24話 竜の山
気が付くと、視界は真っ暗だった。
死してなお、蘇った事だけは理解した。ただ、蘇ったとたんに全身に激痛が走る。腐臭が鼻につく。
「…………!!」
灼けた喉で必死に叫ぼうとするも、声にすらならない。
もしかして、ここはドラゴンの胃の中なのか……?
蘇ったばかりだというのに、再び意識が遠のいていく。崩れるように倒れ込んだ。
酸っぱい液体で鼻やのどが灼ける感覚が、そのとき最後に知覚した最後の痛みだった。
それから何度も、何度も何度も蘇っては溶解されるサイクルを繰り返す事になった。
もう途中から、どのくらい時間が経過しているのかわからなくなっていた。この時ほど、蘇りの呪いが恨めしいと思った事はない。
時折ドラゴンが飲み込んだのだろう、大きな何かに潰された状態で蘇ったときもあった。
まさに、生き地獄の様相を呈していた。
それでも徐々に溶けるまでの時間が長くなっていき、あるとき突然、体が溶けなくなった。どうやら、ドラゴンの胃液に耐性ができたようだ。
正直、そんな耐性いらないと思った。
相変わらず周りは暗闇で、据えたような腐ったようなにおいが鼻をつく。
「ちくしょう……」
久しぶりに聞いた自分の声は、すごくかすれていた。
涙が、目から溢れているのがわかる。
アンジェリーナは、あの時頭を打ち抜かれて命を失った。
また、自分のそばにいた人がいなくなった。
今度はずっと一緒にいると約束した、大切な人が亡くなった。胸が締め付けられる。
そういえばアンジェリーナには、蘇りの呪いについては話さずじまいだったな。
来世とか信じていたら、一生会えないってことか。
あのまぶしい笑顔が、レイジの脳裏を過ぎっていった。
ゆっくりと立ち上がって、真っ暗な中を壁際まで歩いて行く。
ブヨブヨの壁を一旦確認して、思いっきり殴った。
もの凄い勢いで壁が凹んでいき、そしてゴムのように戻ってくる。それを見越して、再び戻ってきた壁を殴りつけた。
足下が跳ね上がって、レイジは胃の中を激しく転がった。
遠くの方でドラゴンの叫ぶような声が聞こえた気がした。
心なしか、胃液の量が増えてきているような気がする。
再び殴る。さらに殴り、はね飛ばされる。
何回も、何回も繰り返して殴っているうちにとうとうレイジは増えた胃液とともに、勢いよく流された。
慌てて息を止める。
流れる方向は上。やっと胃の中のものを吐き出す動作に入ったようだ。
周りの壁が狭くなり、流れる速度が上がる。
やがて視界が明るくなって、その眩しさに思わず目を細めた。ここで、目を瞑るわけにはいかない。
おびただしい数の歯が並ぶ口内を通り過ぎて、そのまま硬い地面に投げ出された。
何回も転がって、壁に強く背中を打って止まった。
さすがにしばらく呼吸が出きなくて悶えたる。きっつう……。
無理矢理に肺の中のものを吐き出して、大きく深呼吸した。
ああ……空気だ……。
新鮮な、外の空気。
「……種火」
目の前で胃液を吐き出しているドラゴンに、片手を伸ばす。
胸元の石は、濃い青にまで変わっていた。魔力は十分に補充されている。
そして種火が、ただの生活魔法のはずの種火が、劫火になってその青いドラゴンに襲いかかった。
『グワアアァァ――』
威嚇のつもりだったのだろう、ドラゴンの口内に炎が生まれ、それすらもレイジが放った劫火は包み込む。
直径で五メートルはある放射状の焔は、ドラゴンの頭を一瞬で焼き尽くし粉砕。そのまま首を、胴を、尻尾まで一直線に貫通して空の彼方に消えていった。
残った四本の足がしばらく立っていたけれど、やがてその場に派手な砂煙を立てて倒れた。
圧倒的な火力。
胸元に視線を落とすと、石は水色にまで変わっていた。
相変わらずの燃費の悪さに、レイジは内心頭を抱えた。
ついでに、久しぶりの全裸だった。
そこは岩山の中腹だった。
見上げれば、赤や青、緑などの様々な肌色のドラゴンが空を旋回していた。
周りにもドラゴンがいて、今は遠巻きにレイジの事を警戒しているのか、視線を向けてきても近づいてくる様子はなかった。
ここは竜の山なのか。
「ああ、腹が減った……」
おなかが鳴る。
そういえば、しばらく何も食べていないんだった。
倒れたドラゴンの足に近づき、焼けた面を千切って口に入れた。香ばしい香りが口いっぱいに広がる。ドラゴンの肉は噛むほどに口の中で解れていき、脂が喉を潤す。
まるで壁のような肉。断面だけでレイジの身長の二倍はあった。
食べられるだけ食べて、ふと横を見るとドラゴンが一体、足を咥えて後ずさっていく所だった。
レイジと視線が合うと、その場に固まった。
