七華
男は花屋の前に並んだ白い花の前に立ち止まった。
この国で一番人気のある白い可憐な花。
その薬効で民を救いこの国の国花となった花。
鉢植えになったその花は、どの家の軒先にも飾られている。
この花は奇跡の象徴。
男はその白い花の横に置かれた黄色い華やかな切り花を買った。
紙に包まれたその花を持って街はずれにある丘に向か立った。
墓地には白い花があふれていた。
墓をつつみこむように。
まるで…間に合わなかった奇跡を今なお望むように。
男はその墓達の中で唯一白い花を植えていない墓石の前に立った。
そして、滑らかで冷たい石に刻まれた名を指で辿った。
そこに刻まれたのは最愛の娘の名。
男は置かれていた枯れかけた白い花をどかし、先ほど買ったばかりの黄色い花を供えた。
男の娘は最初の奇跡に間に合った。疫病にかかることなく、白い花の奇跡を、聖女の慈悲をその身にうけた。
けれど、その数年後、流行り病ではなく、怪我でなくなってしまった。
演習中に起きたまだ年若い部下の起こした制御しそこねた魔法の暴発。
父親の忘れた弁当を届けてくれようとしていた心優しい娘は大怪我を負った。
ここは聖女のお膝元、また聖女が娘を助けてくれる。
当代随一と呼ばれるそこ治癒魔法で娘を…
しかし、その期待は裏切られ、娘は聖女の奇跡の手をにぎることなく息をひきとった。
聖女は魔法を暴発させた貴族の治療をしていたから。
意識もある、娘を傷つけたその当人を。
しかし、男は聖女を恨んでは居なかった。
聖女は娘を見捨てた訳ではなかった。
周りを王の側近に固められ、こちらに真っ先に駆け寄ろうとした聖女はその細い腕を捕まれ、無理やり貴族の前に連れていかれたのだ。
『まって!あの子の方が傷が深いの!はやくしないと、あの子が死んじゃう!!お願い!ねぇっ!』
聖女の悲痛な声はその場の兵士全員の胸をついた。
そんな聖女に一人の男が近づき『駄々をこねないでください聖女殿』と声をかけ聖女の耳元で何かを囁いた。
聖女は顔を青ざめ首をふり、力なく貴族の手を取り治療を始めた。
『そうです、あなたが駄々をこねればこねるほど、あの娘の治療が遅くなりますよ』
悪辣に笑った王の側近の姿と聖女の青い顔。
永遠にも感じた治療の時間、実際はほんの僅かな時間だったのだろうけれど、その間に娘の命の炎は消えてしまった。
そして、まろぶように駆け寄った聖女は娘の手を取り泣いた。
『ごめんなさい、ごめんなさい、貴女を助けられなかった。なんで、なんで…』
聖女は何度も謝りながら娘の傷を消していった。死者の傷は治せないはずなのに。
そう不思議におもっていた男の目の前で、聖女の掌に娘と同じ傷が走り、それが一瞬で消えたのを見た。
その瞬間、耳に拾ったの聖女の苦痛の呻きも。
『もう、もういいのです、聖女様、もう…』
男は聖女の手をとめてそう言うことしかできなかった。それ以外何が言えただろうか。
娘よりも細い腕をもつこの人に。
『一度は貴女に助けられた命です。あの日死に行くはずだった娘と今まで過ごすことが出来たのは他でもない貴女のおかげです。』
男は心の底から聖女に感謝の言葉を告げた。
これから棺に納められ花に囲まれる娘は花嫁のように美しくなるだろう。
記憶に焼き付ける最後の姿は傷だらけの娘よりも美しい娘の方がいい。そうしてくれた聖女を罵倒などするわけがない。
聖女は何かをいいかけたが、王の側近から他の兵の治療をするようにと声をかけられ、よろけながら怪我人の元にあるいていった。
彼女を支える手は無かった。
男は傷ひとつない娘の遺体を抱いて涙をながした。
娘のために、憐れな聖女のために。
ザァッと風が吹いて白い花びらが散った。
綺麗な青空に昇るように。
あの日届かなかった手を伸ばすように。
あのとき
聖女の後ろに立つ兵の手が剣の柄を持ち鈍く光る刃を僅かに見せていた。
その剣は何に向けられていたのだろうか。
聖女を傷つける可能性があった男かそれとも…
男の部下だった貴族は意識を取り戻し、全てを知った後に家を出て市井へおりた。
男の部下ではないが、今も騎士団で働いている。青年は男をみかければ最敬礼をする。この墓に男が供えない白い花を供えているのもあの青年だ。
あの日から男の胸にはぽっかりと穴があいたままだ。
この胸の苦しみを。
この悲しみと怒りを…
けれど同時に思わずにはいられないのだ。
聖女の苦しみより浅いのかもしれないと。
そんなはずはないと、悲しみは他者と比べるものではないと、解っているのに。
そうして燻ったまま悲しみも怒りも、今なお男の胸の中にある。
男は自分が誰よりも不幸だと、悲嘆に暮れることができなかった。
娘と変わらぬ年頃の聖女の、あの後ろ姿が忘れられず。
誰も支えぬ聖女の細い腕が脳裏に焼きついてしまったから。
聖女の罪は…
そのだれよりも哀れな姿を男にみせつけたこと。