【第一話 埋葬―interment―】
アメリカ合衆国の中央北部に位置するミネソタ州は、カナダと隣接しているだけあって寒く、十一月ともなると白い雪に包まれていた。
そんなミネソタ州の州都、セントポール市のとある公園に、一人の奇妙な少女が立っていた。
十三歳くらいの小柄な子で、着ているのは顔以外の全てを隠す濃紺の修道服。
この歳では本物の修道女どころか、その見習いである筈もないから、敬虔な両親の方針で無理矢理着せられているのだろうか。
公園を通りすぎる人達の不思議そうな視線に動じる事も、肌を切り裂くような寒風にも身動ぎ一つせず、静かに立ち続けるその姿はどこか不気味で、まるで青い亡霊のようだった。
死者のように感じる理由は他にもある。
修道服に隠されていない唯一の場所、顔のせいだ。
それは「まるで人形のように」という形容が具現化したかと思うほど、どこまでも美しく整っていながら、何の感情も窺えない。
青い右目に対し、左目が緑色を帯びたオッドアイという珍しさも、人形的な雰囲気を増加させていた。
少女はそんな色違いの瞳で、ただ足下を凝視し続ける。
そこには一匹の薄汚れた猫が横たわっていた。
体温で溶ける事もなく降り積もった雪が、とうの昔に事切れているのを示している。
そうと理解しながらも、少女の顔には何の感情も浮かばない。
小さな生命に対する憐れみも、弱者に対する侮蔑も、死への本能的な嫌悪もない。
ただ、どこか不思議そうに野良猫の亡骸を見詰め続けていた。
その背中に、ふと声がかけられる。
「おい、あまり彷徨き回るなって言っただろ」
咎める声に振り返れば、少女の良く知る男がそこに立っていた。
二十代中盤くらいの大柄な男で、少女に合わせたのか真っ黒い牧師のような格好をしているが、こちらも本職ではあるまい。
全身から微かに漂う火薬の匂いや、瞳の奥に隠された鋭い光が、とても敬虔な信徒のものではなかったからだ。
十字架よりも拳銃が似合うその男は、電話中にふらりと側を離れた少女に舌打ちしながらも、その頭に積もっていた雪を手で払ってやる。
「で、何をしていたんだ?」
「これを見ていた」
問われた少女は素直に答え、足下の冷たくなった野良猫を指差した。
それが死骸だと気付いた男は、特に眉を動かす事もなくさらに問う。
「で、こいつをどうしたいんだ?」
「どうにかするべきなのか?」
心底不思議そうに首を傾げ、問い返してきた少女に、男は面食らい眉を動かしたが、直ぐに諦めた様子で口を開いた。
「可哀想に思うなら、埋葬してやれと言っているんだ」
「埋葬……土に埋めるんだな?」
「あぁ、そういう事」
肯定してやると、少女は納得した様子で頷いたが、直ぐにまた首を傾げた。
「埋葬しなかった場合、これはどうなるんだ?」
「さあな、公園の管理人が生ゴミとして捨てて、焼却炉で燃やされるんじゃないか」
「…………」
男の投げやりな説明を聞き、少女は僅かに考え込んでから再び問う。
「土に埋めるのと火で燃やすの、そこに何の違いがあるんだ?」
微生物に分解されるのも、炎で消却されるのも、死骸を処分するという意味においては何の差もないのに。
土葬に拘る宗教家が聞いたから、顔を真っ赤にしそうな台詞を、少女は平然と吐く。
それを聞いた男の方は、特に呆れも叱りもせず、真面目に答えてやった。
「違いなんてねえよ。埋めようが焼こうが捨てようが、猫は喜びも怒りもしねえ。もう死んじまってるからな」
死者は何も言わない。それでも、手厚い埋葬が尊ばれる理由なんて一つだけ。
「死体を処理する側、生きている人間の自己満足だよ」
可哀想な猫を埋めてあげるなんて、私はなんて優しい人間なんだろう。
無視して呪われたりしたら嫌だ、仕方ないが埋めてやろう。
そんな心の安定を得るために、人は土を掘り死を埋めてきた。
美辞麗句で飾り立てる事はせず、あっさりと言い捨てた男に、少女はただ小さく頷いた。
「分かった」
そう言ってしゃがむと、野良猫の死骸を右手で掴み上げ、左手で死骸のあった場所を掘り始めた。
少女の左腕には何故か、中世の騎士を思わせる金属製の小手が填められていて、それはショベルのように容易く土を掻き分け、あっという間に小さな穴を作り出す。
そこに野良猫を入れ、土をかぶせ蓋をする。
一連の作業に男は何も言わず、ただタバコをふかし見守っていた。
「埋葬とは、これで合っているのか?」
「あぁ、野良猫にはそれで上等だろ」
立ち上がり首を傾げた少女に、男は頷き返してやる。
墓碑も花もないただの土饅頭だったが、埋葬したという事実には変わりない。
「で、満足したか?」
「……分からない」
タバコの煙を吐く男に、少女は暫し沈黙した後そう答える。
その整った顔に、何らかの感情が浮かぶ事はやはりない。
ただ繰り返し、首を傾げるだけだった。
「この世界は、不思議で分からない事ばかりだな」
「お前にだけは言われたくねえけどな」
おかしなジョークでも聞いたように、男は喉を鳴らして笑った後、吸っていたタバコを律儀に携帯灰皿に捨てて歩き出す。
「行くぞ、仕事の時間だ」
「分かった」
