足元に直径2メートルほどの二重円環が出現した。うち一つが瞬時に頭上まで上昇し筒状の光のベールを作る。途端にチンピラ・コボルドの動きが遅くなった! ゲスな表情がスローで驚愕に変わっていく。
「……20円スロッ……ト?」
「二重円 Slow itです~。円環の内側の時間軸を~引っぱり伸ばして、そこだけ時間の流れぇを遅ぅにするんですわ~」
よくわからないが凄い魔法だ!
「渉よ、わらわの肩に触れることを許すぞ。急ぎ背からわらわを支えるがよい!」
「はいはい」
こういうノリノリの時の姫様は、言う通りにしてやらないとあとがうるさい。俺は急いで丸イスから飛び降りた。
「おおぉ!?」「あらら」
「あ! ごめん!」
俺が急に動いたせいで、俺の頭を押さえてイスの上に立っていた姫様がバランスを崩し、綾さんの手も離れてしまった。チンピラ・コボルドを包んでいた筒状のベールが消える!
スローの魔法から解き放たれたチンピラ・コボルドがいきなり俺たちの目の前に着地! 姫様食べかけの牛丼がひっくり返って床に落ちた。
「わらわの半熟たまご牛丼があああああ!!」
姫様が悲痛な叫び声をあげるその横をチンピラ・コボルドが跳び抜ける!
「賢なオレ様は、勝てん勝負はせんのじゃ!」
震え声で喚きながら俺たちの背後の自動ドア前に飛び降りた。ゆっくり開くドアにガシガシと蹴りを入れている。
注意が逸れた隙に、逃げるってだけじゃないか……。
「もったいないじゃろぉ! この、あほ者ぉーーッ!」
姫様が巨大ハリセン――じゃない、聖なる扇子を勢いよく頭上に振り上げ、大きく振りかぶる!
バシッ! 「痛ぇッ!」
背後に立つ俺の脳天を、姫様の聖なる扇子が直撃した。
「せんえんつかったーーッ!」
姫様は、気迫めいっぱいのかわいらしい声と共に、白く輝く巨大な扇子を袈裟懸けに振り抜いた! その軌跡に沿って現れた、輝く半弧の光刃が飛ぶ!
逃げ出そうと焦ってドアを蹴るチンピラ・コボルド。その左横に吸い込まれる光の刃――刹那、自動ドアの天井から床へと斜めに筋が入った。一拍の後ズルっとずれる自動ドアと天井。その向こう――路肩で客待ちをしているタクシーの車体も斜めにズレた。車外で窓枠に手を付いてタバコを吸っていた運転手が呆然としている。
「ハズれたのじゃ」
ご不満そうな姫様。改めて背を伸ばすと――
「せーんぇんつかったぁーっっ!」 バシッ!
背後で支える俺の脳天を、再び振りかぶった聖なる扇子が襲う。
光の刃が生まれ、今度はチンピラ・コボルドの右横に吸い込まれると、自動ドアの右半分と天井と床が一緒に斜めにズレた。ついでに歩道の電柱も斜めにズレる。
自動ドアが、見事な切断面を見せながら店外へ倒れた。
「ヒャッハー!」「む」「あらぁ」「あ、頭をベシベシと……」
天井ごとぶった切ってポカリと開いた穴からチンピラ・コボルドが飛び出る。
「むー!」
逃がすまいとやたらめったらに聖なる扇子をぶん回す姫様!
「せーんぇんつかったぁーっっ!」
バシッ! 俺の脳天が叩かれて、マレーシア観光の広告ラッピングがされたタクシーの車体が叩っ斬られ、
「せーんぇんつかったぁーっっ!」
バシッ! 俺の脳天が叩かれて、向かいの京阪モールの壁に穴が開く。
「せーんぇんつかったぁーっっ!」「せーんぇんつかったぁーっっ!」
「……千円使った?」
思わず呟く。
クンっと振り向く姫様。
「聖・終斬刃じゃ、何度も言うが発音に気をつけぃ! それではあほの子みたいじゃろうが!」
そんな仰々しい名前がついた魔法だが、チンピラ・コボルドにはかすりもしていない。店を飛び出た犬人間があたふたと左へ逃げていく。
「ま、まずいぞ! アッチはJR環状線の京橋駅……」
「はよ、追いかけんとぉ~」
「いくぞよ、渉!」
続いて飛び出ていく姫様と綾さん。和装と思えぬ身軽さだ。牛丼屋の前で驚いて急停車した自転車を鮮やかに避けていく。
「す、すみません!」
自転車に乗った学生さんにペコペコ頭を下げながら、俺も慌てて後を追いかけ始めた。
第1話は次で終わりです。