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【第四話 邂逅―encounter―】

挿絵(By みてみん)



 アメリカ合衆国の東部、大西洋と面するバージニア州。

 首都のワシントンDCと隣接しており、五角形の庁舎が有名な国防総省や、CIAこと中央情報局の本庁など、政府機関の施設が多い事でも有名な州である。

 だからといって、そこに住む人々が特別な暮らしをしている訳でもない。

 学校や会社に行き、勉強や仕事を終えて家に戻り、食事を取りテレビを見てベッドで眠る。

 そんな普通の生活を送る、大勢の人々によって街が成り立っている事は、どこであろうと変わらない。

 そして、普通の人々を脅かす者と、それを狩る者達の攻防が繰り広げられるのも、どこであろうと同じであった。

「――来たか、これで目標は揃ったな」

 真夜中の住宅街に停まった、引越業者の小型トラック。

 その中に居た八人の男達は、運転席のカメラに写った映像を見て立ち上がった。

 全員が黒い夜間迷彩服を着て、手には短機関銃、頭には暗視装置を装備している。

 一目で特殊部隊だと分かる彼らは、このバージニア州に本部のある国防総省やCIAとは関係ない。

 だが、それ以上に秘密とされている組織の、優秀で残忍な猟犬だった。

「行くぞ」

 隊長の声に応じ、全員が一斉にトラックの後部扉から飛び出し、目標の居る一軒家を取り囲む。

「GOッ!」

 合図と同時に仕掛けが作動、一軒家の明かりが落ち、それに続いて猟犬達は突撃した。

 玄関を、裏口を、窓を突き破り、あらゆる逃げ道を封じながら各部屋を制圧していく。

「な、なんだっ!」

 リビングに居た男は、明かりが消えて立ち上がった時には、後頭部を殴られ昏倒していた。

 運悪くトイレに入っていた男は、下半身丸出しのまま引きずり出され、銃口を突き付けられた。

 一人だけ書庫に立て籠もった男がおり、そいつは銃弾を逸らす護符で身を守り、抵抗する構えを見せた。

 だが、(ブラック)(・アーテ)(ィスト)を狩る事に長けた猟犬達から、その程度で逃れられるはずがない。

 彼らは銃弾で扉に穴を空けると、用意していた催涙ガスを流し込む。

 いくら鉛玉は避けられても、空気までは避けていられない。窒息してしまうから当然だ。

 本の日焼けを避けるために窓のない、書庫に逃げたのも悪かった。

 ガス対策までは用意していなかった男は、悶え苦しみ部屋から出て来たところを、呆気なく取り押さえられたのだった。

「よし、引き上げるぞ」

 五分とかからず三人の魔術師を捕らえた猟犬達は、素早く撤退の準備を始める。

 だがその時、一人が声を上げた。

「待て、地下がある」

「何?」

 隊長が向かうと、声の主は二階へと続く階段の後ろを指差す

 そこは床板が外され、マンホール大の穴が姿を見せていた。

「分かった、俺とデルタ4で調べる。他は目標から目を離すな」

 作戦目標である魔術師三人の確保は終わっており、他に仲間が出入りしていた形跡もないが、隊長は念には念を入れ、発見した部下――デルタ4を連れて縦穴に身を投じた。

「地下室か、こんな物を隠していたとは」

 ハシゴを伝い下りた先は、コンクリートが剥き出しの広い部屋で、二人は驚き声を漏らす。

 暗視装置を外し、短機関銃の先に付けたライトで照らすと、様々な物が詰め込まれた木箱と、奥へと続く扉が目に入る。

「普通の鍵はかかってなさそうだが……」

 魔術的なトラップはあるかもしれず、デルタ4は警戒しつつドアノブを掴むが、何事もなく扉は開く。

 その先は随分と散らかっており、床には消えかかった魔法陣や、溶けたロウソクが転がっていた。

「ここを儀式場にしていたのか」

「隊長、まだ奥がある」

 さらなる扉を発見したデルタ4だが、こちらは厳重に三つも錠が付けられていた。

 ただ、その鍵は探すまでもなく、壁に掛けられている。

「慎重なのか不用心なのか……」

 デルタ4は呆れつつ、まずは扉に耳を当てて中を窺うが、危険な猛獣が徘徊しているような物音は聞こえない。

 それを確認してから、彼は鍵を外して扉を開けた。

 重い鉄扉の先に広がっていたのは、やはりコンクリートが剥き出しの部屋。

 ただ、そこは換気扇が回り、白い便器が置かれ、そして壁際のベッドには、手術服のような物を着た少女が腰掛けていた。

「子供?」

 驚くデルタ4にライトを浴びせられ、少女は目を細めながらも、一言も喋らず彼の方を向く。

 右は青、左は緑という色違いの瞳。

 それに見詰められた瞬間、平然と人を殺せる猟犬の心臓が、ドクンッと大きく脈を打った。

(な、なんだこれはっ!?)

 少女は人形のように綺麗な顔立ちをしていたが、デルタ4には子供を性的対象として見る趣味はない。

 そもそも、彼を襲った感情は、恋とか愛なんて生易しいモノではなかった。

 跪き、支配され、利用され、命さえも捧げてしまいたい。

 己の破滅さえ幸福と感じる、過剰で異常な献身。

(やばいっ!)

 本能的な恐怖が、魔性の魅力を一瞬だけ上回り、デルタ4は少女に銃口を向ける。

 銃を向けられた少女は、それが何を意味するのか分からぬ様子で、小首を傾げる。

 ただ、少女の中に居るモノは、向けられた敵意を敏感に受け止めた。

 糸で吊られたように、少女の左腕がデルタ4に向けて跳ね上がる。

「――っ!」

 猟犬が引き金を引いたのと、少女の左腕から青い光が迸ったのは同時だった。

 放たれた数十発の鉛玉を、翼のように広がったい青い光は、容易く受け止め喰らいながら、デルタ4の眼前に迫る。

 ――死んだ。

 彼がそう諦めたのも無理はない、圧倒的な力の放流。

 だが、青い光は彼の手にあった短機関銃を喰らうと、それで用は済んだとばかりに、少女の左腕へと戻っていった。

「今のは、何だ……!?」

 背後で見ていた隊長の言葉に、尻餅を付いたデルタ4が答えられるはずもない。

 そんな彼らの前で、光に呑み込まれた短機関銃とその銃弾は、粘土のように形を変え、小さな皮翼となって少女の左腕で羽ばたいていた。

 これがデルタ4、本名ジョン・ルーザーと、後にイリムと呼ばれる、悪魔を宿した少女との出会いであった。


             ◇


 バージニア州の州都・リッチモンド市の端に、軍事施設として金網で囲まれた建物がある。

 そこに正規の軍人はおらず、(ブラック)(・ドッグ)と呼ばれる戦闘員と、それを使う魔術師達が居る事はあまり知られていない。

 決まった名称は無く、たんに『本部』と呼ばれるそこの一室に、三人の男が集まっていた。

 一人は黒犬の一班、チーム・デルタの隊長、アレクサンドル・コールセン。通称・アレク隊長。

 もう一人は彼の部下、ジョン・ルーザー。通称・ジェイ。

 そして最後の一人、どう見ても十代の子供にしか見えないが、実際は何十年生きているのかも不明な魔術師、ジル・アドキンス。

「あははっ、僕らのお膝元にあんな奴らが居たとは驚きだねぇ」

 本当に驚いているのか疑わしい、ふざけたジルの笑い声に、アレクもジェイも一々目くじらを立てたりはしない。

 彼らの上司であり雇い主でもあるこの男が、人の形をしたジョークの固まりである事など、今更な話だったらだ。

「職務怠慢だな、諜報部の奴らは何をしていたんだ?」

 戦闘を行う実行部隊のジェイが、情報収集の担当者に対する愚痴を漏らすと、隊長のアレクが部下を窘める。

「仕方なかろう、奴らは魔術師としては二流だったが、詐欺師としては一流だった」

 昨日襲撃して捕らえた三人の男達。

 彼らは魔術を悪用し、企業や銀行に融資詐欺や信用詐欺を仕掛け、金を騙し取っていた犯罪集団だった。

 ただ、そのやり口は巧妙を極め、魔術もほんの僅か、相手の信用を得る程度にしか使われず、普通の詐欺事件だと思われていたため、黒犬の出動が遅れ、長期間の活動を許してしまったのだ。

