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調律師  作者: 小高まあな
第四章 有声慟哭
88/157

3−4−2

 ばたばたと人が走り回る音がする。

 改めて自分は役に立たないという事を思い知った。

 邪魔にならないところを探して、結局縁側に腰を下ろした。目の前に大きな木がある。

 少しずつ日が暮れて行く。

 円や直純や、翔はどこにいるんだろう。

 俺は役に立たない。

「龍一君」

 呼ばれて、振り返る。

 円が、やっぱり困ったような顔をしてこちらを見ていた。

「龍一君、何かあったら連絡するから、そろそろ……」

「泊まっていっちゃ、だめですか?」

 咄嗟にそう答えていた。

 円は黙って龍一の顔を眺め、小さく微笑んでみせた。

「ちゃんとお家に連絡しなさい」

「はい」

「何かあったらちゃんと言うから、ちゃんと休みなさい」

「……はい」

「それなら、いいわよ」

 そういうと軽く龍一の頭を叩いた。そしてゆっくりと立ち去って行く。

 その後ろ姿を見送り、もう一度外を見る。

 そうだ、家に連絡しないと。そろそろ夕飯の準備をはじめるだろうし。

 思って制服のポケットに手を伸ばし、

「あ、鞄……」

 慌てて出てきたから学校においてきてしまった。ケータイもその中だ。

「榊原」

 目の前に見慣れた鞄が差し出される。グリーンと灰色のメッセンジャーバック。

「巽」

「とってきた。先生には榊原が急に具合が悪くなった、ということにしておいた」

「ああ、うん、ありがとう」

 受け取る。翔は何か言いたそうに龍一の横顔をみている。

「今日さ」

 その視線を感じながら龍一は呟く。

「うん?」

「巽の家に泊まっていることにしていい?」

 翔の方を見ないまま呟く。ふっと空気の漏れる音がした。笑ったようだ。

「うん。僕はちょっと向こう行っているけど、何かあったら呼べよ?」

 言って翔は立ち上がる。

「うん、ありがとう」

 ケータイを開く。家の番号を呼び出す。

『もしもしー?』

 聞こえるのはいつも通りの少し能天気な母の声。

「あ、母さん」

『龍ちゃん? どうしたのー?』

「うん、急にごめん。今日巽の家に泊まるから、夕飯いいや」

『えー、今日はハンバーグにしたのにぃー』

「ごめん」

『……龍ちゃん、何かあったの?』

 ゆっくりと、いつもより低いトーンで言われて驚く。

「なんで?」

『元気ないわね』

 いつもふわふわしているくせに、何で今そんなこというんだろう。

『ふふ、お母さんにはわかるわよー、お母さんだもん』

 ころころと笑う声がする。

 何で今、そんなことを言うんだろう。

 なんだか泣きそうになって目を閉じる。

「なんでもないよ、大丈夫」

『……そー? 何かあったらちゃんと言いなさいね』

「うん、ありがとう」

『龍ちゃんも年頃だから色々あるわよねー』

 また能天気な声で言われる。

「母さん」

『うん?』

 なんで俺の名前、龍一なんかにしたの?

 言いかけた言葉を、飲み込む。

 それはただの八つ当たりだ。名前の由来は、龍のように強くかっこ良く、そして一番の男になって欲しいからだと昔から父が言っていた。正直、名前負けしているけれども、この名前は嫌いじゃない。

 でも、龍という言葉が、彼女を苦しめている対象が、自分の名前に入っている事を疎ましく思う。特に今。彼女自身は気にしていないみたいだけど。

『龍ちゃん?』

 だけど、それは八つ当たりだ。意味の無い八つ当たり。

「あのさ、勝手に進路変更してごめん」

 代わりに違うことを言っていた。それも思っていないわけじゃないけど。

『ああ』

 また笑い声がする。底抜けに明るい笑い声。

『別にいいわよー、龍ちゃんはずっと真面目にやってたんだし、それぐらい別に。急だったからびっくりしちゃったけど、お母さん、子どもが急に変な事言い出すのは雅ちゃんで慣れてるから』

 笑う。明るく。

 この笑い声を当たり前の物だと思っていたけれども、この笑い声が途絶えていたときも確かにあった。

「雅ほど、変な事はしないよ」

 少しだけ苦笑いする。

 大学卒業間際に妊娠して、周囲の反対を押し切って駆け落ちをした挙げ句、流産した。あの時は流石に母も笑っていなかった。

『まあ、雅ちゃんもね、あのあと信介さんにあって結婚出来てよかったんだけどね。孫の顔も見られたし』

「うん」

『龍ちゃんが選んだ事なら、応援するから』

「うん、ありがとう」

 少し話をして、電話をきった。

 沙耶は、龍一の家の事をいい家族ね、と言っていた。彼女の生い立ちは円から聞いて知っている。

 自分の家だってずっといい事ばかりではなかった。それでもどうにかやってきた。そういう普通の幸せをもっと彼女に知って欲しいと、思っていた。普通の幸せを特別な物みたいに言って欲しくなかった。もっと家に連れてきて、母親の手料理を食べさせて、そういうことも本当はしたかった。

 過去形で考えている自分に気づく。でも、もう過去の願いなのかもしれない。

 沙耶が忘れていたら、自分に出来る事なんて、きっと、もう、ない。


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