実に明確で疑問の余地のない言葉に、少女は深く頷き返し男を追った。
その後ろで、出来たばかりの土饅頭には雪が降り積もり、もうどこにあったのかさえ分からなくなっていた。
◇
セントポール市の北東にあるハイスクール。
そこの生徒達は全員、平日の昼前だというのに帰宅を言い渡されていた。
追い出されるように学校から去る彼らは、揃って納得しきっており、誰一人として突然の休校を咎める者は居ない。
ただ、全員の顔に「またか」という諦めにも似た、形容のし難い恐怖が浮かんでいる。
休校の原因は校舎の男子トイレにあり、そこは今『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープで封鎖されていた。
「酷いな……」
セントポール市警の巡査部長、バーナード・ブライトマンはそう呟き、問題となった個室の惨状に顔をしかめる。
便座には一人の青年だったものが座っており、その頭部は赤と茶色のまだらとなって、壁や床の模様となっていた。
「うぐっ……!」
床に転がっていた眼球と目があったのか、新人の部下が嘔吐を堪え洗面台に走ったのを、バーナードは叱ろうとしない。
それほど酷い死体だったのだ。
「酷いな……」
同じ言葉を繰り返しながら、バーナードは凶器に目をやる。
S&W・M500SE、世界最強の威力を目指すためだけに作られた回転式拳銃。
過剰すぎるそのパワーは、発射の反動を楽しむためであり、最早人間に向けるべきものではない。
なのに、青年の頭部に弾丸を吐き出し、跡形もなく砕いたその無慈悲な銃は、本人の冷たくなった両手に今も固く握りしめられている。
それは被害者が加害者でもある事――つまり自殺である事を示していた。
「検死を呼ぶまでもないか」
バーナードは血と脳漿で汚れた青年の体をじっくり観察するが、何者かと争った様子や、縛られていた痕跡は窺えない。
調べてみないと断言は出来ないが、凶器の拳銃からは本人の指紋しか検出されまい。
誰がどう見ても自殺。
だからこそ、バーナードは舌打ちを鳴らす。
「気に入らねえな……」
思わずポケットからタバコを取り出したが、流石にくわえただけで火は点けない。
自殺と誰もが断言し、他殺を示す証拠など一つもないこの事件に、彼が納得しない理由はただ一つ。
このハイスクールで出た自殺者は、目の前の青年が初めてではないからだ。
「バーナードさん、生徒の名前が分かりました」
遺体の第一発見者でもある学校の警備員が、入り口からそう呼びかけてきて、まだ嗚咽していた新人を置いて、巡査部長はトイレから一度出る。
「何処のどいつだった?」
「十一年生のローランド・ディクソン。先生達が確認したところ、彼だけ連絡が付かなかったそうですから、おそらく……」
顔面が四散していて人相による確認は出来ないが、体型などから見て間違いないだろうと、警備員は痛ましそうに告げる。
「楽しい盛りだったろうに……」
日本の学校で言えば高校二年生、恋に部活にと一番輝く青春時代だ。
なのにどうして自殺なんかと、再び嘆く警備員を見て、バーナードは少しだけ眉を動かす。
「被害者の事を知っているのか?」
「えぇ、目立つ子でしたからね。アメフトのNO1・ランニングバックだったんですよ」
ベースボール、アイスホッケー、バスケットボール等と並び、アメリカの国技と言ってよいほど高い人気を誇るスポーツ、アメリカンフットボール。
その花形選手ともなれば、校内での知名度や人気は、下手なロックスターなど比べ者にならない。
「颯爽とした走りとスマイルで、いつも両手に女の子を抱えていましたからね。それがこんな事になるなんて……」
魅力的な笑顔が、クリチャーの如き肉塊へと変わっていた光景を思い出し、警備員はつい口を手で押さえてしまう。
「モテモテのアメフト選手か、典型的なJOCKだな」
健康的で力強い肉体と、社交的な魅力を合わせ持った学園のヒーロー。
それが、品行方正な聖人とは限らないが。
「前の二人も人気者だったな」
「えぇ、ナタリアはチアリーダー、アーノルドはバスケのセンター。どちらも皆に好かれる善い子だったのに……」
ナタリア・ブローンとアーノルド・クラプトン。
共にこのハイスクールに通っていた生徒であり、そして学内で自殺した者達だった。
チアリーダーは屋上からの投身、バスケ選手は部室での首吊り。
どちらも方法や日時は違うが、この一ヶ月以内に起きた自殺事件であり、今回のローランド青年でついに三人目となってしまった。
「人気者が揃って自殺か」
警察だけでなく、学校や遺族もその原因を必死に捜査した。
だが、何も見付からなかったのだ。
どちらも中流以上の家柄で、家族関係も際だった不和は無し。
友人も多く恋人との関係も良好、クラブ活動もこれからが山場。
勉強の成績は大して良くもなかったが、死ななきゃ治らないレベルでもない。
クスリをやったり、犯罪組織と付き合っていた様子も窺えなかった。
つまり、死ぬべき理由が何一つとしてない。
だが現実として、彼らは自ら死を選んだのだ。
他者の関わった痕跡のない、絶対に自殺と断言出来る状況で。
