毒者ってなんだろう。
毒者……作者にとって毒にしかならない読者の事をそう言うらしいです。感想欄での荒しなんかを指すらしいです。
色々なエッセイで対応策が書かれてますね。
しかし、私はふと気になることがありました。
「こんなの書くなよ」「いっそ消せば? 」
みたいな攻撃的なコメントはもう論外です。しかし、例えば、こんなエッセイがあったとします。タイトルはこうです。
「ゴメンで済んだら警察は要らない。間違いは徹底的に直そう」
内容は、男の子が万引きをしたところを見てしまったらどうするか。と言う問いかけから始まり、結論として、警察に通報しよう。と言うものであった。
所々に共感できる考えや、逆にそれはないだろうと思うところもあり感想を書いてみた。内容は割愛しよう。本音を言うなら考えるのも面倒くさい。ただ、良いところ、気になるところ、一言の欄を全て埋めたとだけ。
翌日には返事が返ってきていた。すると奇妙なことにも、気になるところの点の内容を除いた返信だった。私は自分が考え始めると止まらない方だと自覚している。なので、気になるところの欄は十行から15行近く書いた。良いところは二行。
「書き方がよかった。共感できるところもあった」
のみであった。私は良いところを書くのが苦手で、そもそも、良いところって何かよく分からない。変だな。と思えば気になるところで、良いところや気になるところとは少し違うけど、言いたいことがあれば一言。そう使うと、良いところを書けないのだ。しかし、その人の返信は凄かった。私の二行の部分を膨らませ、十行から15行書いているのだ。返信ですらないような気がしたが気にしないことにした。しかし、二行の部分を膨らませるくらいなら、気になるところの反論でもした方が、絶対楽なのに何故、こんなことをするのだろうと思い、その作品の感想欄を覗いてみた。
なんとまあ、不思議なことでしょうか。昨日の朝の感想には返信されていないのに、昨日の夜の感想には返信されている。これだけならまあ、忘れていたのかもと思える。
しかし、その感想の内容を見て気づいてしまった。そう、そのときはまだ、気になるところではなく、悪い点のみを書いた感想をスルーしていたのだ。こう聞くと、感想を書いた人が、攻撃的なコメントをしたように思えるかも知れない。しかし、そのエッセイの穴をつく、良いコメントにしか見えなかった。丁寧な言葉で、長く書かれてはいたが、的を得ていた。
そう、簡潔に纏めるなら、こうなるだろう。「警察に通報しよう。とありますが、それより先にそこの店主に報告すべきではないのでしょうか。」
確かにそうだろう。聞きかじりなのであっているかわからないが、警察は被害届が出ないと動かない。つまり、被害を受けた店主に被害届を出してもらわないと意味がないだろう。実は私も同じ事を書いていたのだ。基本、感想は自分のを書いてから他の人のをみるタイプなのだ。
まあ、私達の知らないところで店主に報告したのかもしれないけど、そうならそうと言えばいいのに。私はそう思う。
私はこの人が、投稿したときの活動報告を思い出した。やけに自信満々で、穴がないと言い張っていたので、穴を見つけてやろうと読んだ作品だった。その事から私はこう結論付けた。
〝自分の過ちを今更認めるわけにはいかなかったのだろう〟と。
ここで、少し話は変わるが、悪い点以外にも一言の反論にも返事をしていなかった。私はこういう人を見ると毎度思う。
「自分と違う意見の奴がいるのがそんなに嫌なら投稿するなよ」
と、反論されるのが嫌なら公開しなければ良い。
ノートに書いて終わりにすれば良いだろう。そうすれば誰にも否定されない。
だって、一つ思い出してほしい。感想を書くのは誰だ? 人間だ。ロボットではない。人間である以上、考えは人それぞれだ。想像してみてほしい。沢山の人間が、「カレーはかれー」しか言わなかったらどうだろう。いや、別にカレーに意味はない。
カレーに意味はないが、もし、ここに激辛と称されるカレーがある。しかし、そんなカレーでも辛くないと思う人は少なからずいるだろう。それと同じで人は生まれつき同じではない。双子でもそうだ。
だから、私は思うんだ。人から自分と違う意見が来たところで、それは無視するほどのものだろうかと。
私はそうは思わない。他の人の意見に触れることは、自分にない意見を知ること。つまり、他の人との話し合いだ。それを無下にする意味はないと思う。
では、最後にこう締め括ろう。
〝皆それぞれ違うし、間違う。だって人間だから。本当に大事なのはそれを認めて、受け入れる事〟
「」の所に。が付いているのは引用だからだと思ってください。