23話 帰郷と、何度目かの死
追っ手をまきながら、北に向かっていた進路を何度か変えているうちに、既に自分たちが今いる場所が分からなくなってきていた。
この世界には車はあっても、自動で現在地を教えてくれるような便利な地図は無い。
昼夜問わず襲ってくるガンドゥン帝国の刺客に、アンジェリーナは限界が近づいてきていた。今は隣で椅子を倒して、静かに寝息を立てている。
「やっぱり俺は、異常体質なのか……」
最初の一晩は寝られたけれど、レイジはそれ以降一度も睡眠を取っていない。
車に燃料の魔石を補充しながら、ただひたすら車を走らせていた。
「うん……」
「まだ休んでていいよ。この先はしばらく森のはずだから、車が走っている限りは襲われることはないとお――」
言いかけて、慌てて強くブレーキを踏む。車が路面を滑り、横向きになっていく。
曲がりカーブの先、道を半分塞ぐように岩が立ちはだかっていて、その手前ギリギリでまるで車を横付けするかのように止まることができた。
冷や汗がどっと溢れてくる。
「わざわざ岩まで落とすのか……」
「ごめん、しっかり寝ちゃってたみたい。
この道が主要道路から外れているからじゃないかな。それにしても、何でわたしたちの位置が分かるんだろ?」
レイジは車から降りて岩の前に立った。続いて降りてきたアンジェリーナが、杖を両手に持って周りの様子を伺いながら、軽く腰を落とした。
「追っ手は……今のところいないかな。レイジ君はどう? なんとかなりそう?」
「今、魔力を外に出しているところ……たぶん、いけるか」
魔力を放出させて、それを体の表面に沿って覆うように意識しながら、魔力を纏っていく。
やがて、うっすらとレイジの体が光り始めた。制御が甘くて漏れる魔力で、周りの森がざわつき始める。
アンジェリーナがつられるように空を見上げると、青いドラゴンが巨大な肢体をくゆらせながら飛んでいくところだった。
そのドラゴンの姿が、伸びてきた枝葉であっという間に見えなくなった。
森が深くなる。そこまで確認して、アンジェリーナは少し警戒緩めた。
レイジを覆っていた光が徐々に薄くなっていき、やがて全身を緑色の鎧に包まれたレイジが見えてきた。
「やっぱりすごいよね、それ。でもさすがに魔力で全身鎧を作る人なんて、レイジ君が初めてだよ」
「魔纏鎧は、練習すれば誰でもできると思うよ……」
岩に手を当ててゆっくりと崖の方に押す。
それほど力を込めることなく、岩は地面を削りながら道の脇まで動いていった。多少地面は削れたけれど、これで車は問題なく通れそうだ。
アンジェリーナの話をヒントに、イメージしてみたらできた。緑色は……なんだろう、なんかの鉱石だと思う。
堅いだけじゃなく、動作を魔力で補助できるので、少しの力だけで岩すらも動かすことができる。
ただ唯一、成形に時間がかかることだけが欠点か。成形中は無防備になるため、アンジェリーナに周りを見張っていてもらわないと入れないけれど。
「いままで突っ込むの我慢してたんだけど、その字で『ままといよろい』って読むの、やめた方がいいんじゃないかな」
「うっ……」
魔力で形成した鎧を、再び魔力に戻して胸の石に吸収させていると、アンジェリーナに痛い所を突っ込まれた。
思わず魔力操作が甘くなって、結構な量の魔力が空中に霧散していった。
森がざわめき、辺りが暗くなる。
「うわあ。追っ手が五人くらい爆ぜたよ。押し寄せる魔力って、液体になる前に爆発しちゃうんだね」
「アンジェ、何の話だ?」
「読み方の話? たぶん『まてんがい』って言った方がいいと思うよ」
「そっちじゃないよ。五人ほど爆ぜたって聞こえたぞ。結局、追っ手がいたのか?」
「いたよ、三人ほど逃げられたみたいだけど、今は離れて行ってるかな。何だろうね、見張られている感じがした」
車に乗り込んで、道に対して真横になっていたため、何回か切り返してから再び走り出した。周りが暗いため、前照灯を点灯させる。
うっそうと茂った森は、一キロほど走った辺りから薄くなっていき、再び青空が見えてきた。
さっきの魔力解放が、結構な範囲まで影響があったようだ。
森の木々や植物が、魔力によって伸びていることがはっきりと理解できた。ちらっと胸元を覗くと、黄色だった石が赤くなっていた。
「あのね。わたし思うんだ。狙っているのってこの爆弾じゃなくて、レイジ君なんじゃないかな」
「……そう、かもしれないな……」
徐々に森が切れていき、やがて草原に出たようだ。遠くの方に壁が見える。どこかの街に辿り着いたのか……。
「確かに狙いは、爆弾じゃないのかもな」
途中から何となくそんな気がしてきていた。
爆弾を奪うだけならば、レイジやアンジェリーナの命を狙うだけで済むし、わざわざ距離をとって追い回す必要はない。