「惜しいよね、普通の詐欺師を貫いていれば、歴史に名を残せたかもしれないのに」

「警察のお偉いさんが聞いたら、眉間に穴を空けられそうだな」

 魔術師でなければ知った事ではないと、不謹慎な発言をするジルに、ジェイの呆れた声が飛ぶ。

 それを受け、少年の顔をした魔術師は、ニヤリとチャシャ猫のように笑う。

「まぁ、詐欺を働いた目的が、アレを作るための資金集めだったんだから、卵が先か鶏が先かって話だよねぇ」

 アレ――詐欺師達のアジトに監禁されていた、色違いの目を持つ少女。

 敵意を向けず話しかけたら、素直に言う事を聞いたため、今は本部で保護されている子供。

 ここに集められた本題にようやく入り、ジェイとアレクの顔も固くなる。

「ジル、あれは何だ?」

「可愛い可愛い女の子だよ?」

「茶化すな! あいつは、あの力は……」

 眼前に迫った青い光を、銃弾さえ喰らった皮翼を思い出し、震えを隠せなかったジェイに、同じ光景を見た隊長も同意する。

「真面目に答えて欲しい。あの少女は人間か? 魔術師か? それとも化け物か?」

 何人もの魔術師に出会い、何十人もの魔術師を狩ってきた歴戦の戦士である黒犬。

 そんな彼らでも、あんな力は見た事がなかった。

「魔術は科学では不可能な事さえ可能とする。だが、所詮は一人の人間が引き出せる力。いくらでも対処出来ると思っていた」

 アレクの認識は間違っていない。

 魔術は確かに不思議な力だが、生み出せる力の総量は大した事がないからだ。

 例えば弾避けの護符。銃弾を逸らすと聞けば凄いと感じるが、それに必要なエネルギーは驚くほど少ない。

 一般的な拳銃弾・9㎜パラベラム弾の持つエネルギーは約五百ジュール。

 約〇・一リットルの水を、たった一℃上げられる程度の熱量。

 体重五十一㎏の人間が、階段を一m上るのと同じ仕事量。

 その殺傷能力に反して、銃弾の持つエネルギーは小さく、それを受け止めるのではなく逸らすのに必要な力が、もっと小さいのは言うまでもない。

 洗脳や記憶の操作などは、さらに弱いエネルギーで十分だ。

 人間の意識など所詮、脳内の神経細胞を走る電気信号でしかない。

 それがどれほど複雑かは別として、電気信号を操るのに必要な力など、乾電池一本もあれば足りるであろう。

 つまり魔術とは、とても器用で複雑な事を可能とするが、力の大きさだけで言えば、原子爆弾さえ生み出した科学には到底及ばない、非力な技でしかないのだ。

「だが、あの子は違う。あれは魔術なんて代物ではない、本物の悪魔だ……っ!」

 少女の左腕から生まれた、青い光の翼。

 あれはその気になれば、戦車だろうがミサイルだろうが平気で喰らい、軍隊とさえやり合えそうな力を感じさせた。

 部下と同様、怖気を覚えるアレクに、童顔の魔術師は深く頷き返す。

「そうだねぇ、現代兵器であの左腕を打倒するのはちょっと厳しいかも……まぁ、宿主は素直なただの子供だから、いくらでも殺しようはあるけどねぇ」

 毒を盛る、寝首を掻く、遠距離狙撃、兵糧責め、細菌兵器や核兵器を使う。

 例えあの左腕を打倒出来ずとも、その持ち主を抹殺する方法など、猟犬達はいくらでも思い付く。

 だが問題は、それを実行する気になれない事だ。

「ジル、あれは何だ?」

「可愛い可愛い女の子だよ? 人間を堕落させた蛇と同じくらい、魅惑的すぎるねぇ」

 先程と同じ質問に、童顔の魔術師は同じ答えと違う言葉を返す。

「あれも催眠や洗脳の類なのか?」

「基本的にはね。そのレベルが桁違いなだけ」

 アレクにそう答えてから、ジルはまたニヤリと笑う。

「ある意味、最強の攻撃だよねぇ。見た者全てを虜にし、尽くしたい、守ってあげたいと思わせれば、そもそも戦う必要さえないのだから」

 東洋のある格闘術の奥義は、「自分を殺しに来た相手と友達になる事」だと言われている。

 これは何も、日和った平和主義者の戯れ言ではない。

 敵にどれだけ力や技があっても、それを使おうとする意志、心を挫いてしまえば意味はないという、リアルな結論だ。

 高性能なCPUやメモリを積み、優れたソフトウェアを大量に入れたところで、OSという中心が壊れたパソコンが、ただの鉄屑になるのも同じだろう。

 この例えで言うならあの少女は、あらゆるプロテクトを破ってOSを乗っ取る、最強最悪のウィルスだった。

「あの詐欺師三人は、本当によくあんなモノを作れたもんだよ。そこだけは素直に凄いと思うねぇ」

「褒めてる場合かよ」

 どこまでもお気楽なジルの前で、ジェイは頭を抱える。

「あいつは危険だ、今直ぐに殺すのが最善手だ。なのに……」

 殺したくない、守ってあげたい。

 そんな気持ちが、色違いの瞳に見られた時から離れてくれない。

 任務を忠実にこなし、何十人と殺してきたというのに、今更たった一人の少女で躊躇うジェイを、他の二人も責めたりはしない。

 何故なら彼らも、少女の甘い毒に犯されていたから。

「私も駄目だな。あの子を処分するとなった時、お前達に銃を向けない自信がない」

「僕もだね。純粋に子供は好きだし、観察対象としても惜しい」

 アレクは部下と同じ理由で、優秀な魔術師であるジルは、多少は魔性の力に抵抗しつつも、元来の趣味と好奇心に負けてしまっている。

 情けないと項垂れる彼らだが、それでもマシな方だった。

「あいつを直接見たの、全部で何人だ?」

「君達の班で八人、僕も含め魔術師が五人、世話役を任せた女性隊員が二人。分かっているのはこんなところかな」

「それが全員、反乱する可能性ありか……」

 暗澹とした気持ちになって、アレクは溜息を吐く。

「今日も朝から『あの子は大丈夫か、嫌な思いをしてないか』と、部下全員から何度も聞かれた。あの様子だと、面会は禁止してあるのに、懲罰も覚悟であの子の部屋に行っているかもしれん」