それが納得いかないからこそ、バーナードは再び舌打ちする。
「気に入らねえな……」
「優秀そうだが、出世しそうにない人だな」
「――っ!?」
背後から急に知らぬ声が響いてきて、バーナードは驚き振り返る。
そこには、まるで牧師のように真っ黒い格好をした男と、何故か修道女のような服を着た少女が立っていた。
校内に人を入れないよう、警備員の仲間に頼んでいたはずだが、どうやって侵入してきたのか。
そもそも、まだニュースにすらなっていない自殺事件を、どこから嗅ぎ付けてきたのか。
「悪いが、葬式なら捜査が終わった後にしてくれ」
本物の牧師とシスターとは思えない、明らかに胡散臭い人物だったが、ともかく追い返そうとしたバーナードの眼前に、男は懐から取り出した手帳を突き付ける。
そこにはデカデカと『FBI』の文字が書かれていた。
「連邦捜査局だと? ハイスクールの自殺を調べに来たなんて、随分と暇なFBI捜査官も居たもんだな」
「偽物だと思うなら、本部に確認を取ってくれ」
あからさまに訝ると、男は平然とそう言い返してくる。
その自信に満ちた態度を見ても、バーナードの態度は変わらない。
「名前は――ジョン・ルーザー? 名無しの負け犬ね」
「ジェイと呼んでくれ。これでも本名だよ、名付け親がふざけた野郎だったものでね」
偽名臭い名前にまた眉をひそめると、牧師風の男――ジェイは苦笑しながら手帳を仕舞った。
「あんた達の邪魔をする気はない。現場を少しだけ見せて貰えれば直ぐに帰る」
そう言い、通してくれと視線で訴えられても、バーナードは男子トイレの前から退く事が出来ないでいた。
(仮に偽物なら、こんな疑われるような格好はしないだろうが)
手帳は本物に見えた。FBIミネソタ州支部に確認を取っても、おそらく本物だとの答えが返ってくるだろう。
(だが……何だ? こいつは警官と言うより、むしろ――)
刑事としての勘が警告を鳴らし、バーナードが無言で睨み続けていると、彼の前にシスター服の少女が歩み出て口を開く。
「エル・イリム・ワン」
「えっ?」
「イリムでいい。貴方は?」
「お嬢ちゃん、何を――」
戸惑うバーナードを、少女――イリムは人形のように感情の窺えない、だが真っ直ぐな瞳で見上げる。
「名乗ったら、名乗り返して貰えるものだと思ったが、違うのか?」
「いや、違わないが……」
「そうか、では貴方の名前を教えて欲しい」
「……バーナード・ブライトマンだ」
「分かった、バーナード」
イリムはそう言って、細い右手を差し出した。
邪気のない仕草に釣られ、ついバーナードも握り替えしてしまう。
(何だろうこの子は、妙に人の警戒心を損なわせる……)
人形のように美しい小柄な少女だ。
それだけでまともな感性の持ち主なら、庇護欲をそそられても無理はない。
だが、それだけでは説明出来ない、妙な違和感のようなモノを感じて、バーナードは落ち着かなかった。
(左右色違いの目で見詰められているせいか?)
そんな事を考えていると、イリムは握手していた手を解き、彼の横をすり抜けてしまう。
「では、邪魔をする」
そこが男子トイレであり、惨たらしい事件現場であるというのに、欠片の躊躇もない様子で。
「おい、入っちゃ駄目だ!」
事件現場の保存云々よりも、子供にあんな死体を見せたくないという常識的な思考で、バーナードは少女を止めようとする。
だが、そんな彼の肩をジェイの手が掴む。
「申し訳ないが通してくれ。あいつも俺と同じFBIなんでね」
「そんな馬鹿なっ!?」
子供が天下の連邦捜査官などとは聞いた事もない。
デタラメも大概にしろと吠えかかるバーナードに対し、ジェイはあくまで冷静だった。
「本当だ、悪い冗談にしか聞こえないのは分かるが……むしろ、あいつが本命で俺はただの子守さ」
最後だけは小声で、後ろで目を丸くしている警備員に聞こえないよう、巡査部長の耳元で囁く。
「何だとっ!?」
「ちょっと君、どこから入って来たんだ!?」
バーナードが目を剥くのと同時に、トイレの中から狼狽した大声が響いてくる。
慌てて中に入った彼の目に映ったのは、凄惨な事件現場を平然と見詰める修道服の少女。
そして、彼女を追い出そうとする、先程まで嘔吐していた部下の姿。
だが、大の男が肩を掴み押しているのに、少女は床に根でも生えたかのように微動だにしなかった。
「バ、バーナードさん、この子を何とかして下さい!」
「いや、その子は……」
泣きついてきた部下に、バーナードも何と言ってよいか迷っているうちに、少女はフイッと死体から目を逸らし、ジェイの元へ戻ってしまう。
「散らばっていた脳に、少しだが痕跡を感じた。間違いないだろう」
「やはりか、つまらねえ事をしてくれる」
イリムの報告を聞いたジェイは、乱暴な口調になって舌打ちすると、直ぐに礼儀正しい連邦捜査官の仮面を被り直し、バーナード達の方を向いた。
「お邪魔しました、我々はこれで失礼致します」
「おい、待てっ!」
バーナードが引き止めても、奇妙な二人組は耳を貸さす、背を向けさっさと立ち去ってしまう。
追いかけるべきか? だが、追い付いて何を聞けばいい?
