三華
女はけだるい体を起こし吐息をこぼす。
愛する人をこの身に受けとめた幸せをかみしめながら。
「もう、いかれるのですか?」
その問いかけに先ほどまで女を抱いていていた、誰よりも貴い男が「仕事が残っているからな」とそっけなく答えた。
つれない男の身支度を手伝う女に男が問いかけた。
「…あいつは…どうしてる?」
僅かな思案を含むその間が女の心を軋ませる。
「奥の間で恙無くお過ごしとお聞きしておりますわ」
女はいつもと同じ慈愛溢れる微笑みはでいつもと同じ答えを答える。
「…そうか、ならばよい。」
男も同じ言葉を繰り返す。
もう何度も変わらないやり取りをつづけている。
男が去ったあと、女は下女に運ばせたきつい酒を煽る。
恙無く過ごしている、はず。
救国の聖女を疎かにする者などいるはずがない。
だから、聖女は恙無く心穏やかに過ごしているのだ。
女は真実の確認はしていない。
女は確認を怠っているだけ。
報告は受けている。
いつもと同じ報告を。
変わらぬ報告は情報としての価値は無いとわかっていながらも。
気づかぬふりをする。
聖女は奥の間で恙無く過ごしている。
そうでなければ女の首は飛ぶというのに。
わかってはいるが嫉妬が女の判断を歪ませる。
もう、何年もその扉が開かれて居ないけれど。
もう、何年も聖女に会って居ないけれど。
おそらく居るのだろう。
後宮の奥の奥。
固く閉ざされたその扉のむこうに聖女がいる。
開かれなければ、その中に聖女が本当にいるのか解らない。
けれど女はその扉を開けない。
どこの出かもわからぬ卑しい身分の婢だ。
何も解らぬふりをして男をたぶらかす悪女だ。
産まれたときより女より高い地位にいるものなど居なかったのに。女に膝を折らせた罪人だ。
誰よりも貴い人の心を曇らせる重罪人だ。
だから女はその扉の向こうがどうなっているか確かめない。
聖女に仕える下女は居ただろうか?
服も食事も届けるものは居ただろうか?
あえて目を瞑る。
扉の向こうで聖女が生きているのかを確かめるものも居ない。
女は手元の杯を満たす酒をくるりと回した。
本当にあの娘が聖女ならば、女はとうに天罰を受けているだろう。
けれど女には何の天罰も下されない。
ならばやはりあの娘は偽物の聖女。
卑しい身分の汚い泥棒猫だ。
女は慈悲深くみえる微笑みを浮かべる。
聖女を騙る小娘になどあの方の心が傾くわけがない。
薄氷の上を歩くような不安感が胸を燻るのを誤魔化すように、女は杯を煽った。
聖女の罪は聖女を騙ったこと。