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八華



まだ明けやらぬ頃、生まれたばかりの太陽のもと、シンと冷えきった清らかな空気を胸にすいこみ、男は祝詞をささげ、神に祈る。


神からの声は無く、しかしその存在はすぐ傍に、そして遠くに在る。


朝餉は朝日を浴びて開いたばかりの白い花を集め、食す。

昼には太陽の光を浴びて艶をました葉を食し、夜には茎と根を煎じたものを飲む。


そのたびに己の体が清くなり、わずかなりとも神の身元に近づくのを実感する。


朝の爽やかな空気とともにゆっくりと聖なる花を咀嚼し、飲み下し、神殿の大司祭は神経質そうな気質を表す皺が多くなった顔を満足毛にゆるめた。食べる度にこの白き花が己を白く清めていくのだ。



清らかな白い花は神が遣わした聖なる花。



司祭は祈祷をするのを生業としている。大司祭はその頂点に立つ。この地位を選るためにこの身は神のおわす清い場所より離れてしまっていたが、この白い花は僅かずつこの身の穢れを清めていく。



司祭は、いや、この世界の民は、神を敬い、称え、その慈悲にすがる。

すがらなくては生きていけない。

この世界の神は慈悲深く、そして残酷だ。


時折、人を試すかのように、滅びの使徒を遣わす。


使徒の名は魔王。


魔王は何をするわけではない。ただ闇色の玉座に座す。

魔王の吐息は闇の息吹。

ひと息、吐き出される毎に世界は闇へと傾く。

闇は魔物を活発化させ、大地は渇れる。新たな命は生まれる前に滅することが多くなり、既に在る命は闇に傾き、人心は荒み、官僚は私腹を肥し、国は荒れる。疫病が蔓延り、人は傍にある死に脅えて暮らすこととなる。


魔王が存在するためだけで世界は荒れる。


その魔王の対極に位置する者、それが聖女。

魔王が産まれたその時から緩やかにしかし確実に滅びに向かう世界。


その時より司祭の本当の役割は始まる。


神殿の床に描かれた神聖なる陣に向かい、心より偉大なる神へ祈りを捧げ続けることが出来れば、神は聖女を遣わす。


神から与えられた聖女の能力はその時折によって異なる。世界中を一度で浄化する能力を持つ偉大なる聖女もいれば、動物を使役出来る聖女や共に居る者の能力を向上させる聖女もいた。

神の偉大なる所はその聖女の能力が常に時の魔王に有効な能力だということだ。


司祭は神殿の庭一面に生える白い花を感嘆のため息とともに見つめる。

風にそよぐ花は大輪の薔薇のような華やかさはないが、その白さは目にも眩しく、どこまでも清らかで美しい。



今生の聖女は汚れた身なりの少女だった。

ただ、薄汚れた少女の持つ白い花は穢れを知らず、枯れることなく花を咲かせ続け、その白さを損なうことはなかった。


神は聖なる花とその世話の出来る娘を寄越したのである。

娘の作る薬には聖属性が附与された。聖なる花に触れ続けた効果であろう。

娘の手には癒しの力が宿っていた。


誠に神の作り賜うた花は偉大である。


娘は聖なる花より与えられし力で聖女となり人々を救い、魔王を倒し、その功績を称えられ国民から絶大な支持を受けることとなった。


しかし…尊いのは神が与えたもうた聖なる花であり、その世話役の薄汚れた小娘ではない。


愚かな小娘はそれを解せず王の傍らに座した。

幸い小娘は王政に口を出すこともなかったが遊興にふけり、後宮の奥深くに籠った。

あんな薄汚れた小娘が神の尊い花に相応しい者のはずがない。


あれは尊い花のために遣わされた奴隷。

賤しい婢。


小娘が心身共に穢れを知り、その心根が歪めば、神の花は小娘を見限るだろう。


そして、次に神の花に相応しいのは誰よりも聖なる花を求め、穢れなきよう精進し続けた私であろう。



しかし、聖なる花は私の祈りに答えることはなく、小娘は聖なる花の恩恵を変わらず受け続けた。



ぶちりと白い花をむしる。

太陽の光の温もりを帯びた滑らかな手触りの花をばくりと口に入れる。

苦味と青臭さか舌を痺れさせる。

ぶるりと体が震え、噛み続けるとふわりと体が軽くなる。


ああ、素晴らしい。

世界のなんと美しいこと。

光を浴びた白い花はキラキラと輝き風に花びらが舞い上がる。なんと幻想的な美しさ、この花は世界を幸福へと導く。


『この花は食してはなりません。毒も薬もおなじなのです』


小娘の勘にさわる声が甦る。

フハハと大司祭は笑う。

あれほどまで人々を救ったこの花が毒だと?

神の作りたもうた清く輝く聖なる花が毒だと?



戯けごとだ。



小汚ない小娘は身なりを整えたらば大層美しい娘だった。

しかし、どれだけ美しく着飾ってもその性根は賤しいままだ。


聖なる花の恩恵を受けるものは己のみとせんがために虚言を吐く醜い婢だ。



神の花に相応しくない大罪人だ。



ギシギシと噛みしめた歯がきしむ。

ああ。許せんなぁ。


今頃あの娘は死んでいる頃だろうか。

あの後宮の奥で。

毒など盛りはしない。

刃物など刺しはしない。


そんなことをしたら私が穢れてしまう。


手を使わずに小娘を殺すことなど容易いこと。

大司祭の私が言えばいいだけだ。




『あの娘は真に聖女なのだろうか?』




聖女の罪は…



醜い婢でありながら、神から与えたもう聖なる花を、その力を不相応にも独占したこと。





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