そんな疑問に足を縛られ、立ち尽くすバーナードに、新人の部下が問い掛ける。
「あいつら、何だったんですか?」
「こっちが聞きてえよ……」
奇妙な連続自殺と、その現場に現れた奇妙な男と少女。
これだけ揃って、事件が普通に終わる事だけはないだろう。
それだけは、今のバーナードにも理解出来た。
◇
事件の翌日にはもう、ハイスクールは通常どおり開校していた。
ローランド・ディクソンの死は自殺であり、事件性はないという結論が出たからだ。
通夜の席は三日後と決まり、その間までに出来る事など、嘆き悲しむくらいしかなかったから、学校側を冷淡と責める者は居なかった。
とはいえ、人気アメフト選手の突然の死、しかも三人連続で自殺という事実は、年頃の少年少女達に暗い影を落としていた。
登校して行く生徒達の数は、普段よりも明らかに少ない。
その光景を、ハイスクールの斜め向かいにある喫茶店から眺めている者達が居た。
「ジェイ、この黒いお湯はなんだ」
湯気を立てるホットコーヒーに口を付けたイリムは、珍しく人形めいた表情を動かし、隣の連れに問う。
「温かいが、ちっとも美味しくない。不良品ではないのか?」
「コーヒーはそういう飲み物なんだよ。だからミルクにでもしておけと言っただろう」
「むぅ……」
呆れ顔で諭されたイリムは、不服そうに唇をすぼめる。
そして、もう一度だけコーヒーを口に運び、やはり顔をしかめるのだった。
「やはり美味しくない。こんな物を喜んで飲むなんて、お前達の舌はどうかしている」
「左様ですか」
子供の戯言は華麗に無視し、ジェイはブルーマウンテンの香りを楽しむ。
その横に座った男は、微笑しながら手元の小瓶をイリムの前に置いた。
「砂糖を入れるといい、少しは飲みやすくなるよ」
「うん、助かる」
優しいその声に従い、イリムは小瓶から山盛りの砂糖をすくう。
ジェイはそれに胸ヤケを覚えながら、改めて隣に座った男の方を見た。
「で、何であんたがここに居るわけ?」
「何を疑問に思う事がある?」
もう礼儀正しいふりを止めたジェイに、隣の男ことバーナード・ブライトマンは皮肉気に言い返した。
「自分のシマに怪しげなFBI捜査官様が居て、注意しない方が警察官として問題あると思うがね」
「そりゃあごもっとも」
ぐうの音も出ない正論に、ジェイは反論できずお手上げする。
とはいえ、バーナードに張り付かれたままだと、今後の行動に支障が出る。
この巡査部長様をどう追い払うかと、ジェイが一人頭を悩ませていると、砂糖たっぷりのコーヒーを飲んで機嫌を直した様子のイリムが、ボソリと呟いた。
「ジェイ、バーナードに話しては駄目なのか?」
「駄目に決まっ――いや、そうだな」
イリムの提案を一蹴しようとしたジェイだが、ふと考え込んだかと思うと、携帯電話を手に席を立った。
店の外に出て話すこと数分、戻ってきた彼はぬるくなったコーヒーを飲み干すと、腹を決めた様子でバーナードと向き合った。
「本部に許可を取ってきた。あんたに俺達の仕事を説明しよう」
「ほう、それは楽しみだ」
奇妙な二人組が勝手に口を割ってくれると聞いて、中年の巡査部長は目を輝かせる。
それに一瞬、憐れみのような視線を送ってから、ジェイは静かに語り出す。
「どこから説明したものかな……まず、ハイスクールで起きた三件の自殺だが、あれは全て他殺だ」
「へー、これは驚いた」
そう口にしながらも、バーナードの顔に驚愕はない。彼もそれを疑っていたのだから。
「俺達は合法非合法を問わず入手した情報の中から、今回のように不可解な事件を追っている」
「不可解な事件を追うFBI捜査官ね。まさか所属はXファイル課か?」
「……宇宙人に遭った事はないな」
昔流行ったテレビドラマを思い出し、バーナードが茶化すように言うと、ジェイは微妙な沈黙のあと自虐的に笑った。
「約一ヶ月前のアーノルド・クラプトン、二週間前のナタリア・ブローン、同じハイスクールで動機が全く不明の自殺が二件。それを本部の奴らが不審に思ってね、外れかもしれないが念のためにと、隣のウィスコンシンで仕事を終えた俺達が、様子を探るよう言われて来てみれば、タイミング良く――と言うと故人に申し訳ないが、三件目の自殺が起きたのが昨日の事だ」
「それで現場を訪れたと」
彼らがここに来た理由は分かった。だが、まだ肝心の話がされていない。
「あの、どう見ても自殺としか思えない事件を、何故他殺と判断したんだ。それを聞かせて貰おうか?」
動機が無いという一点を除いて、三つの事件は完全に自殺だという証拠を残している。
凶器に残った本人の指紋、争った傷痕や薬物使用の形跡がない遺体、死亡時刻の目撃証言。
どれもが完璧で、だからこそ疑わしいという陰謀論者のような難癖以外、つける隙がまるでない事件。
それを誰が、どうやって殺したのか。
探偵小説に出てくる意地悪な刑事のように、人の悪い笑みを浮かべるバーナードに、ジェイは空になったコーヒーカップを見詰めながら答えた。
「『誰か』は運が良ければもう直ぐ分かる。『どうやって』は既に分かっている」
「ほう、どんなトリックを使ったのかな?」
「簡単だ、『死ね』と命じられたのさ」
「……はぁ?」
端的で分かり易い、だがあまりにも馬鹿げた答えに、バーナードは開いた口が塞がらなかった。
「冗談は顔だけにしろって、昔ドラマで言ってたぞ。どこに『死ね』と言われて素直に死ぬ奴が居る?」
「『死ね』と言うだけで、自殺させられる奴が居るのさ」
「犯人はマフィアのボスだとでも言うつもりか? それとも催眠術? 嘘ならもっとマシな――」
「催眠術か、いい勘をしてるじゃないか」
嘲るように言ったその単語に、何故かジェイは瞳を光らせる。
その鈍く怖気を覚える色は、とても冗談を言っているようには見えなかった。
「おい、まさか――」
本気で言っているのか?
