2−2−7
「円、直純、ちょっといいか?」
宗主に呼ばれたのは、沙耶が来てから三日後だった。沙耶も返事だけではなく、少しだけ会話をするようになったころ。
二人は顔を見合わせて、
「待ってて」
一緒にケーキを食べていた沙耶に告げる。小さく、心細そうに沙耶は頷いた。
部屋を出て,廊下を歩く。
「仲良く、してるみたいだな」
「ええ、まあ」
「一緒に寝ているらしいじゃないか」
「そっちの方が楽だからね」
毎晩聞こえてくる隣室からの泣きの気配に、毎回起き上がって隣室に行くのもためらわれ、二人は布団を沙耶の部屋に運び込んで隣で寝るようになっていた。それでも、少しのすすり泣きは聞こえてきて、それはできるだけ二人は聞いていないふりをした。
泣くことを我慢させるのもよくない、と思って。
「そんなときにあれなんだがな、大道寺修介が来ているんだ」
やっとこさな、と付け加える。
「沙耶ちゃんの、父親?」
頷く。
「ああ、全ての根源ね」
さらり、と円は言うと髪を払いのける。
「会え、と?」
「二人の担当だしな。一応、わたしが相手をするが、二人にも同席してもらいたい」
「わかりました」
直純は、そう返事をし
「はい」
珍しく円も素直な返事をした。
「お待たせしました」
部屋に入ると、部屋の真ん中であぐらをかいた中年の男性が座っていた。少し頭頂部が気になるものの、体型的にも崩れが無い。これ見よがしに時計を見たのは、遅いことへのアピールか。
「20点」
隣の直純にだけ聞こえるように呟く。
「意外と高いな」
「見た目だけ」
正面を見たまま、不毛なやりとりをする。
「こちらは娘の円と、甥の直純です。」
微笑みながら告げる宗主。
男は二人を値踏みするかのように、上から下まで見る。二人とも微動だにしなかった。
視線が離れ、唇だけで、こどもじゃないか、と呟く。
「訂正、0点。見る目なしは最悪ね」
座布団に座る直前、円が告げた。
「さて、ご息女のことなのですが」
宗主が告げた瞬間。
「あんな化け物! わたしの娘などではない!!」
男は吐き捨てるように叫んだ。
「あんな化け物を産んだ覚えは無いんだ! 何なんだ一体? 龍がついているだと? ばかばかしい、それで人を殺すなんて! あいつの存在がばれたら大道寺グループはおしまいだ。あんなやつ、娘じゃない!」
怒鳴るようにまくしたてる。
直一は眉を軽くひそめ、隣の娘が立ち上がろうとしているのに気づき、慌てて彼女の手をつかむ。よくないことが起きる気がした。
「円」
「お父様」
愛娘は振り返るとゆっくりと微笑んだ。一海の姫は、ゆるやかに微笑んだ。とても、綺麗に。唇が計算された角度で上がる。
その顔をみて、これは駄目だな、と悟る。この顔は感情を隠したときにする笑い方で、その笑顔の下にはきっと般若の顔がある。
「私がこういう娘に育ってしまったのは、お父様の教育の賜物です」
ね? と首を傾げると、父親の手を払って男の正面にたった。
「とめなくて、いいんですか」
反対側の隣にいた直純が宗主の耳元でささやく。
「とめてくれるのか?」
「いや、無理です」
「だろ?」
ため息をついて、宗主は愛娘の動向をうかがった。
「なにか?」
空気を読めない男は、目の前にたつ円に不遜にもそう尋ねた。
円はにっこり微笑むと、握った左手を男の頬に叩き付けた。
派手に男は畳に倒れ込む。
「あーあ」
直純が小さく呟いた。
「化け物はあなたのことだ。自分のせいで娘が傷ついているのにその心配もしない。化け物に育てられるなんてあの子がかわいそうだから、だから。私があの子の面倒を見ます。あなたは金輪際、うちの敷居をまたがないで頂戴」
そうやって言い切ると、口をわなわなさせながら床に倒れる男を一度だけ、汚いものでも見るように見た。
そして、襖をあけて部屋をでる。廊下にいた女性に塩をまくように頼むのは忘れなかった。
「直純」
しまった襖をみて、直一は一度そういった。
「はい」
それだけで直純は立ち上がると、円を追う。
幾分冷静さを取り戻し、頭に血が上り始めた男をみた。
「まぁ、親の責任だもんな」
そういって唇をゆがめた。
どすどす、と必要以上に足音をたてて歩く円の、数歩後ろをついて歩く。静かに歩け、と注意する人間は今は、居ない。
「円」
部屋から大分離れたところで声をかけると、
「何?」
ぎすぎすした声が返ってくる。足はとめても、振り向かない。
「やり過ぎだって言いたいの? 冷静になれっていうの?」
「違う」
「じゃあ、何よ」
「よくやったな、って思ってる」
少しだけ視線を動かす。直純は微笑んで続ける。
「俺なら殴れない」
「やっぱり馬鹿にしてない?」
「してない。尊敬してる」
あそこで殴るという選択肢がでてくる彼女は、やっぱり凄い。
冷静な部分は自分が担う。だから円には、思う存分つっぱしって欲しかった。それが彼女の持ち味なのだから。ためらいで鈍る刃は要らない。必要ならば自分が止める、だから彼女は突き進んで欲しいのだ。
「だってあれは、ないだろう?」
続けると、円は完全に振り向いた。
「あの場のみんなが、あいつにはむかついていたんだ。円が殴ってくれて、感謝している」
できれば、俺の分ももう一発ぐらい殴ってくれても良かったのに、というとあきれたように笑った。
「私のこの美しい手は、あんな下衆野郎を二度も殴るためには存在していないの」
言ってから、一度殴ったのだって不本意なんだから、と不服そうに殴った左手を見る。
「手、洗ってこようかしら?」
呟いた言葉は結構本気だった。