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如月エイリアン  その1

今回の話では、久遠が動きます。

 研究室の床に乾いた靴の音が一つ響く。

 この時間は実験も警備員の巡回もない。

 男は足を止めて、水族館にも使われている強化ガラス張りになっている壁に寄る。

 そっとガラスに手を当てて、数十メートル下にいる観察対象を見下ろす。

「あと少しで君を解放できる」

 優しく慈しむような、それでいて憐れむような複雑な表情で男はガラスを撫でる。

 観察対象はそんな男を何の感情の浮かばない目でじっと見上げていた。

 一体いつまでそうしていただろう。

 男は後ろ髪を引かれるようにガラスから離れ、白衣を翻してその場を去る。

 観察対象は男が完全に見えなくなると興味を失ったように瞳を閉じて、体を丸めて死んだように眠り始めた。



───同時刻、研究所から数千キロメートル離れたニューヨーク──


 仕事をさぼって日本へ帰国したこととクリスマスイブに襲撃されたことで、四方山久遠(よもやまくおん)は本社に寝泊まりし、ここ二カ月ほどろくな休日もないまま働きづめであった。

 元々、久遠が仕事に使う社長室の隣には生活スペースがあるとはいえ、根っからのアウトドア派の久遠にとって外に出られないということは拷問に等しかった。

 二葉荘では子供のように輝いていた目は暗く淀み、げっそりと頬のこけている様は見ていて、自業自得とはいえ憐れみを感じさせる物だった。

 爽やかなはずの朝日も今の久遠には毒でしかない。

 社長室には入口側に二人掛けの二対の皮張りソファがローテーブルを挟むように配置され、左右の壁際にはリアンとクロエ用に備えなられた事務的な机と椅子がある。

 久遠は窓を背にし、嫌味にならない程度の豪華さを持ちながら機能の充実した巨大な机と、沈むほど座り心地のいい椅子に座り、書類業務をしている。

 山積みになった書類に目を通し、問題がない物はサインを書いて目を通していない書類とは反対の机に。

 問題がある物は目を通していない書類の隣に積み上げていく。

 やってもやっても終わりの見えない書類業務も久遠の心労を後押ししていた。

 だが、これでも提出された書類の数千分の一であり、他の書類はリアンとクロエ、事務員が対処していた。

 疲労困憊の久遠の様子に気づきながらもリアンはスケジュールと各会社の業績、変更時点等を読み上げていく。

「今朝、宇宙生物研究所から定期レポートが届けられています。内容を確認しましたが、去年の暮れに宇宙人の幼体を捕まえたらしいです。いつものことながら信憑性が低く、早急な対応も必要ではないようでした。後ほど内容の確認をお願いしたします。あと本日から新しいSPが来ます」

「宇宙人の幼体を捕まえた?」

 久遠は積み上げられた書類の中からリアンが報告したレポートを取り出し、目を通す。

 読み進められるほどに、眉が中央に寄っていった。

「読めば読むほどなんかまずい匂いがする。これが本当だったら親が怒って取り戻しに来る可能性があるな。だからといって元いた場所に放り出すわけにはいかないし」

 少し悩むように顎に手を当てて、久遠は考えた。

 レポートには非人道的な、いや非倫理的な実験も行われていることも書かれており、もし親が生存していた場合、最悪宇宙戦争の危険性があった。

 宇宙戦争とまでいわれなくとも、相手の力次第では研究所の破壊が可能かもしれない。

 さらに、この件が明るみに出れば会社は世界中から非難を受ける可能性がある。

 すぐに答えが出たようで、顎から手を離し、リアンに鋭い声で指示を飛ばした。

 人類の未来のために宇宙人を知ることは重要であるが、これまでのレポートを読んだ限りではすでに十分な情報は得られた。

 だかそれら全ては建前だ。 

 本音は“もう遅いかも知れないが、子供がいる親としては親の元へ帰したい”だった。

 久遠は基本的に理屈ではなく感情で動く男である。

「“リアン秘書長”。ただちにこの幼体に対して行っている実験を中止だ。身の安全を保障し、日本の最低限の生活環境以上に整えさせろ。出来る限りの健康管理も行い、迎えに来るものがいれば身元を確認し、親と確認でき次第、帰すように」