そう問おうとしたバーナードは、今になってふと気付く。
黙ってコーヒーを飲んでいた修道服の少女、イリムの姿が消えていたのに。
「また勝手に彷徨きやがって、あの馬鹿!」
ジェイも遅れて気付き、怒声を上げて辺りを見回す。
そして直ぐに見つけ出す。喫茶店の向かいにある歩道、ハイスクールへと至る道で、一人の生徒を掴む少女の姿を。
「支払いは任せるぜ」
「おい、ちょっと待て!」
勝手な事を言い残し、ジェイが走り去ってしまったので、バーナードは仕方なく三人分の飲食代を支払ってから、彼の後を追う。
イリムに腕を掴まれていたのは、十六歳くらいの細い少年だった。
顔立ちだけでなく、全身の仕草から幼さと軟弱さが滲み出ており、如何にもイジメられっ子のオタクといった風情だ。
そのギーク少年は、コスプレめいた格好の少女に掴まれ、声を荒げ抵抗している。
「は、放せよ、授業に遅れるじゃないか!」
変わった格好とはいえ、人形のように美しい少女と接触しておいて、口説き文句よりも勉強を優先させる彼を真面目と褒めるのは、同じくクソ真面目な日本人くらいなものだろう。
冷やかしの視線を浴びせ、通り過ぎていく他の生徒達を余所に、ジェイは険しい顔で少年を睨み、連れの少女に問い掛けた。
「こいつなのか?」
「そうだ」
イリムの答えは、至極簡素だった。
「こいつがあの三人を殺した」
「――っ!?」
突然、殺人犯呼ばわりされた少年の顔が、驚愕や戸惑いではなく、鋭い恐怖に歪んだ事こそが、バーナードには不思議で仕方がなかった。
◇
セントポール市警察の署内にある、取調室の一つ。
その中にイリム、ジェイ、バーナード、そして問題のギーク少年の姿があった。
「こ、これは不当逮捕だ! 弁護士を呼んでくれ、絶対に訴えてやるからな!」
「分かった、分かったから落ち着いてくれ」
ジェイの手で無理矢理連れてこられた少年は、キャンキャンと犬のように吠え続け、バーナードは頭を抱える。
(本当に訴えられたらどうするつもりだ? しかし、署長も署長だ)
いったいどんな根回しを済ませていたのか、FBIの手帳を見せたジェイが、取調室の一つを借りたいと言い出すと、セントポール市警察の署長直々に許可が下りたのだ。
しかも、容疑者の権利を守るためにと、必須となっている監視カメラや、取調官の安全を守るための、マジックミラー越しに見守る随伴も無しにだ。
即ち、今この場は外からの目が届かない、完全な密室となっている。
(未成年者を相手にこんな真似をしでかしたとなれば、それだけで保護者や人権団体から袋叩きだ)
それほどのリスクを背負って連行したというのに、その決め手が修道女姿をした不思議な少女の申告のみ。
(こんなガリガリの坊やが、どうやって三人も自殺に追い込んだっていうんだ?)
むしろ、彼の方が三人に虐められて、自殺したという方が納得出来る。
いったいどうするつもりかと、バーナードが責めるような視線を向けるなか、ジェイは連行した時とはうってかわって、気安げに話し出した。
「いきなり連れて来て悪かったな少年、ちょっと話を聞かせて貰いたかっただけなんだ。俺はジョン・ルーザー、これでもFBI捜査官だ」
「ジョン? 変な名前だな」
「よく言われるよ。それで、最近自殺した三人の事について、何か知ってたら教えてくれないか?」
「あぁ、あいつらの事か」
自殺者達の方に話を振った途端、少年の顔に蔑みの表情が浮かぶ。
「アーノルドは脳味噌まで筋肉の大馬鹿野郎、ナタリアは顔が良ければ誰とでも寝るビッチ、ローランドも同じ様なもので、寝た女の数くらいしか自慢出来ないクソ野郎さ」
「ジェイ、ビッチとはどういう意味――」
「ほー、そいつは俺の聞いた話とは違うな」
スラングを尋ねようとしたイリムの口を、ジェイは手で塞ぎながらわざとらしく驚く。
「三人とも優秀なスポーツ選手で、皆から大人気だと聞いていたが?」
そう告げると、少年は心底嫌そうに鼻を鳴らした。
「はっ、運動が出来たから何だって言うんだ。どうせあいつら程度じゃ、NFLやNBAの選手になんか成れやしない。卒業すればあんな筋肉ダルマ共、社会の邪魔になるだけさ」
「あぁ、君の言う通りだ」
人気者への僻みとしか聞こえないその言葉に、ジェイは深々と頷いてやる。
「プロのスポーツ選手に成れる奴なんて、ほんの一握りだけだ。他は全員普通の会社勤めになって、ボールで遊んだり女と腰を振る前に、テメエのちっぽけな脳味噌を鍛えておけば良かったと後悔するハメになるだろう」
「そうさ、結局は僕らみたいに頭の良い奴らが勝つ。世界はそう正しく出来ているんだ!」
初めて認められたというように、少年は顔を輝かせたが、直ぐに俯き舌打ちする。
「なのに、奴らは僕を馬鹿にしやがった……オタクだガリ勉だと、小突き回し、服を脱がし、笑い者にしやがったんだ!」
肉体的な優位性、暴力という分かり易い力を持ち、人気という権力を得た者達が、自分達が持たないモノ、理解出来ないモノに傾向する少数を、弾圧し迫害し愉悦に浸る行為は、有史の以前から続き、そして未来永劫消える事はないだろう。
