3−2−6
テーブルの上に並んだ料理の数々に、沈んでいた心が弾む。
「円姉の料理とか久しぶりなんだけど」
「そこまで喜んでもらえれば嬉しいわねー」
まんざらでもなさそうに円は微笑んだ。
夕飯は円の部屋で食べる事になった。どこかに外でご飯を食べる気分には、さっきの沙耶はとてもじゃないがなれなかった。
「それより、具合大丈夫?」
「うん」
微笑む。本当にさっきのは気のせいだったと思えた。今はとても気分がいい。
「ごめんね、我が侭で」
「それはいいけど」
まだ疑ったような顔をして、円が呟く。それを急かす。
「食べよう」
「はいはい」
「いただきます」
言って頬張る。パエリア。
「ん、美味しい」
「そ? よかった」
「急にご飯食べにきたのにパエリア作れるって円姉すごいよねー、あたし絶対無理」
「でしょ?」
にやりと笑う円に、微笑む。そういうところが、好きだ。
「高校の時は毎日こういうご飯食べてたとか、あたし贅沢だったよねー」
高校のときは一緒に住んでいた。卒業と同時に引っ越しをしたけれども。
「何? 可愛い事言うわねーどうしたの、今日」
「別に?」
首を傾げる。
「いつも通りだけど?」
「そう?」
円は変な物を見るような眼で一瞬沙耶を見て、
「まあ、本人みたいだし、何にも憑いてないみたいだし、いいけど」
言ってスープを飲み、
「んー、沙耶さ、本当に体調平気?」
「何? しつこいなー、平気だってば」
「違うそうじゃなくて……」
スプーンを置き、真面目な顔をして
「お酒、飲まない?」
「ああ、そういう……」
笑う。
「ちょっとだけなら」
答えると、嬉しそうに笑った。円の酒好きは周知の事実だ。
一緒に住んでいたときも、やたらとお酒を勧めてきた。未成年だから断っていたけれども。
赤ワインを出してきて、嬉しそうにあける。
「また、無駄に高そうな……」
「いい物食べないとねー」
なんだかんだいって、業務に従事出来る人間が少ないお祓い系の仕事は儲かる。そしてそれを代々生業としてきた一家の宗主の娘、次期宗主はそれなりにお金持ちなお嬢様だ。それは別に、悪い意味ではない。
今ではいなかったことにされているけれども、沙耶自身社長令嬢だったわけだし。
生まれたときの環境というのは、やっぱり人を縛るのだろうか。
それだったら、普通に、普通の家庭に、生まれたかった。
「そういえばさー」
円は楽しそうにご飯を食べながら
「龍一君と喧嘩したの?」
口に含んだワインを吹きそうになった。
「え?」
「急に呼び出したのは悪かったと思ってる。けど、それにしては対応が変じゃない、あんた」
食事を続けたまま円は言う。綺麗な黄色をしたパプリカが口に運ばれる。
「……別に、ただ」
お行儀悪くスプーンでパエリアをつっつきながら
「住む世界が違うな、って思っただけ」
円がワインを飲みながら首を傾げた。
「世界ねー」
沈黙。それっきり円は何も言わない。
口に運んだスープも、パエリアも、サラダも、全部美味しい。このまま味わって食事を終わりにして家に帰ることもできる。
でも、それは沙耶も円も望んでいない。
「……円姉、ビールない?」
小さい声での言葉に、円はにっこりと微笑み、
「あるわよ、冷蔵庫に沢山」
冷蔵庫から出してきたビールをその場でぐっと飲む。
「私にもちょうだーい」
「はいはい」
「さんきゅー」
手渡された缶を円は勢いよくあける。
「あのね」
「うん?」
「あたしは子どもじゃない、とか言っちゃった」
苦笑い。
「龍一、怒っただろうなー」
彼が年の差を気にしている事は薄々気づいている。それなのに、こどもじゃない、なんて。
「……ものすごく、基本的なこと聞いていい?」
「うん?」
「あんた、結局龍一君のこと好きなのよね?」
「直球」
笑う。膝を抱えるようにして座り直す。
「今日だけの、ここだけの話ね、……好きだよ」
このワンピースだって、今日のためにわくわくしながら買った。会えるのをいつも楽しみにしていた。だけど、
「でも、あたし、賢と別れた時にもう恋をしないって決めたんだもの」
別れたあの日、泣いて帰ってきたことを円は知っている。
「あたし、絶対にいつか龍一のことを傷つける。今後も事件に巻き込んでしまうかもしれないし、忘れてしまうかもしれない。だから、」
顔を上げる。円は何も言わないで、切れ長の眼を少しだけ細めてこちらを見ていた。
「だから、今日だけの、ここだけの話。龍一には普通の、もっと可愛い子が似合うよ」
「でも、その顔は、後悔してる顔」
「ん。……でもやっぱりこれでいいんだとは思うんだ。後悔は、してないっていったら嘘になるけど」
怒らせてしまった、とは思う。それでも、これでよかったとも思っている。
「もう、あたしから離れた方がいい」
言って微笑むと、缶に口付けて傾けた。苦い。
「私は、あんたの味方だからね」
円は小さくそれだけ呟くと、
「よし、飲むか!」
言って残ったビールを一気に飲み干す。
「飲みたいだけでしょー」
明るい言い方に感謝して、昔と同じ様に茶化した。
住む世界が違うのだ、きっと、最初から。あたしはこっちから抜け出せない。だから、
「ごめんね、龍一」
円が冷蔵庫に向かって歩いて行く。彼女に聞こえない様に小さく呟いた。