5話 儚い命
目を開けると、体が揺れていた。
いや、硬い床が背中にあって、その床が路面の凹凸を拾っているようだった。
待て……これはいったい、どういう状況なんだ?
確か崩れた高層住宅の部屋に入って、寝室のベッドに横になったはずなんだけど。寝ている間に場所が変わっている。
周りを見回す。
天井は鉄板だった。やけに低く、立ち上がったら頭をぶつけそうな程度の高さしかなかった。
壁に目を向けると、壁が一周、縦に長い鉄の棒で囲まれていた。いわゆる、牢屋仕様の移送車か。鉄格子の向こう側には、走る速さに合わせて瓦礫の街並みが流れていた。
振動が少ないから、これは馬車じゃなく車なのだろう。いや待て、そもそも車って何だ? 名前だけ知っていても、何の役にも立たないぞ俺。
服は……ちゃんと着ている。良かった。
ただ、やっぱりというか、靴は履けていなかった。察するに、寝室で寝ていたところを何者かに攫われたのだろう。
攫われてことにすら気がつかなかったのだから、俺が相当疲れていたか、あるいはこの車の持ち主が、かなりの手練れなのかのどちらかだな。
そもそも、自慢じゃないけど俺の体の能力は人並みだと思う。
力が強いわけでも無いし、足だって特別速くない。魔法が使えるわけでもなさそうだし、あくまでも超人的な能力は無い。
……そうか、この世界には魔法があるのか。相変わらず、いきなり知識が降りてくるから、いちいち戸惑うな。
ここはどうやら、魔法が使える人たちがいる世界のようだ。
まあ、俺には使えないみたいだけど。
車は瓦礫の街を抜けて森の中にある道に入った。
上体を起こすと、やはり天井はかなり低い。膝立ちの状態でも頭が付きそうな高さだ。
そのままぼんやりと流れていく景色を眺めていると、やがて工場のような建物の前に止まった。運転席から下りてきた女が、俺が起きている姿を見てぎょっとして止まった。
「んだよおまえ、気が付いたのか。ちくしょう、油断したな……」
女は異常に警戒した様子でじりじりと、こっちに顔を向けたまま工場の方に後ずさっていく。その間も俺は、ただ顔を向けていただけだった。
いやいいんだけど、俺何もできないよ? 何の力もないし。
ただ、無理に動かない方がいいと思ってじっとしていると、そのまま女は後ろ手に扉を開けて中に駆け込んでいった。
そのままじっと待っていると、工場の窓がゆっくりと開いて筒状のものが顔を覗かせた。
待って、あれってもしかして銃火器か? いやそもそも、銃火器って何のことだろう。中途半端に知識だけ降りてきても、やっぱり何の役にも立たないんだが。
筒先がゆっくりとこっちに向けて照準を合わせてくる。
「いやだから待って、何で俺、撃たれるんだよ?」
『ドンッ』
大きな音とともに、筒先から何かが発射された。
本能的に、遠くに逃げようとするも、あっという間に鉄格子に背中がぶつかった。
全てのものの動きがゆっくりになった。
飛んでくるのは、先が尖ったミサイルか。後ろから青い炎を吹きながら飛んでくるのが分かる。
おそらく、着弾すると爆発するのだろうか。
嫌だな。
こでもう、俺の一生は終わるのか。
色々なことが……ないな、全然なかった。
足の裏に何回も瓦礫が刺さったのは、悪い思い出。穴から脱出して、瓦礫の街を登ったな、全裸で。
服を見つけてやっと全裸から解放されたと思ったら、寝ている間にいつの間にか捕まっていた。
わけが分からない人生だった。
願わくば、来世ではちゃんと靴が履けますように……。
飛んで来たミサイルが、車に着弾する。
視界が一瞬で真っ赤に染まる。
爆発する音なんて、耳にする間もなく、一瞬で意識が飛んだ。
痛みがなかっただけ、まだ良かったのかも知れない。
目を開けると、視界いっぱいに青空が広がっていた。
おかしい。
俺は死んだはずじゃなかったのか?
ミサイルに撃たれて、爆発に飲み込まれた。一瞬で意識が飛んだから、間違いなく体が爆散していたはず。
手を空に向けて伸ばした。
うん、俺の手だ。ただ、着ていたはずの長袖シャツが、何もなくなっている。
そのまま逆の手で体を一通り触ってみると、服が無くなっていて肌が露出していた。どうやら、再び全裸になったようだ。
恥部に手が触れたことで、完全に諦めがついた。いやだ、ばっちい。
脚は……うん、大丈夫そうだ。両方とも感覚があるし、上に持ち上げたら、ちゃんと視界に入ってきた。生足が。
俺は大きなため息をついた。
死ななかったのか、蘇ったのか……。
状況は全く分からないけれど、少なくとも生きているということだけは自覚できた。
ゆっくりと上体を起こす。
自分が爆心地にいることが分かった。抉れた大地の、一番底で横たわっていたようだ。
縁までは三メートルほどか……体の動きを確かめながら立ち上がると、目に入ってきた光景に思わず固まった。
全てが、破壊されていた。
いやそうじゃない、少しだけ違うな。ミサイルで爆発した範囲は、恐らく今俺がいる大きなクレーターだけだ。多少の瓦礫は飛び散ったかも知れないけれど、今いるクレーターが実際に爆発したエリアだと思う。
その爆発範囲の明らかに外側、見た感じかなりの広範囲が、色を失っていた。木々が枯れて、繁っていた葉っぱは全て真っ白になっていた。
立ち上がりながらゆっくりと、首を回す。
工場だと思っていた建物が、崩れて潰れていた。
当然、ミサイルの爆発半径外にある。それなのに、くずれていた。
かなりの奥行きがあったのだろう、遙か彼方に枯れて葉っぱが真っ白になっている木が見えていた。
建物が、何らかの攻撃を受けて崩壊したのか。
それとも、俺に何か関係しているのか。
ゆっくりと、建物だった瓦礫に足を進める。
相変わらず、足の裏が痛かった。よく見ると、砕け散った車の破片がクレーターの縁に散らばっていた。
痛みに顔をしかめつつ、建物の側に辿り着いた。
当然のことだけど、動くものが何もない。
風が枯れた木々をゆっくりと揺らしている。それ以外の音が、全て存在していないかのように、静まり返っていた。
「女は……うわぁ、もしかしてこれか……」
崩れた瓦礫の隙間から、真っ黒に焼け焦げた塊が覗いていた。
横に暴発したのか、花のように広がった筒が転がっていた。間違いない、さっきミサイルを撃ってきた女の遺体だ。
でも、なんで真っ黒焦げなんだろう……?
そのあと、崩れた工場のような建物をしばらく漁ってみたけれど、めぼしい物が何も見当たらなかった。
結局、何故自分が攫われたのか、何の手がかりも得られなかった。
この工場まで道が行き止まりだったので、車で走ってきただろう森の道をとぼとぼと歩き出した。
しばらく歩くと、真っ白だった葉が切り替わるように緑色に戻った。
境目を観察してみると、綺麗に弧を描くように色が変わっていた。気になって両方触ってみたけど、葉っぱの柔らかさは同じだった。
枯れたわけではないようだ。
ただひたすら歩いて、日が沈む頃になってやっと瓦礫の街に戻ってくることができた。
いや、道を進んだら瓦礫の街に辿り着いたと言った方がいいのか……。
ともあれ俺はもう一度、服と靴を探すことにした。
ついでに、今晩のねぐらも。