「こっちも同じ様なものさ。エドガーの奴なんて、自分の研究と被っていた事もあってか、血眼になってあの子を譲ってくれと叫んでいたよ」

「天下の黒犬様が、子守の集団に早変わりかよ……」

 ジェイは深く嘆いてから、三度同じ質問を繰り返す。

「で、あいつは何なんだ?」

「だから、可愛い可愛い女の子だって。高密度の霊体――『(デモ)()』を移植された哀れな実験台の」

 そう言った童顔の魔術師から、今日初めて笑顔が消える。

「ジェイ、魔術師にとって一番大切な要素はなんだい?」

「才能だろ、もう聞き飽きたぜ」

 汗と努力を否定するその答えを、ジェイは嫌そうに吐き捨て、ジルはただ頷く。

「そう、才能だよ。魔術を使えるかどうか、『エーテル』に干渉出来るかどうかは、生まれた時点で決まってしまう」

 エーテル――魔術の元であり、あらゆる力を生み出す謎の物質。

 マナや気、ダークマター等とも呼ばれるそれは、人の意志に反応して力を生み出す。

 だが、あらゆる人間が扱える訳ではない。

「風を起こしてライターの火を消す、っていう程度で良ければ、実は千人に一人くらいは魔術の才能がある。だが大抵の人間は、生活の中でその力を埋没させてしまうねぇ」

 常識――世界はこうあるのだと、万人が決めた規定。

 それを教え込まれた者達は、自分もそうなのだと思い込み、天から得た才能を腐らせる。

 人間は箒で空を飛べない、呪文を唱えても火は出ない。

 千人がそう言うのだから、たった一人でしかない自分は間違っているのだと、過去現在未来において最強の暴力『数』に負けて。

「だけど希に、自分は特別なのだと、この世に不思議な力は存在するのだと、思い込んでそれを現実にしちゃった大馬鹿野郎が現れる。それが僕達、魔術師って奴さ」

「今更そんなの、講義されるまでもねえよ」

 耳にタコが出来ると文句を言うジェイに、童顔の魔術師はまあ聞けと微笑む。

「ともかく、魔術師って奴は才能が一番大切だ。努力をしても大して伸びやしないし」

 人間がいくら手を羽ばたかせても、雀のように空は飛べない。

 そして同じ鳥でも、雀は決して鷹には勝てない。

「でも、才能が無いと言われても諦めず、藻掻き足掻くのが人間って奴だよねぇ。エドガーの奴がそうだし、あの詐欺師三人組もそうだった」

 何気なく同僚の悪口を言いながら、ジルの顔は楽しそうに歪む。

「だから奴らは必死に考え、そして答えを導き出した――自分に才能が無いなら、才能の有る奴を作ればいいとねぇ」

 人間はいくら体を鍛えても、空を飛べない。

 だからプロペラを、エンジンを発明し、飛行機を作り上げついには大空を支配した。

 その意味において、三人の魔術師は正しく人間であり、素晴らしい努力家であった。

 一人の少女を実験台にしたという、人道から目を逸らしさえすれば。

「魔術の元、エーテルって奴は実に不思議でね、ある程度濃縮すると、まるで意識を持ったように振る舞い、勝手に力を使い始めるんだ」

 自然発生したそれを見た古代人は、霊やら天使やら悪魔やら、果ては神と呼び恐れ崇めた。

「あの三人は何年もかけて、それを人工的に生み出したのさ」

 高価な宝石を潰して魔法陣を描き、新鮮な牛や鶏の生き血を捧げ、あらゆる儀式を繰り返して、ついに高密度のエーテル体を作り出す。

「聖書に出てくる悪魔達とは比べるのも失礼な、虫けらほどの自我も持たない、か弱く小さい悪魔さ。それでも、人間の力なんて及びもしなかった」

 ついに手にした莫大な力。

 だが、複雑な意志を持たぬ力の固まりは、そのままだと制御出来ない。

「入れ物が必要だった。悪魔の力を受け入れ、自分達の言う事を聞く操り人形がねぇ」

「それがあいつか」

 左手に悪魔を埋め込まれた、人形のように表情のない少女。

「笑えるのは、せっかく完成させた操り人形に、自分達の方が魅了されちゃって、誰が取るか喧嘩になった事だねぇ」

 襲撃が決行されたあの日、今まで足取りを掴ませなかった敏腕詐欺師達が、一カ所に集まってしまったのは、そんな裏があったのだ。

「救えねえ馬鹿共だ……」

 ジェイは呆れ果てつつも、ほんの僅か哀れに思う。

 犯罪という努力を重ね、ようやく掴みとった成果の御陰で、彼らは全員ご用となり、直にこの世とお別れを告げるのだから。

「どこからか女の子を誘拐して、監禁調教したあげく、悪魔を埋め込むような奴らだよ。同情の余地なんてないよねぇ?」

「言われるまでもねえよ」

「あっ、調教と言っても、君の期待するようなエロい事はされてないと思うよ。あの子、処女だったから」

「期待するかっ!」

「というか、調べたのか?」

 不穏な発言を聞き、アレクが腰の拳銃に手をかけるのを見て、童顔の魔術師は慌てて弁解する。

「僕じゃないよ、身体検査をした女隊員さ。悪魔の生け贄と言えば、やっぱり清らかな乙女って事なんだろうねぇ」

「そうかい」

「ちなみにその女隊員、彼女の魅力にすっかり毒されて、ノーマルからレズに転んだらしい。悪魔ってのは本当に恐ろしいものだねぇ」

「だから、そういう話から離れろ……」

 どこまでもふざけた童顔の魔術師に、ジェイは激しい頭痛を覚えてから、最後の質問を告げる。

「で、これからあいつをどうする?」

 散々引き延ばしたが、問題は結局そこに集約される。

 悪魔を宿した少女の処遇、それをどうするか。

「改めて言う、あいつは危険だ、殺すべきだろう」

 精神を蹂躙する魅了、肉体を引き裂く青い翼。

 どちらも危険すぎて、生かしておくメリットはない。

「俺達の手では無理だ……だが、まだ見ていない奴なら何とかなる」

 少女が放つ魔性の魅力は、直接見なければ毒される事はない。

 ならば、カメラ等で間接的に見た者達が命令を下し、部屋の中に毒ガスでも注入してやればいい。

「問題は見てしまった俺達自身だが、拘束するなり、最悪でも殺せばいい」

 救出しようと暴走しかねない自分達さえ、犠牲にしても滅ぼすべき脅威。

 折れそうになる心を振るわせ、何とかそう言い切れたジェイに、隊長と童顔の魔術師は複雑な表情を向ける。

「ジェイ、悪いがあの子の処遇は既に決まっている」

「だからこそ、君をここに呼んだんだけどねぇ」

