3−5−3
今日の授業が終わった。
正直、何が行われていたのか全く覚えてなかった。確か、今日は体育もあったはずなのに。
龍一はのろのろと立ち上がる。
それをみて杏子が口を開きかけ、
「榊原、ちょっと顔貸しなさい」
それを遮ってこずもが言った。
「……今?」
「今に決まってんでしょ。来なさい」
強引に龍一の右手を取ると歩き出す。ずるずるとひきずられるようにそれについて行く。杏子ですら驚いたような顔でそれを見ていた。
人通りの少ない、屋上に続く階段前の廊下。
龍一はこずもから少し視線を逸らし、こずもはそんな龍一を腕を組んで睨みつけていた。
「巽から聞いた」
「え?」
「あんたの好きな人が治る見込みの薄い病気で、あんたは自分が役立たずだと嘆いている」
言われた言葉あまり間違っていなかった。
「うん、まあ……」
「あのさ、あんたがそんなに落ち込んでいてどうするの? 今、一番つらいのはあんたじゃないでしょう?」
そんなこと分かっている。言われなくたってわかっている。だけど、
「海藤さんに言われることじゃない」
言った言葉は、自分が思ったよりも弱々しかった。
「あのね、うざいのよ」
ため息まじりに言葉を吐き出す。
「あんたが落ち込んでるでしょ、それで杏子も落ち込んでるでしょ、周りがあんたらを気遣ってるでしょ、もうね、今日一日教室の空気最悪なのよ!」
早口にまくしたてる。
「こっちとしてはね、快適な教室環境を望む権利があるのよ。なんか文句ある?」
挑む様に言われる。何かが間違っている気がしたが、何も言えなかった。黙って首を横に振る。
こずもが小さくため息をつき、少しだけ微笑んだ。
「榊原、急に医学部に行くとか言い出して、担任ともめてたでしょ?」
「なんで、それ」
「知ってるわよ。HR委員をなめんじゃないわよ」
言ってこずもは小さく笑った。
「それ、その人のためなんでしょう?」
「……ためっていうか、役に立ちたいっていう自分のためだけど」
「そういう細かいとこはどうでもいいのよ」
みみっちい男ねー、とこずもは眉根を寄せた。
「ともかく、あんたはその人のこと大切なんでしょう? だったら、どんな理由があろうとも、こんなところで油売ってる場合じゃないんじゃないの?」
それは、そうかもしれない。でも、
「俺が行ったところで役に立つ訳じゃないし」
寧ろ、行かない方がいいのかもしれない。思い出せないと、苦しめるよりは。
「役に立つ立たないじゃないでしょ! じゃああんたはその人が自分に何かをしてくれることを求めてる訳? 違うでしょ? 居てくれるだけで嬉しいっていうのもあるでしょう?」
「それは……」
「あんた、結局甘えてんのよ。直接その人から役立たずって言われるのが嫌で、逃げてるだけでしょう。役に立たないって思うならどうにかしなさいよ、逃げてないで」
吐き捨てる様に言われる。
言葉を返せない。言い返したい事は沢山あった。でも、それよりも納得してしまった自分が居る。確かに、逃げているのかもしれない。
「わっ」
こずもが珍しく高い声を発する。どん、と彼女の背中に何かが体当たりした。
こんなことをするのが誰なのかは、考えるまでもなくわかる。
「杏子、ちょっと今大事な話を……」
振り返ったこずもは、幼なじみのいつもと違う様子に眉をひそめた。
「杏子?」
「榊原君、はやく行きなよ」
こずもの背中に顔を埋めるような形のまま、杏子は言う。
「その人、榊原君のこと待ってるんでしょ? はやくいってあげなよ」
「西園寺さん?」
「杏子……」
「それで明日は、元気な顔を見せてよ」
こずもの背後から少しだけ顔を出すと、早口でそう言い切った。
「……」
龍一はしばらく黙ってそれを見ていたが、少しだけ口角をあげ、
「ありがとう、西園寺さん、海藤さん」
ゆっくりと歩き出した。その場を立ち去った。