だが、今問題にしているの、人の罪深さではない。
「なるほど、あの三人はそんなに酷い奴だったのか」
「あぁ、最低のファック野郎共さ!」
誇らしげに断言する少年の肩を、ジェイは優しく叩き――
「――だから、お前が殺したんだよな?」
凍えるような冷たい目で睨み付けた。
「ひっ……!」
「イジメられっ子の復讐ね。気持ちは良く分かるし、世間体やら周囲のために、泣き寝入りしてろなんて言うつもりもねえさ」
優しくそう言いながらも、ジェイの手は怯える少年の肩に強く食い込んでいく。
「だからってな、殺していいなんて理屈は通らねえんだよ」
「は、放せ、本当に訴えるぞ!」
「おい、よせ!」
少年の悲鳴で我に返ったバーナードは、慌ててジェイの手を引き剥がす。
「この子に三人を殺す動機があったのは分かった。だが、どうやって殺したんだ? あれはどう見ても自殺だったんだぞ!?」
ミステリーでもよく引き合いに出される三つの要点。
Who(誰が)、How (どうやって)、Why(何故)殺したのか。
その中のHow(どうやって)が説明されない限り、犯罪者として起訴する事も、裁判で陪審員を納得させる事も出来ない。
他殺と考えた場合、最大の障害として立ち塞がる謎。
それを引き合いに出され、怯えていた少年も強気を取り戻す。
「そ、そうだ、僕がどうやってあいつらを殺したっていうんだ! 確かに、僕はあいつらを憎んでいたさ。ハッキリ言って、死んでくれて清々してるよ。でも、僕に殺せたはずがない。あいつらは全員自殺だったんだから!」
「……この子の言うとおりだぞ」
自分を虐めていた相手とはいえ、人の死を嬉々として語る少年に、バーナードは嫌悪を抱きながらも同意する。
そんな巡査部長に、ジェイはあっさりとカラクリを語る。
「さっきも言っただろう、『死ね』と命令したんだよ。絶対に逆らえない『力』を込めてな」
「だから、そんな催眠術みたいなモノがある訳ないだろっ!」
ふざけるなというバーナードの怒声が響き渡った途端、取調室の中は冷たく静まり返った。
「…………」
ジェイもイリムも何も言わず、ただ真面目な顔で、常識を語る巡査部長の目を見詰め続ける。
その視線に含まれた意志を、バーナードは理解してしまう。
「あると、言うつもりなのか……?」
人を言いなりにする術が、操り人形にしてしまう方法が。
オカルトと一蹴されてきたそれを、天下のFBI捜査官が認めるというのか。
「狂ってる!」
そう吐き捨ててしまったバーナードは、至極正常だと言えよう。
だが、正常とは所詮『圧倒的に数が多い狂気』でしかなく、常識とは『大多数がそう思い込んでいるモノ』でしかないのだ。
そして、この事件を起こした者は、正常とも常識とも遠い所に居たのだった。
「俺達はひとくくりに『魔術』と呼んでいる」
そう前置きしながら、ジェイは懐から拳銃を取り出す。
「科学では解明出来ていない、オカルト呼ばわりされているパワー。それを使う者達を『魔術師』と呼んでいる」
グロック18、連射機構を搭載した、公的機関にのみ販売されている機関拳銃。
「魔術師達が犯罪を行った場合、当然の事ながら普通の警察では検挙出来ない」
拳銃のスライドを引き、薬室に弾を送り込む。
「だが、そういった犯罪者が横行していると、ただ静かに研究をしていたい魔術師や、国家に利益をもたらしている魔術師まで、肩身が狭くなってしまう」
安全装置も解除し、引き金に指をかける。
「だから、魔術師達は団結し、自分達が無害である事を証明するために、邪悪な同類を狩る組織を作り上げた」
そしてジェイは、何時でも人を殺せるようになった銃を少年に向け。
「その組織に雇われた兵隊蟻が俺達、『黒犬』なのさ」
躊躇なく引き金を引いた。
パンパンパンパンパン。
バーナードが止める間もなく、乾いた音が連続で鳴り響く。
人体を容易く貫く9㎜パラベラム弾。
少年の眉間に向けて放たれた五発のそれは全て、彼の頭蓋骨ではなく、その横にある取調室の壁に穴を空けた。
「なっ……!?」
バーナードが声を失うのも無理はない。
ジェイの銃口は先程から変わらず、少年に向けたままピクリとも動いていない。
ならば、この距離で外す訳がない。
しかし、弾は全て外れた。
まるで、銃弾が見えない力に押され、軌道を変えたかのように。
「『矢避け』ならぬ『弾避け』の護符……銃社会を生きる魔術師なら当然準備しているよな?」
当たらぬ事が分かっていた様子で、ジェイは人の悪い笑みを浮かべる。
それを受けた少年は、急に怯えた態度を消し、邪悪に――それこそ童話に出てくる悪い魔法使いのように笑い、その呪文を唱えた。
「――『悪魔王サタンの名において命ずる。汝ら自害せよ』」
鼓膜が声を拾い上げ、脳が意味を理解した瞬間、バーナードは懐から愛用の拳銃を引き抜いていた。
自殺しろ、自殺しなければならない、自分は死ぬべきなのだ。
声が繰り返し頭の中で響き渡りで、「何故?」なんて疑問は浮かばない。
まるで操り人形にでもなったように、彼の意志は真っ白に消え、ただ腕が銃口をこめかみに運び、指が引き金を引く。
バンッ!