姿を見せても、決して襲ってこなかった。
思えば、さっきみたいに先回りして障害物を用意したり、魔獣をけしかけて遠巻きに戦う様子を観察している節があった。
いずれにしても目的は――俺という実験体か。
いったい、どこで気づかれたのだろう。
ゆっくりと街に入る門に近づいていくと、そこには誰もいなかった。
よく見れば、門が朽ちて外れかかっている。車一台は通れるように開けられていたので、注意しながら門を通った。
「廃墟だよね……ここって、どこの都市なのかな?」
遠くから見ていたときも大きな街だと思っていたけれど、中に入ると想像以上に大きな街だった。
高層ビルが建ち並ぶ大都市だったようで、すべてのビルが折り重なるように倒れている。崩れたがれきの山だけでも、ゆうに十メートル近くはありそうだった。
「アンジェは廃墟になった都市に詳しいんじゃないのか?」
「わたしはガンドゥン帝国を中心にして廃都を探索していたから、あまり離れた所にある廃都は知らないんだ。こんな横倒しのビル群がある都市なんて、初めて見るよ」
道路に沿って車を進めていくと、妙なことに気が付いた。
横倒しにビルが倒れているにもかかわらず、道は走れるようにちゃんとがれきが退かされていた。
明らかに、この廃都は人の手が入っていることがわかる。それも大規模に。
「海岸線に出られれば、自分たちがどこにいるのかある程度わかるんだけど。
太陽の位置から見ると今入ったのが北の門だから、このまま街を南下して行けばどこにいるかわかる……かも?」
「なんで自信なさげなんだよ……」
「海岸線沿いには大きな道があるからね。その道を辿りさえできれば、必ずどこかの国に行けるの。はっきりと場所がわかるわけじゃないんだから、そりゃ自身満々には言えないよ。
ああ、こんなことなら地図の魔道具を買っておくんだったな」
都市部を抜けてやや郊外に出た。
この辺は団地のようで、同じように高層アパートが折り重なって倒れていた。
何だか……既視感を感じる……。
「何あれ、大きな穴が開いているよ?」
レイジはアクセルから足を離していた。
すぐにギア比と走る速度が合わなくなって、車のエンジンが停止した。
呆然と眺めていると、アンジェリーナが車から降りて穴に近づいていった。
「レイジ君来て、すごい大きな穴が開いているよ。下まで五メートルくらいかな、何かいっぱい散らかっているのが見えるよ」
ここは、この場所は。
俺は知っている。ここは、俺が生まれた場所……。
いつの間にか戻ってきていた。
ここに来るまで気が付かなかった。
車を降りて、視界の端に黒い服を着た何者かが見えた。左手には先端に石がついた棒を、右手には銃を持っている。
まずい、刺客か。
アンジェリーナが俺から離れるのを待っていたのか、ちくしょう!
レイジは、必死の思いで駆けだした。
「アンジェっ! 逃げろ、早く!」
「えっ――」
刺客の持つ棒の先端が光って、アンジェリーナが風の魔術で真上に打ち上げられた。
服が破れ、目を見開いたアンジェリーナが穴の上に向かって飛んでいく。
その動きが、突然世界の色が薄くなり、全てがスローモーションになる。
時間の流れが、もの凄くゆっくり流れていく。
「アンジェええぇぇっ!」
手を伸ばそうにも、重い腕は一行に持ち上がってこなかった。
刺客が持つ銃の銃口から、弾丸が撃ち出されたのが見えた。その向かう先は、跳ね上げられて宙を舞うアンジェリーナの方向だ。
こういうときに限って、限界が突破できない。
視界の端に映った、レイジの胸にある石は既に真っ赤になっていた。いや、赤ですらない。もう色を失いかけている。
ただ感覚だけが一丁前に加速していて、アンジェリーナに向かって突き進む凶弾をしっかりと視界に捉えていた。
「ちくしょおおおぉぉ――」
魔法が使えないことが、こんなにもどかしい事だとは思わなかった。
気持ちだけが空回りしていて、前へ前へと進みたがっている。
でも、一歩たりとも舞うに動く事が叶わなかった。
レイジの思いは届かず、凶弾は正確にアンジェリーナの頭を打ち抜いた。
時間と色が戻ってくる。
アンジェリーナは無慈悲にもそのまま、穴の底に落ちていった。
助けられなかった。
俺が目標なら、アンジェリーナは不要なのだろう。やっぱりあの時、別れるべきだった。
後悔だけが、胸を押しつぶす。
刺客に顔を向けると、転がりながら必死に逃げていく所だった。
突然周りが暗くなった。
いや、巨大な何かが上にあって、日差しを遮っている。
上を見上げると、そこに青いドラゴンがいた。
見えたのは、知覚できたのはそこまでだった。
ドラゴンの大きく開けた口がすぐ目の前まで迫っていて、あっという間に咬み千切られた。
記憶はそこで途切れた……。