「どういう事だ?」

 嫌な予感がヒシヒシとして、冷たい汗を浮かべるジェイに、アレクは隊長として命令を下す。

「ジョン・ルーザー。お前はデルタ・チームを抜け、以後は悪魔憑きの少女とペアを組んで任務に励め」

「……はあぁぁぁ―――っ!?」

 一瞬遅れて言葉の意味を理解したジェイは、ふざけるなとソファーから立ち上がった。

「俺が、あいつを連れて仕事をしろとっ!?」

「そうだ、危険でここには置いておけないからな」

 かといって、殺すのは忍びなく、普通の生活に戻す事も出来ない。

 よって、黒犬の一員として迎え入れ、監視付きで仕事をさせる代わりに、生きる場所と糧を与える。

 それが、アレクとジルが相談の末に導き出した答えだった。

「外に連れ出す方が危険だろう!」

「大丈夫、悪魔の力を封じる用意は、ちゃんと僕が調えて上げるよ」

「そうだとしても、何故俺が……っ!」

 理不尽だと憤るジェイに、童顔の魔術師は首を傾げてみせる。

「何を言っているんだい? あの子は君が見付けんだから、責任も君が取らないとねぇ」

「いや、だがあれは――」

 確かに、地下へ続く穴を発見し、幽閉されていた少女を見付けたのはジェイだ。

 だが、仮に彼が気付かなくとも、魔術師のアジトだったあの家は、次の日にでも徹底的に探索され、地下室の少女は発見されたはずなのだ。

 それがたまたま、自分だったからと――と言い訳しようとするジェイに、アレクの厳しい声が飛ぶ。

「もう決まった事だ。嫌なら銃で頭を撃ち抜け」

「隊長っ!」

「すまん、お前しかいないんだ」

「…………」

 見詰め返してくるアレクの瞳に、深い謝罪の念が籠もっているのに気付き、ジェイは文句を喉の奥に呑み込んだ。

 そこへ、ジルも軽薄な笑みを消して頼み込む。

「実際、君しか居ないんだよ。あの子を目の当たりにしながら、銃の引き金に指をかけ、自分を犠牲にしても殺すべきだなんて言える奴は」

 他に少女を見た者達は、全員が心を奪われて、銃口を向ける事など出来なくなってしまった。

 彼女が左腕に相応しい、本物の悪魔になったとしても。

「それにね、あの子は何の罪も犯していない、可哀想な子なんだ。ただ危険だというだけで殺すのは、あんまりだとは思わないかな?」

「俺達が今更言えた台詞かよ」

 不法な魔術師を狩る過程で、例え望んだ事ではなくとも、罪無き犠牲など幾らでも出てきたのだ。

 今更そんな偽善をと、ジェイは否定を口にしながらも、ジルの顔を見られず目を逸らす。

 そうして、長い長い思考の末に、彼は溜息と共に肩を落とした。

「分かった、分かったよ。引き受ければいいんだろ!」

「……すまない」

「イヤッホー、君ならそう言ってくれると思ったよ」

 半分やけで承諾したジェイに、隊長は改めて謝罪し、童顔の魔術師は珍しく本物の笑みを向けた。

 そうして踊り狂ってから、ジルは一言付け加える。

「そうそう、最後に忠告だけど――」

「何だよ?」

「――子供に手を出すのは、犯罪だからね?」

 無言で繰り出された猟犬の拳が、童顔を見事にはり倒した。


             ◇


 処遇が決まってから一週間後、準備が整ったと聞いて少女と再会したジェイは、とても嫌そうに顔を歪めた。

「おい、これは何だ?」

 少女の着ていた服、顔以外を隠す濃紺のそれは、修道服をコケティッシュに改造した、何とも奇妙な物だったからだ。

「可愛いだろう? ジャパンのとあるゲームキャラからインスピレーションを受けてね、夜なべして拵えたのさ」

「お前の趣味は聞いていないんだよ!」

 ジェイが拳を振り上げると、衣装の制作者こと童顔の魔術は慌てて弁解した。

「まぁ落ち着いて。こんな子供を連れ歩くんだ、普通の服を着せるよりも、いっそ奇抜な衣装で訳ありだと思われた方が楽だろう?」

「…………」

 ジェイは嫌そうに黙ったが、反論もしなかった。

 確かに、ジュニアハイスクールにでも通っていそうな子供を、自分のような男が連れ歩いていると、誘拐だと疑われて無用な苦労をするであろう。

「俺が牧師の格好でもすれば、誘拐犯とは思われないか」

 その代わり、好奇の視線は山ほど浴びる事だろうが。

 嫌々ながらも納得したジェイに、童顔の魔術師はニヤリと笑う。

「それよりどうだい、完璧だろう?」

「まぁ、見てくれ以外はな」

 ジェイは頷き、黙ってこちらを見上げている、色違いの瞳を見詰め返す。

 だが、初めて会った時のように、心が暴力的に支配される事はなかった。

「東方の術式でね、古来より神聖な物とされてきた、女の髪を織って作り上げたんだ。何ドルかかったか聞きたいかい?」

「俺の年給より高そうだな」

 着心地はどうか少し興味が湧いたが、無表情で立ち尽くす少女には、聞いても答えは返ってきそうになかった。

「問題の左腕は……何とも、仰々しいな」

 シスター服から覗く左手には、中世にタイムスリップしたかと思わせるような、厳めしい鋼鉄の小手が填められていた。

「昔、アイアン・ゴーレムを作ろうとした事があってね。その時の余りを流用したのさ」

「お前の事だ、またカートゥーンにでも影響されたんだろ?」

「嫌だな、格調高く『ANIME』と言ってくれよ」

 変な所に拘るジルは無視し、ジェイは少女の籠手に触れる。

 細い腕に似合わぬそれは、見た目よりは軽そうだったが、銃弾すら弾けそうな硬さも感じさせた。

「あの力、完全に封じ込めたのか?」

「いや、全然」

「おいっ!」

 つい声を荒げると、童顔の魔術師は拗ねたように唇を尖らせる。

「あんまり無茶言わないでよ、いくら僕が天才だって、たった一週間でそれは無理だ。力が勝手に暴れないよう、鍵を掛けておくのが精一杯さ」

 いわば剣の鞘。収めている間は安全だが、一度抜けば全てを切り捨てる。

 そして、剣を抜くか否かは、宿主である少女の意志に委ねられていた。

「無いよりはマシか」

 そう呟くや、ジェイは腰の拳銃を抜き、銃口を少女の眉間に向ける。

 すると、殺気を込めなかったのもあってか、あの時のように左腕から青い光が襲ってくる事はなかった。

(いっそ、今なら――)

