3−2−5
「ただいまー」
ちっとも楽しめないまま終わった遊園地から逃れ、龍一は玄関のドアをあける。
「おかえり」
「……雅」
ため息。何故か玄関で姉が仁王立ちしていた。
「今日はなんだよ。また信介さんが出張なのか、日曜日なのに」
結婚して家を出て行った筈なのに、ことあるごと帰ってくる姉に呆れる。靴を脱ぎながらそういうと、
「お前は馬鹿か。龍に話があってきたんだ」
「え?」
話?
「いいから来い」
言ってすたすたと歩きだす。慌ててその後を追った。
龍一の部屋に迷わず入ると、雅は椅子に腰掛ける。
「ほら、そこに座れ」
言われたのは床で、でも大人しく正座する。いつも怒ったような態度をとるけれども、今日に関しては本気で怒っている気がする。俺、なんかしたっけ?
「龍一、お前、今年に入って急に進路希望変更したらしいな」
「あー、うん」
確かに、三年になっていきなり文学部志望から医学部に変えた。
「何故」
「雅には、関係ないだろ」
「関係ない?」
子どもが居るとは思えない、我が姉ながら抜群のスタイル。その長い足をゆっくりと組み替える。威圧的に。
「お前、それ本当に言っているのか? 学費を出すのは誰だと思ってるんだ? 私にはともかく、母さん達に説明する義務は当然あるだろう。医学部になったら学費もかかるんだろうし」
正論だ。それは薄々思っていた。それを避けていたのは、どうやって説明すればいいかわからなかったからに他ならない。
医者になって少しでも沙耶の助けになればいい。そう思っている。彼女の龍をどうにかすることができればいい、と。でもそんなこと、どうやって説明すればいいのか。
「……やっぱり、巫女姫様か」
雅が小さく言う。どこかで聞いたような単語に顔をあげる。
「大道寺さん絡みか?」
問われて、頷く。
「そうか、わかった。それだけわかればいい」
言って一人で納得して、立ち上がる。
「雅」
慌てて呼び止める。勝手に納得されても困る。
「ん、彼女には口止めしておいて自分で言うのもどうかと思うが、大道寺さんとは元々面識があるんだ」
「え?」
「高校の時に」
言われて考える。姉も沙耶も同じ高校で、姉が3年の時に沙耶が1年。ならば、会う可能性も無いとは言えない。
「幽霊が見える巫女姫様、って呼ばれていたんだ、彼女。それで一度、助けられた」
「それはどんな?」
聞いたら睨まれた。
「なんでもないです」
「だから、そういうことなんだろう? 母さん達に説明できないのは」
頷く。
「私から母さん達には説明しておく。龍がなんで急に志望を変更したのかわからないって言われてな。兄弟の方が話しやすい事もあるからって言ったんだ。適当に色恋沙汰とでも言っとけば、母さんのことだから納得するだろう」
「……それもどうかと」
「文句あるの?」
「ありません」
慌てて首を横に振ると、ゆっくりと雅が微笑む。
「わかればいい」
沙耶は、雅の事を優しい人ね、と言っていた。確かにまあ、優しいときがないわけでもないが。
「ありがとう」
「貸し一な」
いや、優しくないな。思い直す。
「……巫女姫様、じゃない。大道寺さんが病気とか、そういうことじゃないよな?」
ドアノブに手をかけたところで、雅が振り返る。
言葉に詰まる。病気、ではないけれども。龍が憑いて、記憶を失うんだなんてこと、勝手に言っていいものではない。
「言えないか」
雅がため息をつく。弟の浅はかさをたしなめるように。
「龍、答えられないってことは、答えたのと殆ど一緒だ」
「あー、いや、うん。病気って言うわけじゃないけど、うん、まあ」
「わかったわかった。そういうことな」
諦めたように、それでいて納得したようにいい、挨拶もなしに部屋を出て行く。
ため息をついて、立ち上がると
「あ、そうそう、龍」
戻ってきた雅が顔だけのぞかせて言った。
「医者を目指すのもいいが、その前に捨てられない様にな、お前」
「余計なお世話だーっ!」
反射的に鞄を投げつけるが、鞄は閉められたドアに当たっただけだった。
「余計なお世話だ」
人が気にしていることをずけずけと。どこが優しいだ、どこが。