 普段の久遠は風のような適当な人間であるが、社長としては合理的かつ将来性を見据え、適正な判断を迅速に出す。

 その姿は先ほどまでの雰囲気は一切なく、超巨大企業『ビームカンパニー』の社長に相応しい威厳に満ちていた。 

「かしこまりました。すぐに手配いたします」

 久遠がリアンを“リアン秘書長”と呼ぶときは社長命令を下す時である。

 リアンは恭しく頭を下げると、レポートを久遠から受け取った。

「それで新しいSPって誰だ?美人?それともイケメンか?できればマッチョで気さくなおっさんを希望する!」

 威厳に溢れた雰囲気を霧散させ、久遠は再び書類に向き直った。

 少しだけ楽しげなのは、久遠が人好きだからだろう。

「それは」

「美人でもイケメンでもマッチョで気さくなおっさんでもなくて悪かったな」

 リアンの声を遮るように社長室の扉が開かれた。

現れたのはスーツ姿で、髪をオールバックにし、地味な黒縁眼鏡をかけた『デットライン一家』の三男ハズヒート。

 髪は染めたのか赤髪ではなく、暗い茶色だ。

 彼は心底不機嫌そうな顔をして、久遠を見定めるように視線を送っている。

「よう、デットライン=ハズヒート。まさかお前が来るとは思っていなかったぜ。まあ、座れよ。リアン、お茶を出してやってくれ」

 久遠は当然のようにハズヒートに椅子とお茶を勧めた。

 意図のわからない誘いにハズヒートは目を細める。

 クリスマスイブに久遠と彼のアパートの住人達を巻きこんだ襲撃を行ったのは、敵対する医療会社と『デットライン一家』だった。

 敵対する医療会社はすでに潰しているが、久遠は『デットライン一家』の長兄ととある契約をし、潰さずそのままにしている。

 契約の一つが『一年間、デットライン一家の誰かをSPとして久遠に貸し出すこと』だった。

 貸し出すといっても給与と人権の保障はされており、一見好条件のように見えるが、実際は『四方山久遠はデットライン一家を従えている』という噂を事実にするだけである。 

 すでに広まったこの噂で久遠は手を出してはいけない人物として名高くなり、逆にデットライン一家は見くびられるようになっていた。

 殺すよりも生かすほうが有益だという例の一つだろう。

「客じゃないんです。必要ありません。お茶をするという名目で社長がさぼりたいだけではないですか?」

 すでに事前に話を聞いていたリアンは久遠の態度に驚くことなく、ぴしゃりといい放った。

 間接的にとはいえ、久遠の命を狙った人物を、仕事とはいえ簡単に許せない気持ちも込められているのだろう。

「ま、まあ、固いこというなって。これから一緒に仕事をするんだ。親睦を深めるためにお茶をするくらい許してくれよ。クロエもお茶を飲むだろう?」

 久遠はリアンの冷たい視線にたじろくも、それでくじけるような魂胆をしていない。

 壁際の机で同じように書類業務をしていたクロエに同意えんごを求めた。