乾いた音が鳴り響き、バーナードは意識を取り戻した。
「私は、何を……!?」
自分のしようとしていた事が全く信じられない。
彼は今、間違いなく、何の理由もなく、自殺しようとしたのだ。
銃弾は彼の頭蓋骨ではなく、天上に穴を空けていたが、それはシスター服の少女が素早く、拳銃を蹴り払ってくれた御陰だった。
「バーナード、今のが魔術だ」
「少しは信じる気になったか?」
イリムは平然とした顔で、耳を両手で押さえたジェイは、目眩を堪えたような様子で断言する。
今の強制的な自殺願望こそが、彼の否定したオカルトであり、三人の少年少女を殺した凶器だと。
「そんな、本当に……」
自分の身で体験しながらも、直ぐには認められなかった巡査部長を、頑固と責めるのは酷だろう。
そして今は、彼の価値観をゆっくり変えている場面でもない。
「何故だ、何で死なない!?」
三人の内一人しか自分の命令を聞かず、しかもそれが防がれて、激しく動揺する少年に、ジェイは呆れきった顔を向ける。
「お前、独学で魔術を身に付けただろ? その才能は大したもんだがな、調子に乗って周りが見えていないんだよ。特別な力を持っているのは、何もお前だけじゃない」
「うるさいっ! 『悪魔王サタ――」
パンパンパンパンパンッ!
少年が再び呪文を唱えるのに合わせ、ジェイが銃を乱射する。
弾丸はまたも不思議な力に弾かれ、少年に当たる事はなかったが、銃声に遮られた彼の呪文もまた、殺そうとした三人には届かなかった。
「『呪言』だの『言霊』だのと呼ばれる、言葉で相手を操る洗脳系の魔術は、声が相手に届かなきゃなんの効果もない。俺みたいな普通の人間でも、こうやって簡単に防げるのさ」
「ぐっ……」
自分の知らなかった弱点を晒されて、少年は歯を軋ませる。
だが、彼の優位はまだ揺るがない。
『弾避け』以外にも、身を守る術を持っていたのだ。
その最たる物が、腰のポシェットに収まっている小さな人形『身代わり人形』だ。
それは名前通り、彼に加えられた危害を引き受けると共に、危害を加えてきた人物に、その痛みを送り返すという呪いの人形だった。
二度とイジメの標的にはされたくないという、少年の恐怖が生み出した結晶。
それで身を守りこの部屋から抜け出し、他の警察官に無害な子供のふりをして泣きつけば、この場から逃れるのは容易い。
(呪言が効かないなら、あいつらを殺した時のように、生け贄と魔法陣も用意して、入念に呪い殺してやるだけだ!)
必ず復讐してやると誓い、出口へ駆け寄ろうとする少年。
そんな彼に、ジェイは親切にも忠告してやった。
「で、俺は普通の人間だがな、そいつは普通じゃねえんだよ」
「えっ?」
誰が、と問う間もなく、青い風が駆け抜けていた。
一瞬で目の前に立っていた、人形のように美しい少女。
その細い体には不釣り合いな、厳つい金属の小手に包まれた左腕が、少年の腹を目がけて突き出される。
(馬鹿め!)