 殺せる、容易く、確実に。

 そんな考えが過ぎり、引き金に指が伸びそうになったジェイを見ても、少女はまるで表情を動かさなかった。

「…………」

 無言で見上げてくる色違いの瞳には、恐怖も不安も何もない。

 ただ不思議そうに小首を傾げ、初めて口を開いた。

「それは何だ?」

「はぁ?」

「前にも、それと似た物を私に向けたが、それは何だ?」

 いきなり何を言うのかと、ジェイは戸惑いつつも答える。

「拳銃だよ、何を言っているんだ?」

「そうか」

 名前だけ聞くともう興味を失ったのか、少女は頷いて口を閉ざす。

 そのやりとりを見て、背後で童顔が笑っているのを感じながら、ジェイは拳銃をホルスターに戻した。

「お前は、俺と一緒に行く事になった。分かっているか?」

「分かっている」

「罪を犯した魔術師と戦って貰う事になる。それもいいな?」

「分かった」

「ならいい」

 まるでロボットのような反応に、これから苦労しそうだと頭を抱えつつ、ジェイは歩き出す。

 その背中を、まるでひな鳥のように少女は追った。

「じゃあね、お二人さん。任務が決まったら連絡するよ」

 背中から聞こえたジルの声に、振り返らず手で応え、ジェイは悪魔憑きの少女を連れて猟犬の巣から去っていった。


             ◇


 ジェイはまず、本部から車で一時間ほどの場所にある自宅へと向かった。

 広いアパートの一室なのだが、アメリカ中を飛び回る仕事なだけに、一年の内半分も使われないそこへ、家無し子の少女を招く。

「そこら辺、適当に座ってくれ」

「そこら辺とは?」

「じゃあここだ、大人しくしてろよ」

 融通の利かない少女を、リビングのソファーに座らせてから、ジェイはキッチンへ向かう。

「ったく、子守なんて俺には一番似合わねえのに……」

 過ぎた文句を漏らしつつ、冷蔵庫の扉を開けてみるが、中は見事に空だった。

「ちっ、ピザでも頼むか」

 仕方なく携帯電話に手を伸ばして注文、銃の手入れをしながら待つ事二十分。

 届いたピザと飲み物を持ってリビングに行くと、微動だにせず座っていた少女が、不思議そうに小首を傾げた。

「これは何だ?」

「ピザだよ。食った事ないのか?」

「ない」

「つくづく変わった奴だな」

 ジェイが呆れながら一ピース取って齧り付くと、少女は興味深そうな視線を送ってくる。

 だが、自分の分を手に取ろうとはしない。

「何やってんだ。腹減っているんだろ、食えよ」

 そう勧めると、少女はまた小首を傾げた。

「私も食べて良いのか?」

「ガキが遠慮なんかするな」

 いいから食えと、小さな手にピザを押し付けると、少女はしげしげと眺めたあと、ようやく齧り付く。

 そして、大きく目を見開いた。

「――っ!?」

「どうした?」

 初めて表情らしきものが見えて、ジェイの方が驚いて声を掛けると、少女は何やら感動した様子で、湯気を立てるピザを見詰める。

「これがピザか、凄いな」

「? 美味かったのか?」

「美味い……そうだな、美味い」

 まるで、美味いという言葉を今思い出したかのように、少女は何度も頷きながら、香ばしいピザを齧っていった。

「がっつかなくても、誰も取りやしねえよ」

 そう言って、ジュースの入ったカップを手渡すと、また珍しそうにしげしげと見詰める。

「これは何だ?」

「コーラだよ」

 何のジュースか、と聞かれたと思ったジェイは、そう答えて自分の分に口を付ける。

 だが、彼女が聞きたかったのは、「この黒い水は何なのか?」であった。

 そして、ジェイの真似をして炭酸飲料を飲んだ少女は、未知の感覚に襲われ盛大にむせた。

「けほっ、けほっ!」

「おい、どうした?」

 まさかコーラでむせたとは思わず、ジェイが心配して声を掛けると、少女は瞳に涙を浮かべながらも頷いた。

「大丈夫だ、が、何だ、このシュワシュワは?」

「いや、だからコーラだろ……」

「そうか、これがコーラか」

 呆れを塗り潰す、嫌な予感に苛まれるジェイの前で、少女は改めてコーラを口にする。

 そして今度はむせる事なく、満足そうに頷いた。

「うん、そうと分かれば悪くない。美味いな」

 無表情だが、どこか嬉しそうにコーラを飲み、ピザを食べる少女。

 そんな彼女からゆっくり離れ、ジェイはキッチンまで行くと、再び携帯電話を手に取った。

「おい、これはどういう事だ?」

『何がだい?』

 電話の相手、童顔の魔術師ことジルは、いきなり質問をぶつけられて惚けた声を返す。

 それに、ジェイは声を抑え怒鳴りつけた。

「あいつの事だよ! 変だ変だとは思っていたが、ピザもコーラも食った事がないって――」

『えっ、あの子がパンと水以外を口にしたの? やったねジェイ、子育ての才能あるよ』

「ふざけるのもいい加減にしろっ!」

 つい大声を出してしまってから、慌ててリビングの方を窺ったが、初めての食べ物に夢中な少女が、こちらに気付いた様子はなかった。

「あいつ、本当にピザもコーラも初めてなのか?」

『うん、こっちに居る間もね、何を出してもパンと水しか手を付けなかったんだ。そういう教育をされていたみたいなんだよね』

 だが、今後従うようにと言われた人物、ジェイに「食え」と命令されたから、初めてパンと水以外を口にした。

「あいつ、誘拐されたと言っていたよな? あの地下で生まれ育った訳じゃないんだよな?」

『そうだよ。詐欺師達の自供によれば、丁度一年前くらいかな』

「なら何故、あんなに物を知らない?」

 正確な歳は分からないが、多分十三、四歳。

 誘拐されるまでの間、十年以上はそれなりの生活をしていたのだろう。

 大金持ちのご令嬢でもない限り、ジャンクフードなど何度も口にしてきたはずだ。

 なのに、ピザもコーラも知らなかった理由は至極単純。

『だから言ったでしょ、調教されたって。一年の間、何十回も魔術を掛けられて、記憶を徹底的に消されているんだよ』

「…………」

 予想が付いていたとはいえ、あまりに惨い仕打ちに、ジェイは言葉を無くす。

『操り人形にするためってのもあるけど、そうでもしないと悪魔を入れられなかったんだよ』

 そう前置きし、童顔の魔術師は説明を始めた。

『悪魔は汚れのない乙女を好む、とも言ったでしょ? それは肉体だけでなく、精神的にもそうなんだ』

「だから、精神的な汚れを、記憶を全部消したってか」

 最も良いのは、ジェイが口にしたように、赤子の時から外に出さず、純粋培養する方法だろう。

 だが、三人の魔術師はそんな長い時間は待てず、子供を誘拐し漂白した。

『詐欺師達の目的は、強力無比な魔術師の作成でもあったからね。《常識》を形成する知識や記憶なんて邪魔でしかなかったんだよ』

 例え才能があっても、「魔法なんて存在しない」と思い込んでいる者は、魔術の根源たるエーテルから力を得られない。

 魔術師にとって、『常識』とは毒でしかないのだ。

 けれど、常識の無い者が、この世界で生きて行くのは不可能である。

『だから、僕達はその矛盾を解消するため、普段は常識的な行動をしながらも、魔術を使う時だけ非常識な行動に走るのさ。魔法陣を描いたり呪文を唱えたり、生け贄を捧げたりとあれこれして、自分自身を騙すんだよ』

 乱暴に言うと、魔術師の振る舞いは全て自己催眠なのだ。

 何もしないのに雨が降るなんて、とても考えられない。

 けれど、火を焚き動物を捧げ、祈りの呪文を唱えれば、雨が降りそうな気がしてくる。

 行為の後には結果が生まれる。

 支払った労力や犠牲が大きいほど、得られる成果も大きくなる。

 人々は経験によって、そう『信じて』いる。

 だから魔術師は、資財を、時間を、血肉を支払い、本来ならば何の因果関係もない行為で己を欺き、その結果、人の意志に反応するエーテルが、本当にそれを実現してしまう。

 己を騙し世界を変える技、それが魔術。

『一部の呪文や魔導書みたいに、それだけじゃ説明の付かない不思議な物もあるけどね。いやー、魔術っていうのは奥が深い』

「話がずれてるぞ」

 いつの間にか魔術講義に移ってしまい、ジェイは少女の方へと話を戻す。

「ともかく、あいつは何も覚えていないんだな?」

『最低限の言葉は覚えているようだけどね。知能はともかく、知識は三歳児以下だよ』

「……自分や、両親の事もか」

『むしろ幸運でしょ? 覚えていたところで、左腕に爆弾を抱えたままじゃ、帰してはやれないんだからさ』

 知らないという事は幸福である。

 そんな、どこかで聞いたフレーズが蘇り、ジェイは軽く舌打ちした。

「あいつに宿った悪魔とやらを、取り除く事は出来ないのか?」

 その危険性を目の当たりにして、ジェイも動揺していたのだろう。

 遅まきながら気付いた最良の案を、童顔の魔術師はあっさり否定する。

『無理だね、骨の中まで根付いているから、左腕ごと切り離すしか方法はないよ』

 それでも、腕一本で普通の生活に戻れるなら、まだ救いはあったのだろう。

『気付いているだろう? あの子の片目、色が違うのは悪魔を移植されたせいだ』

 青が緑になったのか、緑が青になったのか、それはもうこの世に居ない、三人の誘拐犯くらいしか知るまい。

『単純に、左腕と近い左目かな? いや、左腕は右脳で動かしているとか聞いたような……まぁどっちでもいい。悪魔の影響は腕だけじゃなく、目どころか全身に行き渡っている』