「兄様が許してくださるならご一緒したいです」

 クロエはちらりとリアンに視線を送った。

 その瞳には『お腹が空いた』と映っている。

 能力が高いからか、それとも育ち盛りだからか、燃費の悪いクロエはすぐにカロリーを消費する。

 リアンは上司である久遠と妹の仕事へのやる気が薄れた態度に一度休憩を挟んだ方がいいか、と考え直した。

「仕方ありませんね。ちょうどいい時間ですし、休憩にしましょう。ただし三十分だけです。それ以上は許可できませんから」

 リアンはそういって、飲み物と茶菓子を取りに隣の生活スペースへ行った。

 なんだかんだいいつつもリアンは久遠とクロエには弱かった。

「よっしゃあぁああああ!駄目元でいってみるもんだな、クロエ!ありがとう、ハズヒート!お前は何が好きだ?たいていの物はそろってるぜ!」

 リアンの姿が見えなくなった瞬間に久遠は椅子からソファに移動した。

 大きく伸びをして、肩のコリをほぐしている。

「あんたらはいつもこんな感じなのか?」

 それまで三人のやり取りを見ていたハズヒートは呆れたように顔を歪めた。

「いやいつもはもっとリアンが俺に仕事を押しつけてくるぜ。そろそろ休暇が欲しいんだけど許可してくんないんだよなー」

「だからって脱走しないでください。兄様が死んじゃいます」

 クロエは久遠の隣に座り、兄とよく似た冷たい目で釘を刺した。

「クロエもだんだんリアンに似てきたなー。昔は『しゃちょー、しゃちょー』って可愛かったのに」

 久遠は幼い頃のクロエを思い出し、遠い目をした。

「社長がたくさん頑張っているのは知ってます。けど兄様はもっと頑張ってます。だからクロエは二人に負けないようにもっともっと頑張ります。社長は兄様とクロエの恩人だからお仕事の手伝いがずっとしたいです」

 クロエは十七歳とは思えないほど決意の溢れた目で久遠を見上げた。 

「クロエは本当に健気で可愛いな。俺もクロエみたいな妹が欲しかったわ。ハズヒートもそう思わないか?」

 久遠は嬉しそうに笑って、クロエの頭を撫でた。

 クロエは気持ちいいようでされるがままだ。

 ハズヒートは溜め息を一つ吐くと、久遠の前のソファにどっかりと腰を下し、手と足を組んだ。

 これから護衛対象になる存在への態度ではないが、久遠がハズヒートを責めることはなかった。

 クロエはハズヒートを観察するように見つめた。

「俺はもう妹はいらない。そもそもあんたらのせいでフィージンはしばらく使い物にならない」

 ハズヒートは妹のことを思い出し、眉をしかめた。

「使い物にならないってどういう意味だ?ヴェルからだいたいの傷を治したって聞いたぜ?」

「新とかいう吸血鬼から殺されかけたことが相当なトラウマになってる。今じゃ一人で家から出ることも出来ない。他の家族も似たような状況だ。何より俺が一番困ってんのは兄貴があんたの心酔してることだ!あんた兄貴に何したんだよ!」