身代わり人形の呪いを受け、悶え苦しむがいい。
そうせせら笑った少年の前で、鈍く光る小手は彼の腹ではなく、腰のポシェットを掴み引きちぎる。
「……えっ?」
唖然とする少年に、全てを見透かす色違いの瞳を向けながら、イリムは中の人形ごとポシェットを握り潰す。
壊れた人形に、最早彼を守る力はない。
だから、イリムが続けて放った右拳は、何に阻まれる事もなく少年の腹を抉った。
「ごはっ……!」
小柄な体から生み出されたとは思えない、異常なパワーで殴られ、少年の体はくの字になって浮き上がり、そして床に転がった。
「がっ……げはっ……!」
声も出せないほど咽せる少年を、イリムは哀れみも蔑みもせず、淡々と彼の体に手を伸ばし、弾避けの護符やルーン文字の描かれた札を剥ぎ取っていった。
「ジェイ、終わったぞ」
「ごくろうさん」
無力化を終え一歩退いたイリムに、ジェイは礼を言って頭を撫でたあと、いまだ悶え苦しむ少年の体にのし掛かった。
そして、拳銃を仕舞ったかと思うと、替わりに透明なプラスチックケースに入った、小さな注射器を取り出した。
「こ、殺す気なのか……?」
絞り出すようなバーナードの声を聞き、少年の背が恐怖に震える。
「ぼ、僕はまだ、十六、歳だぞ……死刑は、最高裁が禁止……!」
まだ引かない激痛で喉を詰まらせながら、必死に訴えてきた命乞いに、ジェイは再び呆れきった表情を向ける。
「お前、魔術なんて法で裁けないモノに手を染めた奴が、法に守って貰えると思っているのか?」
「ひいっ……嫌だ、死にたくないっ!」
泣き喚き暴れようとした少年の頭を、ジェイは容赦なく押さえ付け、その首筋に取り出した注射器の針を向ける。
「あの三人だって、死にたくなんてなかっただろうよ。だが、お前が殺したんだ」
彼らがイジメを行っていたとか、その標的として辛い思いをしていたとか、それは最早関係ない。
「お前は殺したんだよ、続けて三人も。一人目で罪悪感を覚える事も、二人目で後悔する事もなく、より惨い死体を晒すような方法で、三人目も自殺させたんだ」
それこそが罪。
魔術という力ではなく、手に入れた力を平然と使い、人殺しを躊躇なく繰り返してきた性分こそが、許されざる邪悪。
「罪人にも改心の機会と時間を与えてやるのが、現代の法治国家ってもんだ。だがもう一度言う、魔術なんてモノに手を出した奴を、法は守りやしない」
ナイフや拳銃のような凶器は、取り上げればそれで片が付く。
だが、身で覚えた格闘技と同じように、脳に刻まれた魔術は奪いようがない。
格闘家は普通の警官でも抑え込める。だが魔術師は違う。
常識を越える力を持った犯罪者は、殺すしか治安を守る方法はないのだ。
「そんな事にも思い至らない、想像力に欠けたガリ勉に生まれたのが、お前の不幸だよ」
「嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だあぁぁぁ―――っ!」
自分の死という逃れられぬ事実を、ただ拒絶し続ける少年の首に、ジェイは注射器の針を刺す。
流し込まれた薬が効くまでの数分間、取調室には悲痛な叫びが木霊し続けた。
「……こうするしか、なかったのか?」
静まり返った部屋の中、恐怖を張り付かせたまま固まった、少年の死に顔を見る事も出来ず、バーナードは声を絞り出す。
今さっき、自分も殺されかけたばかりだというのに、そんな甘い事を口にする巡査部長を、ジェイは笑ったりはしなかった。
「ないな。詳しい説明は省くが、魔術を使えるという時点で、そいつは常識なんてものに頓着しない性格破綻者なんだ。その人格を無害な聖人君主にするなんて、洗脳したって無理だ」
そして、檻の中に閉じ込めた程度で安心出来るほど、魔術師は甘くない。
だからもう、殺すしかないのだ。
そう言い捨て、ジェイは携帯電話で何処かにメールを送る。
「十二時間以内に俺の同僚を名乗る奴らがきて、遺体を上手く『処分』してくれるから、それまで署の連中に見付からないよう、あんたが見張っていてくれ。ここの署長には話を通してあるから、うるさく言われる心配はない」
そう言い残し、出口へと向かうジェイに、バーナードは最後の問いをぶつける。
「何故、これを私に教えた?」
魔術――オカルトと馬鹿にされ、存在を否定されている力。
それは国家規模どころか全世界規模で、情報統制されてきたからこそ、存在しないモノと思われているのだろう。
なのに、それを一介の刑事に明かした理由は何か。
その問いに対する答えは、実にシンプルだった。
「真実を知りたいと、俺達につきまとってきたのは、あんたの方だろう?」
「――っ!」
「なんて、冗談さ」
目を見開き震えたバーナードを気の毒に思ったのか、ジェイは嫌味に笑ってから付け足した。
「秘密にしてはいるが、知っている奴は知っているもんだよ。特に警察や軍人なんかは職務上、魔術師の起こした事件に関わりやすいからな」
事実、バーナードがそうなった。
「ここの署長さんも知っているぜ。自分の目で見た事はないと思うがな」
「…………」
「魔術師による事件なんて、普通の犯罪と比較して、何万分の一って程度しか起きやしない。だが、あんたみたいに鼻の効く刑事なら、生涯であと一、二回は魔術絡みの事件に出会うかもしれない。だから教えておいた」
沈黙するしかないバーナードに、ジェイは不吉な予言と共に、一枚の紙切れを手渡す。
「もし、魔術絡みの事件だと思ったら、ここに連絡してくれればいい。俺達が駆け付けよう」
死んでなければな――と、裏世界の者に相応しい、重いジョークをそえて。
「言うまでもないが、この事は他言無用だ。もっとも、言ったところで誰も信じやしないから、酒で口を滑らせたからといって、黒服の男達が尋ねて来たりはしないから安心してくれ」
そう言い残し、今度こそ扉を開け取調室から出て行った。
イリムもその後に続き、警察署を出てから不意に呟く。
「ジェイ、あれは埋葬しなくていいのか?」
雪に埋もれた猫の時と、まるで変わらぬその口調に、ジェイはタバコをくわえながら軽く答える。
「あんなガキ、お前が埋めてやる価値なんてねえよ」
「そういうものか?」
「そういうもんだ」
不思議がる相方に、ジェイは頷き返しタバコに火を点ける。
その横で、イリムは何度も小首を傾げるのだった。
「やっぱり、この世界は分からない事ばかりだな」
呟き見上げた空は灰色に曇り、昨日と同じ様な白い粉雪を降らせ始めていた。
後日、ある少年が自室で首を吊っているのが発見され、長き悲しむ家族を余所に、彼の通っていたハイスクールでは様々な憶測が流れたが、それはまた別の物語。