 それが影響し、監禁生活で筋肉が落ちているのに、少女は信じられない肉体能力を得ていた。

『東洋の魔術・気功に近い原理だろうねぇ。左腕の余剰エネルギーが全身に回っていて、あの子の体はそれに順応してしまった』

 いっそ移植が失敗し、ポップコーンのように弾けて死んでいた方が、幸せだったのかもしれない。

『左腕を切り取り、慣れてしまったモノが供給されなくなった時、ショック死しないという保証はないねぇ』

「つくづく、救いようがねえ……」

 後先考えずに、そんな実験を行った魔術師達も、己が不幸だという事すら知らない少女も。

『結局、選択肢は三つしかないのさ。殺すか、死ぬまで幽閉するか、消された分まで世界を見せてやるか』

 だから、ある程度の危険を承知で、ジェイと共に外へ出る道が選ばれた。

 魔性の魅力とは無関係に、少女があまりにも哀れだったから。

「やっかい事を押し付けやがって」

 大きな赤ん坊の教育まで任されたと知って、ジェイは大きく溜息を吐く。

 自分の背負った責任がどれほど重大か、嫌というほど分かってしまったから。

「なぁ、あいつが世界を見て、その果てに得た『自分』が『黒』だったらどうする?」

 ジェイが何を言いたいのか、童顔の魔術師は全て理解したうえで、素っ気なく答える。

『言わなかったかな? そんな時のために君を選んだのだと』

 ――あの子に銃口を向けられるのは、君だけなんだから。

 その意味を改めて認識させられ、ジェイは再び深い溜息を吐くしかなかった

 童顔の魔術師はそんな彼に、精一杯のエールを送る。

『悪い未来ばかり考えても仕方ないさ。そうならないよう頑張っておくれよ、パパさん?』

「死ねっ!」

 電話口に呪いを浴びせ、ジェイは通話を終えリビングに戻る。

 ソファーに座った少女は、ピザを半分食べたところで手を止め、彫刻のように固まっていた。

「もういいのか?」

 嫌な話を聞いたばかりだった事もあり、そう優しく勧めると、少女は小首を傾げる。

「半分はお前の分だと思っていた、違うのか?」

「……お気遣いどうも」

 記憶がないくせに、こんな心遣いが出来るのは、魔術でも消し切れなかった少女の本質故か。

 それを希望と喜ぶか、不幸と嘆くべきか。

 ジェイは判断する気にもなれず、ピザの一ピースを彼女の手に押し付けてから、残りを自分の口に押し込んだ。


             ◇


 それから五日は、比較的穏やかな日々が続いた。

 何も知らない少女に、お金の使い方から魔術師との戦い方まで、最低限の知識を詰め込んでいく。

 生徒は素直で教えられた事を良く吸収したが、教師であるジェイの方は、慣れない作業に疲れ切って溜息を吐く。

 そんな日常が終わりを告げたのは、任務を知らせる連絡ではなかった。

「――っ!?」

 深夜、明かりの消えた寝室で、ジェイは不意に飛び起きた。

 悪夢を見た訳でも、何か大きな音が聞こえた訳でもない。

 だが、嫌な予感が、魔術なんて才能とは関係ない、幾度も死線を越えた者だけに宿る勘が、彼に危機を知らせていたのだ。

「…………」

 ジェイは無言で枕元の拳銃を手に取り、寝室の扉をそっと開けリビングに移動する。

 そこに侵入者の姿など無い、足跡も聞こえない。

 だが、微かな気配は、空気の揺れまでは消せやしない。

 それが錯覚ではない証拠として、かつては倉庫として使い、今は少女が寝泊まりしている部屋への扉が、静かに開こうとしていた。

「――っ!」

 即座に飛び出したジェイは、扉の前に下段回し蹴りを叩き込む。

 読みは見事に命中し、人の足を蹴った感触に続いて、床に倒れ込んだ音が鳴り響いた。

「ぎゃっ!」

「動くな、この距離なら護符も効かんぞ」

 倒れた透明の相手を手探りで押さえ付け、おそらく背中だと思われる部分に銃口を密着させる。

「一言でも喋れば撃つ、抵抗しても撃つ、分かったらまず姿を現せ」

「……っ」

 殺気をぶつけて脅すと、悔しそうに息を呑む音がして、透明だった相手に色が付いていった。

「うん? お前は……」

 薄暗がりで良く見えなかったが、現れた若い男の横顔に見覚えを感じ、ジェイは僅かに眉を動かす。

 するとその時、寝室の方から携帯電話の着信音が響いてきた。

「ちっ、誰だこんな時に」

 男から注意を逸らす訳にもいかず、ジェイが舌打ちしていると、背後から小さな足音が近付いてくる。

「ジェイ、このうるさい音は何だ?」

「お前か。丁度良い、俺の部屋から――」

 電話を取って来てくれ――と言いかけ、ジェイはギョッと息を呑む。

 横目に、修道服で隠されていない、少女の生足が映ったからだ。

「服だ、まずは服を着ろ! それから俺の寝室に行って、このうるさい音の元を持って来い!」

 下着姿で寝ていたのだろう。あの時よりは弱いものの、心を蝕む魔性の色香を感じて、ジェイは慌てて叫んだ。

「分かった」

 少女の方は彼の葛藤など知らぬ様子で、言われた通り服を着に戻る。

(ったく、この馬鹿は。しかし――)

 ふと押さえ付けた男の顔を見れば、少女の方に視線を向け、危ない薬でも打ったように顔をとろけさせていた。

(ただの変態、な訳はないよな)

 察しが付き、盛大に溜息を吐くジェイの元に、服を着た少女が携帯電話を持ってくる。

 その画面に映っていた、何時までもコールを止めなかった相手の名前も、彼の予想通りだった。

『ハロー、夜分遅くにすまないねぇ』

 若々しいジルの声に、ジェイは苦々しい声を返す。

「用件は、俺の家に侵入してきた変質者についてか?」

『ありゃ、遅かったか。まだ殺してないよねぇ?』

「出来れば今直ぐ撃ちたいがな」

 そう物騒な会話を続ける間も、侵入者は少女に見惚れて、自分の命さえ忘れている様子だった。

「こいつ、もしかしなくとも――」

『そう、あの子を見た魔術師の一人、才能のないエドガー君』

「ちっ、やっぱりか」

 予想通り本部の魔術師、本来なら仲間である人物だと知り、ジェイは盛大な舌打ちを鳴らす。

「何でこんな事をした?」

『察しはついているだろうけど、本人に確認したら?』

「確かにそうだな」

 ジェイは納得し、少し考えたから少女に命じた。

「こいつが魔術を使おうとしたら殴り倒せ。もしも、俺が魔術で操られたりしたら、その時は俺も容赦なく殴り倒せ。いいな?」

「分かった」

「よし、もう喋ってもいいぞ」

 そう保険をかけてから喋る許可を与えると、侵入者の魔術師ことエドガーは、ジェイを無視して少女に話しかけた。

「無事だったかい? 変な事はされていないかい? こんな豚小屋のように狭い所で、随分と嫌な思いをしただろう?」

「おいっ」

「やっぱり、君は僕の所へ来るべきだよ。美味しい物を沢山食べさせてあげよう、もっと可愛い服を着せてあげよう、欲しい物は何でも買ってあげるよ!」

「…………」

 まるで求婚するように、熱っぽい視線を向けてくるエドガーに、当の少女は困惑した様子で首を傾げる。

 それを見たジェイは、拳銃の引き金を引かないよう、自分を律するのに苦労した。

「やっぱり、撃っちゃ駄目か?」

『抑えてくれると助かるねぇ。彼、ああ見えて良家のボンボンだから、殺すと面倒なんだよ』

 電話の向こうに居るジルは、友情や同情ではなく、純粋な利害を口にしてジェイを止める。

『親御さんも子煩悩でね、息子をよろしくとばかりに、黒犬への資金援助をしてくれている。敵には回したくないんだよねぇ』

「世知辛い話だな」

 世界の闇に生きる魔術師とて、金がなければ飢えて死に、猟犬とて餌をくれる相手には尻尾を振る。

 仮にエドガーを殺したところで、半政府組織である黒犬が潰される訳ではないが、資金と政治の両面から、様々な嫌がらせを受けるのは間違いなく、それは避けたいと思うのが、ジルを含む本部の総意であった。