滝のように汗を流しているような、そんな目をしている。実際には、ドラゴンの体表から汗が流れることはないのだけれど。
しばらく見つめてから視線をそらすと、とたんにもの凄い勢いで後ずさっていって、あっという間に空に羽ばたいて岩山の向こうに消えていった。
「そんなに俺って怖いのか……?」
周りを見ると、岩山の平棚ごとにドラゴンの巣があるようだった。
岩山はなだらかに傾斜しているのでそれなりに歩けるけれど、その平棚をうまく経由して下まで下りていく事にした。
ほとんどのドラゴンは、さっきの規格外の種火が見えていたのだろう。レイジが平棚に下りて巣に近づくと、一目散に飛び去っていった。希に血気盛んに襲ってくるドラゴンは、生活魔法もどきで殲滅した。
時折、ドラゴンの巣に着られそうな服やズボン、靴などがあって、岩山を下りて地面に着く頃には何とか一通りの衣服が揃っていた。
胸の石は、オレンジ色にまで変わっていた。どうも魔法を使いすぎたようだ。
「困った、ここって周りに何もないじゃん。礫地、砂地に一応草は生えているのか……およそ、人間が生きられる環境じゃないような気がする……」
いつもの謎知識が降ってこない事から、たいした情報もないようだった。
そもそもが、今いる場所がいったい何処なのかがわかっていない。周りの様子から、全く別の地域に運ばれた事だけはわかるのだけれど……。
ひとまず現状を確認することにする。
まず周りを見回しても川がないことから、この地域は雨が少ないことが分かった。だだっ広い草原に大きな岩山がぽつんとある状態だ。
岩山を一周、よく観察しながらまわった。そのあと、気になった場所――最初に岩山から降りて、少し歩いた場所に向かった。
それでも雨が降れば水が流れるはずで、必ず一箇所に集まる。あった、この方向は、太陽の位置から推測するに……北側?
見上げた太陽は、何故かさっきよりも左に動いていた。
えっ、何で太陽が西から東に動いてるの?
目印を決めてから岩山を一周したのだけれど、周りを見ながら歩いたこともあって三時間は経過している。
ドラゴンのお腹から出た時は確か真上にあった太陽が、当然三時間も経過すれば半分くらいは動いているわけで、出もさすがにこの太陽の動きは予測していなかった。
「俺って、ずっとドラゴンのお腹の中にいただけなんだよな……異世界にでもおくられたのか? まさかな、ははは」
岩山でには大量のドラゴンが翼を休めている。
今はまだ襲ってこないけれど、いずれまた餌だと思って襲ってくるドラゴンもいるはず。
レイジは、早々にこの竜の山を立ち去ることにした。
水が流れて川になっていた跡を注意深く辿りながら、草と低木がまばらに生えた荒野を歩いて行く。
やがて、川の跡がなくなった。うん、方向を誤ったのかな。
目の前には複雑な渓谷のような地形がしばらく続いている。辺りも薄暗くなってきたから、今日はこの辺で休むことにする。
それにしてもこの辺は、ドラゴンの縄張りのうちなのか魔獣がほとんどいない。いても小型の魔獣で、レイジの姿を確認だけして一目散に逃げていく。
ちょうど川に浸食されて屋根になっているような場所があったので、そこにひとまず腰を下ろした。いや、半分洞窟になっているのか。
何となく人の手が入っているような気がする。人の気配はないけれど。
「まいったな、完全に迷子だよ……そもそも、ここってどこなんだろうな」
答えがないことが分かっても、思わず声に出していた。
この地域は完全に人跡未踏の地のようだった。大地の上には一切道がない。ずっと川の跡を辿ってきたのだけれど、川があればその周りに文明の痕跡が少しなりともあっていいはず。
それが、一切無かった。
「もしかしたらもう一度、あの竜の山まで戻った方がいいのかもしれないな――うわっ」
そう思って岩壁に寄りかかった時に、突然背中が抜けてそのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
目の前に、突然布の傘が現れた。傘は左右に肌色の支柱が立てられていて、天辺は桃色の布で覆われていた。
はい、スカートの中ですね。
支柱二本は足で、ピンク色のパンティが見えていただけです。
「き……きゃあああぁぁぁ――」
レイジは躱す暇もなく、顔を踏みつけられたあげく、思いっきり頭を蹴られた。
そのまま体ごと、礫地に転がされた。
これは、いわゆる脳震盪というやつか。意識が朦朧としてきた。
まあ結果的に、じっくりと女性の三角地帯を覗いてしまったのだから、自業自得というやつか。
意識が遠くなっていく中で、顔を真っ赤にしながら怒り心頭な少女が、腰に手を当てて何か叫んでいることだけは分かった。




