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調律師  作者: 小高まあな
第二章 いやなんです
77/157

3−2−2

「馬に蹴られて死にたくないんでしょ?」

 目の前に止まった見慣れた車に乗り込んだ途端、低い声色で沙耶は言った。

「ごめん、本当に悪いと思ってる」

 運転席の円が両手を合わせて頭を下げる。

「でも、直も私も別件入ってるし。うちの人には頼めないし」

 ごめんね? ともう一度。

「……いいよ、もう」

 ため息をつきながらシートベルトを締める。

「仕事だもんね」

 円に悪気がないこともわかっている。この仕事は仕事がないときはとことんないが、あるときは八割方急を要する物だ。

 それに実際あの場所は居心地が悪くて抜け出せた事に感謝していないわけではない。

「ありがと。夕飯おごる」

「それはどうも」

 車が動き出す。

「そこにあるのが資料。FAXだし、手書きだし、読みにくいだろうけど、一応」

 無造作に放り出してある、バインダーを手に取る。

「啓之さんのとこか」

「そう。病院で降ろすから。私、ちょっと遠出するけど、終わったら連絡する。だから、夕飯何食べたいか考えて……っと、終わったら龍一君と合流する?」

「しない」

 自分でも思ったより強い口調だった。円は少しだけ驚いたような顔をしたけれども、

「そ、じゃあ何食べたいか考えておいて」

 深くつっこまずに告げた。

「ん」

 短く答えながら、資料をめくった。今は、何も聞かないでくれる彼女の優しさが嬉しかった。


「沙耶ちゃん、ごめんね」

 病院のロビーで、一海啓之は、相変わらずのうさんくさいぐらいの笑みで言った。

「いいえ。急患、ですもんね」

 言って、少しだけ悪戯っぽく笑う。

「うん、そう急患」

 啓之も笑った。

 啓之とやるいつものやりとり。そういえば、龍一のときも同じことをやったな、と思い出す。思い出して小さく唇を噛んだ。今はそんなこと、忘れなくちゃいけない。

「交通事故。カップルで運ばれてきたんだけど、怪我はしたけど命には別状はない。でも目を覚まさない」

 こっち、と歩きながら啓之は小声で早口に告げる。

「脳には異常がない、なかった。なのに、段々衰弱してる」

 そっと病室のドアをあける。すっと体を滑り込ませる。

「これは……」

 ベッドに横たわる男女を見て、沙耶は眉をひそめた。

「急患でしょ?」

 口先だけはひょうひょうと啓之が言う。

「事故の場所は?」

「最近ニュース見た? 2日前に父親が家に火つけて無理心中図ったとこ。その家の前」

 ベッドに横たわる男女を恨めしそうに見つめる、黒い四つの影。

「四人家族でしたっけ?」

「五人。父親、助かっちゃったから。どっちにしろ、父親はここにはいないんじゃん?」

「ああ、そっか……」

 一つ大きいのが母親で、あとが子供?

「……お願いして、大丈夫?」

 耳元で尋ねられた言葉に頷く。

「そのために来ましたから」

 告げると髪を片手で払ってベッドに近づく。

「気をつけてね」

 啓之は後ろに下がり、ドアを押さえながら片手を振った。

 無責任にも見えるけど、何もできない自分に啓之が内心で腹を立てているのを知っている。それは彼のせいではないけれども、一海の名を持つ彼には辛いことなのだろう。一海の名を持たない、大道寺沙耶がこの仕事をしているのと同程度には外から見るとおかしなことだ。それでも、与えられた役割を出来るだけ平気な顔をして行うしかない。