「しかし、ここまでとはな……」

「何も怖がる事はない、僕と一緒に魔術の深淵を目指そう? 君はそのために生まれたのだから!」

 相変わらずジェイを無視し、少女を勧誘し続けるエドガーの目は、まるで初恋をした少年のように純粋で、そして正気を失って見えた。

「あいつの力、魔術師なら少しは抵抗出来るんじゃなかったのか?」

『多少はね、でも彼は才能ないし、研究対象としても普通に少女としても、好みのド真ん中だったんでしょ』

「そうかい」

『何度も言うけど、あの子の魅了をまともに浴びた直後に、銃口を向けられたのなんて、君くらいなものなんだよ』

 これはずっと後に判明する事だが、左腕の悪魔が翼を解放し、攻撃行動に移る時のみ、一時的に少女から魔性の魅力が消える。

 自己防衛のために放っている魅了の分も、エネルギーを翼の方に集中するためだろう。

 その時であれば、彼女に敵意を向けるのは容易い。

 もっとも、悪魔の翼を向けられている時点で、精神ではなく肉体の敗北が確定している訳だが。

『本当に、君は何で銃を向けられたんだろうねぇ。守護天使でも憑いているのかい?』

「よせ、気色悪い」

 物知らずな悪魔一人で手一杯なのに、天使まで出て来られては困ると、ジェイは思い切り渋い顔をする。

「で、こいつはどうする?」

『面倒で嫌だけど、僕が引き取りに行くよ。独房に一ヶ月くらい入れておけば、流石に頭も冷えるでしょう?』

「そう願いたいがな……」

「君のサファイヤのような右目と、エメラルドのような左目は、こんな才能の欠片もない男ではなく、この僕と世界の秘密を――」

 無言の少女に、美辞麗句を捧げ続けるエドガーを見ていると、多大な不安を覚えたが。

『こんな馬鹿をするのは、エドガーだけと信じたいが、他の奴らもちょっと怪しい。暫くはバージニア州から離れていてくれよ』

「言われなくともそうさせて貰う」

『タイミングが良いのか悪いのか、お隣のケンタッキーで怪しい事件が起きたんでね、まずはそこに向かってくれるかい?』

「暫くはホテル暮らしか。経費で落とさせて貰うぞ」

『ルームサービスは実費で頼むよ』

 冗談を言い合うくらいに落ち着いたジェイは、まだ喋り続けていたエドガーの後頭部へ、拳銃の銃床を振り下ろす。

 それでようやく、うるさい侵入者は口を閉じた。

『殺してないよねぇ?』

「黙らせただけだ、早く回収してくれ」

『OK』

 ようやく電話を終え、少女の方を窺うと、情熱的な告白にまるで動かされた様子もなく、無言で立ち尽くしていた。

「ジルがこの馬鹿を迎えにきたら、直ぐに出発する。出掛ける準備を――って、荷物なんてないか」

 一張羅の修道服に鋼の小手、あとは少々の下着くらいしか、この少女には必要ない。

 だが生憎と、普通の人間にすぎないジェイは、魔術師と戦う準備が必要だった。

「こいつを見張っていてくれ。もし起きたら、うるさいから殴って黙らせろ」

「分かった」

 頷く少女を後に、ジェイは自室へ向かい旅の準備を始める。

「ったく、ベッドを買ってやったばかりだぞ」

 つまらない愚痴を呟きつつ、着替えや拳銃、偽の身分証などを鞄に詰め込む。

 こうして彼は、大して使っていなかったアパートに、また別れを告げる事となった。


             ◇


 バージニア州の西にあるケンタッキー州、その最大の都市であるルイビル市。

 比較的治安は良い街だが、何処の都市でもそうであるように、人の目が届き難く、犯罪の起きやすい場所は存在する。

 そんな裏道の一つで、ある不思議な死体が見付かった。

「ったく、やっぱりこうなったか」

 問題の遺体を確認するため、検死局を訪れたジェイは、FBI捜査官の身分証を見せたものの疑われて、受付前のソファーで待たされていた。

 しかし、検死局の局員を責める気にはなれない。

 修道女の格好をした子供を連れ、牧師服を着た男が現れて、「はい、FBIですね」と通す奴が居たら、むしろ説教をしていただろう。

「お待たせしました、ジョン・ルーザー捜査官。こちらへどうぞ」

「ジェイと呼んでくれ。そのふざけた本名はあまり好きじゃないんだ」

 身分の照合が終わったらしく、局員が申し訳なさそうに声を掛けてきて、ジェイは重い腰を上げた。

 それを見て、彼の横に座っていた少女も立ち上がる。

「あの、お嬢さんはそちらで待っていて下さい」

 死体の安置された部屋までついてこようとした少女を、やんわり追い返そうとした局員は実に正常だった。

 だが、ジェイは嫌そうな顔をしながらも、局員の肩を叩いて止める。

「申し訳ないが、そいつも通してくれ。俺もまったく気は乗らないが、上司が見せろとうるさいんだよ」

「はぁ、しかし……」

 不満そうに言葉を濁しながらも、案内を再開した局員の後ろで、ジェイはどこかの童顔に呪詛を呟く。

(ったく、あのお気楽野郎は、こいつをどうしたいんだよ)

 ちらりと横目で伺った少女は、この先にある物を見たところで、きっと瞬き一つせず、ジルが説明した通り、悪魔に浸蝕された瞳で、魔術の関与を見分けるだろう。

(だが、見せたくないと思う俺は、こいつの毒に犯されているのか?)

 自分の感情が当たり前の良心か、魔性の魅力に屈した証なのか、ジェイには何とも判断が付かない。

 ともあれ、役に立つなら親の死体でも使う、非情な猟犬の思考に切り替え、遺体の待つ部屋へと踏み込んだ。

「へー、これは見事なもんだ」

 問題の遺体を目にしたジェイは、不謹慎にも感心の声を上げてしまう。

 それも仕方ないと思えるほど、この遺体を作り出した殺人犯は、ある意味凄腕だったのだ。

「被害者の名前はジョナサン・バーリー、二十三歳。犯行現場の近所に住んでいたプロボクサーです」

「なるほど、良い体格をしている。それをこうも見事にね」

 ベッドに寝かされた逞しい被害者の遺体は、二つに分かれていた。

 右半身と左半身に、正中線から真っ二つで。

「皮膚や骨の断面から見て、鋭い刃物で切断されたのは間違いありません。ですが……」

「ジャパンのサムライだって、こうも上手くは切れないよな」

 信じられないと頭を振る検死局の局員に、ジェイも同意を示す。

 血は殆ど流れきり、真っ白になった遺体。

 その切断面は腸や脳味噌が僅かにはみ出しているくらいで、肉や骨は全く潰れておらず、このまま標本に出来そうなほど綺麗だった。

 仮に不意打ちだったとしても、体格の良いプロボクサーを、こうも見事に両断するなど、いったいどんな刃物なら可能だというのか。

(本当にサムライの仕業だったらお笑いだが、さて――)

 横の少女を伺えば、予想通りの無表情で、人間の開きを見詰めていた。

 その色が違う瞳に、世界はいったいどんな風に映っているのか。

 僅かに好奇心を覚えるジェイに、彼女は頷き答える。

「切り口に力の痕跡を感じる。魔術の宿った剣を使ったのだろう」

「えっ、魔術?」

「子供の戯れ言ですから、お気になさらず」

 事情を知らない局員の前で、堂々と神秘を喋った少女の口を、ジェイは慌てて塞ぐ。

 その後、幾つか細かい事を聞いてから、検死局を出て車に乗り込んだところで、彼は連れの頭を小突いた。

「魔術の事は人前で話すな、そう言わなかったか?」

「言ったな、すまない」

「分かれば結構」

 素直な謝罪に満足し、ジェイは車のアクセルを踏む。

「魔術の宿った剣――魔剣か、犯人はドラゴンとでも戦いたかったのかね」

「ドラゴン?」

「後で教えてやるよ」

 好奇心旺盛な少女を連れ、ジェイはひとまずホテルへと車を走らせる。

「その魔剣とやら、見れば分かるか?」

「分かる」

「気配とか、近付いただけでは駄目か?」

「力の強さにもよるが、三十歩くらいまで寄れば」

「十五mくらいか? 微妙なラインだな」

 犯人は恐らく、力に酔った時代錯誤の人切り。

 隙を見せて歩いていれば、あっちから勝手に出て来てくれるだろう。

 問題は、その囮作戦が成功した後、犯人を倒せるかどうか。

(武闘派の魔術師か、銃弾への対策もしているだろうな)

 本来であれば、念入りな調査によって住居を特定し、五人以上のチームで奇襲をかけたい相手だ。

 だが今は、仲間内で争いを生みかねない、魔性の少女を連れているせいで、本部からの援軍は呼べないし、呼ぶ必要もないのだろう。

(魔剣だか何だか知らないが、あれの前ではな……)

 少女の左腕に宿った悪魔は、容易く犯人を打ち据えるだろう。

(だが、出来るなら俺一人で片づけたいものだな)

 ジェイはそう思ったが、それが子供を戦わせる事への罪悪感か、それとも、二度とあの光を見たくないという恐怖からだったのか、自分でも判別は付かなかった。


             ◇


 警察署や黒犬の本部から得た情報を統合すると、犯人の足取りは意外と簡単に掴めた。

 被害者が両断される前にも、建物や小動物が切り裂かれる事件が、幾つか発生していたのだ。

 それから犯人の行動半径を絞り込んだジェイは、人気のなくなった深夜、さらに人気のない裏道へ向かう。

 件の魔剣使いとやら以外にも、いつ犯罪に巻き込まれるか分からぬ汚れた道を、少女を連れて歩く。

 そんな囮作戦を初めてから三日目、薬中のチンピラを二人ほど豚箱に叩き込んだ後で、そいつはビルの合間から堂々と現れた。

「獲物が二人、しかも片方は子供か……ふふ、柔らかそうだな」

 歳は二十代後半くらいで、肩に触れるほど長い黒髪の男。

 体型は痩せ気味で、とても人間を一刀両断できる達人には見えない。

 鞘に収まった西洋剣を腰のベルトに挟んでおり、男はそれを右手で引き抜くと、現れた銀色の刃を愛おしそうに舐めた。

「ジェイ」

 あれが魔剣だ――と少女が言う間でもなく、ジェイは懐から拳銃・グロック18を引き抜き、躊躇無くフルオート射撃を浴びせる。

 だが、剣を盾のように構えた男の前で、銃弾は見えない力に弾かれて逸れ、街灯や道路に当たって火花を散らす。

「ふははっ、我がキャリバーンは無敵だっ!」

「お前に王の器があるとは思えんがな」

 どうせ偽物だろうが、アーサー王の剣を自称して突進してくる殺人鬼に、ジェイは腰に付けていた手榴弾を投げ付ける。

「効かんわっ!」

 男は再び剣を盾にし、そこに込められた魔術の力で、手榴弾の破片を防ごうとする。

 だが、爆発した手榴弾が放ったのは、金属片やベアリング弾ではなく、真っ白い閃光だった。

「ぬおっ!」

 質量を持った銃弾は逸らせても、光までは防げない。

 目を眩ませ呻く男の背後に、腕で閃光を防いだジェイが回り込む。

「騎士様ごっこは地獄でしてろ」

 拳銃をしまい、取り出した警棒を、男の後頭部に向けて振り下ろす。

 だが、頭蓋骨を砕く感触はなく、キンッという甲高い音が鳴り響いた。

「何っ!?」

 ジェイは驚愕し、短くなった警棒の先を凝視する。

 金属の棒を容易く両断したのは、言うまでもなくキャリバーンと呼ばれた魔剣。

 だが、それを手にした男は、まだ視力が戻らず呻いている。

 なのに、剣を持った右手だけが勝手に動き、見えない背後からの攻撃を防いでいた。

(剣に意志が有る!? いや、自動防御するよう設定されているだけか?)

