16話 ガンドゥン帝国
帝都の高い壁が見えてきたところで、レイジは車の進路を横に変えた。
平らに均された土むき出しの道路から、脇の荒れ地に入って、少し進むと大きな岩がいくつもある場所に出た。
そこで車を停めて、大きく息を吐いた。
日はだいぶ傾いてきていた。
恐らくあと一時間も経てば、夕焼けが辺りを包むだろう。
軽く火を熾し、水を入れた小さな鍋に、干し肉といくつか葉野菜を入れて、塩こしょうで味付けをする。しばらくすると、美味しそうな香りが鍋から立ち上ってきた。
フランスパンに似たパン――フランスって何だろうか――を、スープに付けて口に運ぶ。口いっぱいにスープの味が広がって、咀嚼したパンを一緒に呑み込んだ。
レイジは悩んでいた。
意気込んでガンドゥン帝国の近くまで来たものの、壁が見えたところで胸の内に疑問が浮かんできた。
俺は、ガンドゥン帝国の何を滅ぼしたいんだ……?
ただ国を滅ぼすだけならば、あの壁を越えて、それこそ国のど真ん中にまで行って、あっさりと命を落とせばいい。
そこに辿り着くまでにガンドゥン帝国の暗部に見つかって、再び戦闘になるかも知れない。
もしくは、国の中に入ってしまえば外に出ない限り、追われることがないかも……何てことがあればいいんだけど。現実は甘くないだろう。
つまり、滅ぼすだけならば一瞬で終わる。
「それこそ向こうから来てくれればいいんだけど」
脳裏に浮かぶのはあの日、ガラスの筒の中でまだ幼児だった自分を、じっと見つめてきた女の顔。
たぶんあの女が、女帝スカーレット。
記憶にあるその女の、狂気をはらんだ目が胃をかき回しているような気がして、慌てて片手で口を押さえた。
あの女は異常だ。今考えても、魂からして歪んでいた。
そしてガンドゥン帝国の中心的な人物……なんだよな。分からない。
俺は、あいつらと同じことをしていいのか?
刺客を送ってきたガンドゥン帝国は、違いなく仇として憎い。ただ、だからといって関係の無い人たちまで巻き込んでいいのだろうか。
いや違う、逆だ。奴らは見境が無かった。
シンジュクの街では、関係の無い人たちをたくさん巻き込んできた。だから、気にしなくてもいいはずだ。絶対に帝国を討つ。
でも、だって――思考がグルグルと頭をかき回す。
目の前で、焚き火の炎が揺らめいている。
近くにあった木ぎれを放り込むと、一瞬だけ火が大きく立ち上がった。
やがてパチパチと弾けながら、さっきより少しだけ炎が大きくなる。
その炎が眩しいような気がして、思わず目をつむった。
みんなの命を奪ったのは、俺だ。
間違いなく俺が、命を落としさえしなければ、誰の命も失わずに済んだ。
つまりまま俺がここからいなくなれば、全部が無かったことにならないか?
意味が分からない。
例え俺がどこかに逃亡しても、失った命は二度と帰ってこない。
目を開けて空を見上げると、いつの間にか夜空に星が瞬いていた。
いつの間にか、夜になっていたようだ。
思考の海は思いの外深く、時間が俺を待っていてくれない。
「結局、俺は誰を仇として、何を為したいのだろう……」
知っている顔や、知らない街のみんなの命が失われたことは間違いない。
だけど俺は、命の灯火が消えるのを目の前で見ていない。ただ真っ黒な炭の山が、命があったことを物語っていただけ……。
ふたたび、大きなため息をついた。
そしてやっぱり、思考が振り出しに戻る。グルグルと、同じことを考えているうちに、いつの間にか辺りが真っ暗になっていた。
下を見ると焚き後の火が、消えていた。
そのまま車に乗り込んで、ドアのカギをかけて椅子を倒した。
きっと、疲れていたのだろう。
睡魔が襲ってきて、あっという間に意識が遠くなっていった。
「帝都ガンドゥンへようこそ。都に入場するためには身分証明書を提示していただくか、通行税として銅貨四十枚お支払いいただきます。
また、車両については馬車は非課税、魔石車に関しては一台につき銅貨三十枚をお支払いいただくことになっています。車両組合で車両登録していただければ、次回から無料で通過できますのでご活用ください」
「ああ、はい……」
どこかで聞いた言い回しに、内心複雑な気持ちになった。似たようなやりとりを、シンジュクの街に入る時にしたような気がする。
車の窓越しにシンジュク冒険者ギルドのギルドカードを出すと、門兵は近くにあった機械にかざして何かを確認すると、カードを返してきた。
「身分証明書の確認はできましたが、車両の方は未登録のようですね。こちらで銅貨三十枚の納入をお願いします」
「わかった……」
大人しく銅貨三十枚を支払うと、あっさりと帝都に入ることができた。
大きく息を吐いてから、ゆっくりと車を発車させる。