 そうしないと自分の居場所がなくなってしまう。

 ゆっくりと口元を笑みの形にする。

「こんにちは、はじめまして」

 できるだけ柔らかい声色で話しかける。

「あたしの名前は大道寺沙耶。調律事務所の事務員で、一海の実質、養子です」

 聞こえているのかいないのか、影は動かない。もともと、本体はこちらではないのだろう。

「うちの事務所のスタンスとして自主的にもしあなたがこのままここから立ち去ってくれるならばあなたに危害は加えないけど、まぁ無理か」

 動かない影。ベッドの横にまで近づいた。

 一番小さい影は、沙耶の腰ぐらいの高さしかなかった。

「何があったらこうなるのかしらね?」

 小さく呟いて、鞄から出した札を寝ている男女の上にそっと載せる。影が一瞬動いたような気がした。

「ごめんなさいね。でも、生きている人たちを連れて行くことは許されない」

 囁く様に告げると、小さく祝詞を唱える。

 影は動かないまま、崩れる様にして、消えた。

 ふぅ、っと一つ息を吐く。

「ありがと」

 啓之が背後から声をかける。

「いいえ」

 振り返ると小さく微笑む。

「こっちにいたのは本人達ではないみたいなので、現場に行ってきます。元から断たないとまた同じことがあると思うので」

 そして連鎖が連鎖をうみ、沙耶ではどうにも出来なくなる前に。

 啓之が一度頷く。

「うん、お願いします」

 軽い結界を念のためにはり、二人は病室を後にした。

「ごめんね、日曜日なのに」

「いいえ」

 首を横に振って、微笑む。

「そういえばさ、彼とはどう?」

「彼?」

 首を傾げて啓之を見る。

「ええっと、榊原龍一くん?」

「どうって……」

 眉をひそめる。

「あれ、まだ付き合ってないんだー」

 のーんびりと言われた。

「まだって」

「彼、いい子だよ」

「それは、知ってますけど……」

 そんなこと、痛い程良く知っている。榊原龍一は、沙耶の龍のことも受け止めて、龍の事を知っても沙耶から離れて行かず、好意を持ってくれている。気を使ってくれる。優しい人だ。

「知ってますけど、だから、巻き込めません」 

 啓之の方を見ずに告げる。

 巻き込めない。

 今日、あの場から逃げ出したのは、子供だの大人だの社会人だの、そんなことじゃない。ただ、沙耶は学生時代にクラス会としてクラスの子と遊園地に遊びにくることも、あんな風にクラスメイトとおしゃべりすることもなかった。それを普通に行う龍一が、まぶしかったのだ。居たたまれなかった。彼は普通の、高校生の男の子だということを認識させられた、改めて。

 これ以上巻き込めない、と本気で思った。これ以上深く関わって嫌われるのは怖い。嫌われた時の事を考えると怖い。

 でも、それよりも、これ以上自分と一緒に居ると、また幽霊や化け物と関わってしまう事になる。

 高校時代のクラスメイトで、事務所で働いている佐野清澄。“見えない”彼が、事務所で働いている理由は明確だ。自分が巻き込んでしまったからだ、こっちの世界に。自分と関わらなければ、清澄だって今頃は普通の会社に就職して、普通の人生を歩んでいたのだろう。こんな人様に説明できない仕事じゃなくて。

 “生きている人たちを連れて行くことは許されない。”それは、自分自身にそのまま返ってくる言葉だ。違う世界に生きている人たちをこちらの世界に連れ込むことは許されない。

「……そっか」

 啓之が呟いたのが聞こえた。いつもよりも、落ち着いた声だった。

「はい」

 小さく頷くと、出来るだけ微笑んで顔をあげた。

 啓之はいつも通りのうさんくさい笑顔を浮かべて頷いた。

「ありがとね、沙耶ちゃん」

 うさんくさい笑顔のまま、啓之は一度沙耶の頭を軽く叩いた。子どもをあやすように。

 沙耶は苦笑いをしたまま、首を傾げた。

「あれ、でも、啓之さんって龍一と……」

 最後まで言えなかった。ゆらり、と視界が揺らめく。足がもつれる。

「沙耶ちゃんっ」

 隣の啓之が支えてくれたから、地面にぶつかることだけは避けられた。

「大丈夫?」

「ごめんなさい、ちょっと目眩が……、貧血気味みたい」

 顔を上げて微笑む。

「大丈夫です」

「本当?」

 疑うような目つきに、もう一度頷いてみせる。ちゃんと笑えているだろうか。

 啓之と別れ、外を歩きながら思う。

 今の目眩、あれはただの目眩なんかではなかった。自分が一番よくわかる。あれは、暴れかけた龍を押し込める感覚だ。沙耶の中にいる、沙耶の記憶を喰らっている龍。

 でも、そんなはずはない。仕事は普通に終わったし、龍が暴れる要素はどこにもなかった。

「早起きしたからね」

 小さく呟く。ただの目眩だ、立ちくらみだ。そうじゃなくちゃおかしい。

 自分に言い聞かせると、気持ちを切り替えて事故現場に向かって歩き出した。


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