 どちらであろうとも、生み出される結果に違いはない。

 一瞬、硬直してしまったジェイに向け、魔剣の刃が振り下ろされる。

(しまっ――)

 避けきれない、と致命傷を覚悟したジェイの前で、人を容易く両断する銀の刃が、甲高い音を立てて弾かれる。

「お前……」

 驚くジェイと剣の間に割り込んできたのは、左腕の小手を輝かせた修道服の少女。

「ジェイ、これを外していいか?」

 彼に礼を言わせる間も与えず、少女は魔剣を受けても傷一つない、魔を封じる小手を指差した。

「……あぁ、好きにしろ」

 ジェイは一瞬逡巡した後、許可を出す。

 少女はそれに頷き、童顔の魔術師が設定したキーワードを呟く。

「――解放」

 ガチャンッと音を立てて小手が外れ、少女の白い左腕が外気に触れる。

「くそっ、卑怯者めっ!」

 その前で、魔剣の持ち主が視力を取り戻していたが、最早遅すぎた。

 少女は己の半身である左腕の悪魔へと、労るように囁きかける。

「――(インカネ)(ーション)・スタート」

 左腕から迸った青い光が、傍らで弱い光を放っていた街灯を呑み込む。

 咀嚼し、組み換えられた金属は、青い光の血管が走る、悪魔の翼となって広がった。

「な、何だそれはっ!?」

 魔術師であるからこそ、目の前の現象が、巨大すぎる力が理解出来ない――いや、理解したくなくて、魔剣の男は呻き後ずさる。

 そこへ容赦なく、少女は悪魔の翼を振り下ろした。

「うわぁーっ!」

 逃げようとする持ち主に反し、魔剣はプログラムされた命令通り、向かってきた翼を迎撃する。

 魔術の品だけあり、魔剣は拳銃や街灯と違って、翼に一呑みされるような事はなかった。

 だが、二度三度と巨大な翼の攻撃を受け続け、ついにヒビが入って砕け散る。

「お、俺のキャリバーンが……」

 持ち主の目の前で、折れた剣先は悪魔の翼に呑み込まれ、その一部と成り果てた。

 そして、茫然自失となった男の体を包み、持ち上げ、地面に叩き付ける。

「がっ……!」

「もういい、十分だ」

 肺の空気を全て吐き出し、白目を向いて気絶した男を見て、ジェイはようやく少女を止める。

 すると、彼女は悪魔の翼を小さく折り畳みながら、不思議そうに小首を傾げた。

「殺すのではないのか?」

 殺意も、罪悪感も、使命感も、何一つない純粋で真っ白な問い。

 それを何故か、とても悲しく感じながら、ジェイは少女の頭に手を置いた。

「殺すさ。だが、お前が手を下す必要はない」

 それが偽善だという事は、彼とて良く分かっている。

 今から殺す相手を捕らえた時点で、人殺しの手伝いをした時点で、少女も既に罪人だ。

 いや、悪魔を植え付けられ、黒い世界でしか生きられなくなったその時から、とっくに罪人以外の道を閉ざされていたのだ。

 どれほど理不尽で、彼女に何の責も無かろうと。

 なのに、直接手を汚させるのは避けたいなど、彼の下らない自己満足にすぎない。

 強いて理由を付ければ、殺す事に慣れた少女が黒くなり、その果てに起きる惨劇を回避するためか。

 だが、直接手を汚さなくとも、この先も醜悪な事件に関わり続けていくうちに、人の中に潜む心の闇を直視して、この真っ白な少女は汚れていくのだろう。

 だから、これは意味のない自己満足にすぎない。それでも――

「お前は、殺すな」

「分かった」

 頷く少女の前で、ジェイは懐から注射器を取り出し、気絶した男の首に刺した。

 中に入っているのは、軍の極秘機関から提供された、検死しても発見されない毒薬。

 男は心臓麻痺に似た症状を起こし、気絶したままあの世に逝った。

「行くぞ、そろそろ腕を仕舞え」

「分かった」

 男の死体を担ぐジェイの横で、少女は左腕の力を収める。

 悪魔の翼はまるで幻だったように、白い灰となって宙に消え、小手を拾って装着すれば、もう後には何も残らなかった。

 幸い、誰かに見られる事もなく、車の元まで辿り着いたジェイは、死体をトランクに押し込むと、運転席に乗り込む。

 そして、タバコを一本吸ってから、助手席に座った少女に向け、何気ないふりを装いながら、今まで敢えて聞かなかった質問を告げた。

「お前、名前は何て言うんだ?」

 それをずっと避けていたのは、情を移したくないというより、子供っぽい反抗心だったのだろう。

 だが命を救われ、頼りになる相棒と認めざるおえなくなった。

 そして、全てを真っ白に消され、真っ黒い世界でしか生きる道を与えられなかった彼女を、側で見守ってやりたいという己の気持ちも、もう認めるしかなかったから。

「お前の名前、教えてくれ」

 心の中で白旗を上げ、だが表情には微塵も出さず尋ねてくるジェイに対し、少女は小首を傾げる。

「名前?」

「流石にずっと『お前』と呼ばれていた訳じゃないだろ。ケイトとかアネットとか、適当な名を貰っていただろ?」

 まさか名無しなのかと不安になるジェイだが、それは杞憂に終わる。

 彼女は思い出すように、数秒上を向いてから答えた。

「Lilim・One」

「リリム・1って……ちっ、また悪趣味な」

 今は地獄に居るだろう詐欺師達に向け、ジェイは激しく舌打ちする。

 アダムの最初の妻であった女・リリスと、悪魔ルシファーの間に作られた子供。

 人間とも魔女とも女神とも分からぬ母親から産まれた、男を誘惑する小悪魔。それがリリム。

「子供に付ける名前じゃねえだろ」

 東洋の島国風に翻訳すると「悪魔一号ちゃん」であり、外で軽々しく呼べば、いらぬ注目と非難の視線を浴びること請け合いである。

 他の名前にしなければと、頭を抱えたジェイであったが、先程自分が口にしたような、適当な名前を付けるのは憚られた。

 新しい名前を付けるのは、真っ白な彼女を自分色に染めるようで、変態と誹らせそうな気がするという、何とも情けない理由であったが。

 とはいえ、悪魔呼ばわりを続ける訳にもいかず、考えに考え抜いたうえで、ジェイは至極単純な方法に走った。

「……イリムだ。頭文字を切り離して、L・Ilim・One」

「イリム?」

「俺はそう呼ぶ。嫌か?」

 尋ねると、少女は戸惑うように沈黙した後、首を小さく横に振った。

「嫌じゃない……私はイリム、イリムなのだな」

 噛み締めるように繰り返した後、少女は横一文字を貫いていた唇の端を、ほんの少しだけ持ち上げた。

 それは、彼女が全ての記憶を失ってから、初めて見せた微笑みだったのかもしれない。

「改めてよろしくな、イリム」

「よろしく、ジェイ」

 差し出された男の大きな掌を、少女の小さな手が握り返す。


 後日、都市伝説として民間でも細々と語られる事になる、牧師風の男と小さな修道女の、始まりとなった物語。

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