2−5−1
一海円は朝に弱い。
枕元で流行の洋楽を鳴らすケータイを左手を伸ばして捉える。
「五月蝿い……」
そのまま目を閉じたくなるのを耐えながら、のっそりと体を起こす。
「……あー、起きなきゃ」
呟くものの、抱えた膝に頭をのせる。
枕元で目覚ましがなるのを、はたいてとめた。
壁にもたれかかると、ケータイを開く。朝早くからメールしてくる不届き者は誰だ。
「……あ、龍一君」
意外な人物に、頭が少し覚醒する。
本文に目を通し終わった頃には、彼女には珍しく意識がはっきりしていた。
壁から体を離し、アドレス帳を呼び出した。
母の墓前に庭からとってきたハナミズキの花を供えた。龍一からのメールを見たら、どうしても母に会いたくなった。
ここにはいないけど。
いない方がいいことは分かっているけれども、せっかく幽霊を見える目を持っているのに、母は現れてくれない。
居たらどうしていたのだろう、と考えて少し笑った。
「円」
後ろからかけられた声に振り返る。
「直次叔父様」
従弟の父親は、従弟に少しだけ似た目元を細め、
「久しぶりだな」
少しだけ笑った。
今日はあたたかいから、と近くの公園のベンチに座る。
まぶしい日差しに眉をひそめる。
「どこか店に入ってもいいんだが」
「ううん。仕事抜け出してきたから、すぐ戻らなきゃ」
「そうか」
「呼び出したのは私なのに、ごめんなさい」
それで、と直次は腕を組む。
「仕事を抜け出してきたのに、わざわざ話したいこととは?」
「うん、あの」
ずっと、気になっていた事だった。
龍一に昔話をしたときに、改めて思った。
「やっぱり直純があとを継いだ方がよかったんじゃないかと思って。お爺さまたちは皆、直純にあとを継いでもらいたがっているでしょう?」
「隠居した爺様どものいうことなんて、相手にしなければいいのに」
直次は考えすぎる姪の頭を子どものときのように撫でた。
「直純は宗主には向いていない。あいつは、裏方の参謀タイプだ。考えすぎてすぐに動けない、周りをひっぱっていく力はない。爺様どもには人気があるが、円、若い衆は皆お前の方が好いているぞ? これからは若者の時代だしな」
「……そうかしら?」
「お前がもし本当に宗主に向いていないとしたならば、爺様どもは全力で直純を跡継ぎにしただろうし、そもそもお前の父親が許さなかっただろうよ。あいつはそういうところで公私混同するやつじゃないから」
そういって自分の兄の姿を思い浮かべた。
「でも、」
言いかけた円を
「今更何を迷う」
強い語気で遮る。
「頭が迷ったら一体何を信じてついていけばいいんだ」
「だって、」
だって、だって、だって。あのときからずっと、胸の内でくすぶっていた言葉。
「だって私は、沙耶だって救えないのに!」
たった一人すら救えないのに、一体何を守れるというんだろう?
「救っただろう?」
叔父は意外そうに眉をあげた。
「少なくとも、あのとき。怯えている沙耶ちゃんを救ったのは、円だろう?」
「でも、あれは直の方が」
直純の方が、優しく接していた。自分はどう扱ったらいいかわからなくて、おろおろするだけだった。
「最初はな。円は黙ってると顔、怖いから」
義姉さんに似てるな、と笑う。
「でも、その後は沙耶ちゃん、円にべったりだったろう?」
思い返してみろ、とあごをしゃくる。
「何か困ったことがあったとき、相談するのは円だったろう? 直純じゃない。確かに、あいつは人当たりいいし、多分、初対面でなら円よりもあいつの方が話しかけやすい」
「だったら、」
「初対面じゃないだろ、一海の人間は。お前の内面を知ってるだろうが。あんまりぐだぐだ言うと、沙耶ちゃんや兄さんや直純に言うぞ」
「それはやめてっ」
悲鳴のような声がでて、慌てて自分の口を塞ぐ。
格好付けているわけじゃないが、こんなところで弱いところは見せられない。恥ずかしい。
こういった面で弱音を吐けるのは、叔父という微妙に遠い立場にいるこの人だけだ。
にやり、と直次は笑った。
「お前は自分で思っているより、慕われているよ、円。もっと自信を持て。一海の女王様」
「……叔父様」
「啓之とか、その典型例だろ。あいつはお前に救われた」
ん、と頷いた。頷いて、目を閉じて、よしっと立ち上がった。
「ありがとう、叔父様。すっきりした」
迷っている暇なんてなかった。そんな時間は無駄だ。迷っている暇があったら、自分を成長させなければ。
「ならいい。しかし、珍しいな、円が弱気になるなんて」
言われて肩をすくめる。
「高校生の方が私よりしっかりしているなー、と思って」
「ああ、あの沙耶ちゃんといい感じだとかいう」
「そうそう。彼、一般人なのに啓之と同じ方に行こうとしていて、叶わないって思ちゃった。私の方がずっとずっと沙耶のことを見てきたのに」
張り合たりして子どもね、と笑う。
「よくわからないんだが」
首を傾げる直次に、にやり、と笑ってみせた。
「とっても素敵な王子様よ、彼」