結局、思考がまとまらず行き当たりばったりで行くことにした。どのみち狙われる命なら、何をやったところで無駄だと思った。命を失いさえすれば、俺ならこの帝都すら簡単に滅ぼすことができる。
だったら、中枢を目指す努力をするだけでいい。
考え事をしていたため、車の速度が出ていなかったのだろう。後続車にクラクションを鳴らされて、慌てて路肩に車を寄せた。
追い越していった車は、少し先の信号に捕まって停止している。
交差点を大量の車が横切って行った。
少し上を見上げると、高層ビルが立ち並んでいた。
帝都の街並みは、崩壊する前のシンジュクの街とほとんど変わらなかった。
ただ違うのは、冒険者じゃない一般の人たちも当たり前のように車に乗っていることか。ただ、ガンドゥン帝国では車の生産をしていると言っていたけれど、走っている車は古い車ばかりだった。
車を発車させて、車の流れに乗る。
交通ルールがあるのか分からないけれど、左側走行と信号の色分けだけはしっかりと守られているようだった。
運転しながら冒険者ギルドを探すと、程なくして見知った建物が見えてきた。車の流れが切れるのを見計らって、駐車場に車を入れた。
「ここは……きっと支部なんだよな」
駐車場で空きスペースを探しながら、駐まっている車の量に目を見張った。
西から帝都に入ったので、恐らくここは西門支部なのだと思う。恐らく百台近くは駐車されているはずだ。どれも古い車ばかりだけれど、商売道具なだけあってみんな綺麗に手入れがされていた。
ちょうど真ん中辺の車が出て行ったので、やっと駐車することができた。
車にカギをかけて、上着のポケットに滑り込ませる。
ここのギルドで登録を更新したら、車のナンバーを取得しておこう。そんなことを考えながら、グッと大きく背伸びをした。
左手には長剣を、背中にリュックサックのもう固定スタイルで歩き出した。
「しかし……大きな建物だな。さすが帝都と言ったところか」
「ちょっと、痛いわね。通行の邪魔よ、どこ見て歩いているのよ」
「っと、ごめん――」「……チッ」
十階はあるだろうか、冒険者ギルド支部の建物を見上げたまま歩いていると、前から歩いてきたのだろう、女性にぶつかってしまった。
慌ててて謝ると、舌打ちされた。
何か俺、そんなに悪いことをしたのか?
女性はそのままさっさと歩み去って行った。
「何なんだろう、真ん中を歩いていたわけじゃないのに……」
ギルド支部の手前で、駐車場から出る車が走ってきたので通り過ぎるのを待っていると、三台目にどこか見覚えのある車が通り過ぎていった。
真っ赤なピックアップトラックで、ナンバーが付いていなかった……待て、あれ俺の車じゃね?
慌てて上着のポケットに手を入れると、入れたはずのカギがなくなっていた。
「マジか、スられたのか。ああ……もう居ないし……」
そのまま駐車場を出た赤い車は、車列に紛れて走り去っていった。
そんな様子を呆然と見送っていたレイジは、何となくホッとしている自分に気が付いて、思わず苦笑いを浮かべた。
普通なら車を盗まれたら怒るはずなのに、とてもそんな気持ちになれない。
そのまま道を渡ると、冒険者ギルドに入っていった。
「こちらはガンドゥン帝国冒険者ギルド東門支部です。本日はどんなご用件でしょうか?」
冒険者ギルドの受付は、朝の混雑時間が過ぎたのか割合閑散としていた。
レイジは開いている受付に向かうと、上着の内ポケットからギルドカードを取り出した。
「シンジュク冒険者ギルド所属なんだけど、ここのギルドでもこのギルドカードは使えるのか?」
「はい使えます。登録の本拠地は変わりませんが、ギルドカードに副拠点として追加登録することで、我が国でも活動していただけるようになります。
ただ、現在シンジュク冒険者ギルドとの通信が断絶しているため、追加登録いただいたとしても、ギルドランクはAランクからになってしまいます。あちらの本端末と通信でき次第、本来のランクに実績が加算される形になる予定です」
ああ……こんな所にまで影響が出ているのか。
「わかった。特に問題ないので手続きを頼む」
「承りました。作業自体はすぐに終わりますので、そのままお待ちください」
レイジがギルドカードを手渡すと、受付嬢はそのまま背後にある端末にギルドカードを乗せた。
側面のボタンを押して、データの書き込みが始まったようだ。
それをじっと眺めていると、ふと背後に人の気配を感じて、人の気配を感じて、何の気なしに振り返った。
そこには、顔に満面に笑みを湛えた美女が、首を傾げて立っていた。
「ねえねえ、あなた。さっき車のカギをスられたコだよね?」
「……はっ? んっ?」
「ほら、あの真っ赤なピックアップトラックだよ。違ったかな……」
「いや、それたぶん、俺だけど――」
これが、俺とアンジェリーナが初めて交わした会話だった。