 ハズヒートは怒りを瞳にたぎらせて久遠を睨みつけた。

 これまでの敵意に満ちた態度はそのためか、と久遠は理解する。

 だが、久遠はハズヒートが納得できるような答えを持ち合わせていなかった。

「いや……特にこれといったことはしてねえよ。うん。特には何にも?」

 久遠からしてみれば、フレームスが勝手に彼に心酔しているだけだ。

 恐怖で縛ったわけでも、魔法で操ったわけでもない。

「嘘つけぇ!目がざっばざっば泳いでいるぞ!」

 ハズヒートは机に身を乗り出し、久遠の襟を掴んだ。

 すると空気を切る音が走った。

「我らの社長に触らないでください」

 冷たい声と拳銃がハズヒートの首と心臓に添えられた。

 声の主はリアンとクロエだった。

 ハズヒートの後ろからリアン、前からクロエが、それぞれに手にした拳銃をハズヒートに突きつけていた。

「……こいつらがいるならSPなんていらねえだろ」

 ぽつりとハズヒートは呟き、久遠から手を離し、ゆっくりとソファに腰を下した。

 ハズヒートの動きに合わせて、リアンとクロエも拳銃を懐にしまった。

「いやー、この通りリアンとクロエは何かと優秀だろ?だからいつも俺の側にいるわけにもいかないんだよ」

 久遠は誇らしげに笑った。

 リアンは何事もなかったかのように机の上にコーヒーとクッキーを並べ、クロエがそれを頬張っていく。

「なるほど。この二人が一緒だと脱走できねえよな」

 ハズヒートの皮肉に久遠は視線を逸らして無言で答えた。

「それでも脱走するのが社長です」

「迎えに行くの大変です」

 リアンとクロエは声を揃えて、ハズヒートの言葉を否定した。

「……あんた何者なんだよ」

 ハズヒートは呆れとも称賛ともつかない表情を浮かべた。

「俺も伊達に長生きしてないぜ」

 年甲斐もなくウィンクする久遠にハズヒートは苛立った。

「いい年したおっさんが気持ち悪っ」

 ハズヒートの言葉に久遠が精神的に大ダメージを受けたのはいうまでもない。 


 


 お茶会はリアンのいう通り三十分で終わり、仕事に戻った。

 とはいえSPであるハズヒートは何もすることがなく、久遠の隣で突っ立っていた。  

「あー。ちょっとトイレに行ってくる」

「逃げないでくださいよ」

「わーってるよ。ったく。信用ねえな」

「いくつの前科があると思っているのですか?」

「さ、さあ?二、三回くらいかな?」

「千二百五」

「あー!悪い!漏れそうだから後で聞くわ!」 

 久遠は足早に部屋を出ていった。

「ハズ、早く社長を追ってください」

「はあ?ハズって俺のことか?それになんで追わなくちゃならない?」

「トイレ、といって逃げ出すのはあの人の常套手段(じょうとうしゅだん)です。扉の前に立って様子がおかしかったら突撃して取り押さえてください。すぐ向かいます」

「社長のクセに何してんだよ」

「ええ。本当ですね。では頼みましたよ」

 トイレの前に行くと何かを叩くような不審な物音がした。

 今までにリアンとクロエが側にいても千回以上の脱走を繰り返す男だ。

 これまでハズヒートの標的のように面倒な罠を仕掛けているかも知れない。

 ハズヒートはスーツの懐から姉から(無断で)借りたガスマスクを取り出し、着用した。

 今回は相手を傷つけることは許されない。

 小さく舌打ちした後にハズヒートは徒手空拳のまま突撃した。

 それに気づいた久遠は反射的に懐から小さなスプレーを取り出し、躊躇いなくハズヒートの顔に吹きかけた。

 中身はおそらく催涙ガスか、睡眠ガスだろう。

 だが、ガスマスクをつけたハズヒートにはなんの効果はない。 

 スプレーを握る久遠の腕を背中につけるように捻り上げ、体ごと壁に叩きつけた。

 少しだけ強めに叩きつけたのは私念だ。

「……マジで逃げようとしてやがった」

 ハズヒートは思わずといった風に呟くと、同時に思った。

 この会社は大丈夫か?

「ガスマスクなんて持ち歩いていたのか!?くっそ!スタンガンにしとけばよかったぜ。頼む、ハズヒート!見逃してくれたら契約期間を十ヶ月にするから!」

「半年だ」 

「九ヶ月!」

「半年だ」

「わかった。半年にする!」

「交渉成立だ」

 ハズヒートは久遠から手を離すと、悪い笑みを浮かべた。

「それでどういうプランで外に出るつもりだ?」

「排気管から出る」

「悪くない。もちろん構造はわかってんだろ?」

「ああ。俺の勘なら大体外に出られる」

「あんたバカか?やっぱり交渉はなしだ」

「待って、待ってくれ!ここの排気管は何度も通ったことがあるから大丈夫だ」

久遠は隠し持っていたドライバーで排気口の蓋を外し、中へと潜りこんだ。

「本当か?」

ハズヒートは久遠を信じてはいなかったがとりあえず後を追うことにした。

久遠の脱走が失敗し見つかってもハズヒートは何も困らない。

はたして久遠はリアンとクロエの監視から逃げ出した。

 この間、一分にも満たなかった。

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