2−2−6
深夜。
何かの気配に、いつもと違う気配に、円は目を醒ました。
辺りを伺い、身構える。
そしてそれが、隣の部屋からの気配であることに気づくと緊張を解いた。
そっと、音を立てないようにして廊下にでると、
「円」
困ったような顔の直純がいた。
念のため、ということで沙耶の隣、円とは反対側を寝室として使っていた。
「あけていいもんだと思う?」
直純のためらいがちな台詞に、返事を返さず、それでもそっとゆっくりドアをあける。
少しの月明かりと、他の人よりも少しだけ暗闇に慣れた瞳は、中の様子をきちんと捉えた。
ふとんからはみでた長い黒い髪が揺れ動く。顔は布団に埋まっていて見えない。声も、聞こえない。押し殺されて吐かれる息のみ。
それでも、泣いていることだけがわかった。
動きかねている円の代わりに、直純が部屋に入る。
畳のきしむ音に、近寄ってくる気配に、はじかれたように沙耶が顔をあげた。
「あ、」
涙でぬれた顔で何かを言おうと、弁明するかのように口を動かす。それでも言葉にならない。
直純は枕元に座ると、軽く頭を撫でた。
「どうかした?」
首を横に振る。がむしゃらに。
「怖い夢でも、見た?」
夢のせいにする。そうすると、一瞬のためらいのあと小さく頷いた。
「そっか。慣れないおうちだから、怖いよね。うち、広いし」
そういって、頭を撫でる。
「大丈夫、もう、怖いものは来ないから」
その言葉に小さく肩が一度震える。その挙動に一瞬、小さく眉をひそめる。
「大丈夫。眠れるまで、隣に居ようか? それとも、邪魔?」
後半、おどけたようにつけたす。
少しの間のあと、沙耶は直純の手を握った。
「ん、わかった。眠れるまでここにいる。また怖い夢みたら隣にいるから、一人で泣かないで呼んでね」
そういって柔らかく微笑む。母親と同じ人当たりのいい笑み。
それにつられて、沙耶も少しだけ表情を柔らかくすると、布団にもぐりこんだ。
彼女の背中を優しく、一定のリズムで叩く直純を見ながら、円はただ、入り口で立ち尽くすだけだった。
優しく微笑む、そんな自分にはとてもできないことが出来る従弟に、不謹慎ながらも劣等感を覚える。ああ、やっぱり次期宗主は直純だ。厳しいだけの自分に、誰もきっとついてこない。
心の中では望んでいたその座を、あきらめて手放した。
きっと、あの子も無口で無愛想だった自分よりも、優しい直純を慕うだろう。
その光景に背を向けて、外の月明かりを睨んだ。
そして、あの子はきっと、本当は覚えているのだ。どこまで具体的にかはわからないけれども、自分に何か怖いものが憑いていることは知ってるのだ。何か、怖いものが。夜中に思い出して、一人で声を押し殺して泣くような、そんな怖いものが。
でも、その気持ちは、円には感じることができない。きっと、一生。
背後から、かすかに子守唄が聞こえてきて、そんなものまで歌える直純を羨ましいとさえ、思った。敵わない。
「寝たよ」
部屋から完全に外にでて、それでも立ち去ることはできず、襖に背を預けて腰を下ろしていた円に声をかける。
「そう」
返ってきた言葉の、いつもよりも低いテンションとしめっぽさに首を傾げる。
「どうかした?」
「別に」
顔を上げ、直純を見上げる。
「あの子、覚えてるね」
「うん」
頷くと、円の隣に腰を下ろした。
「化け物、って小さく呟いてた」
「ん」
「声、押し殺して泣くんだね」
「子どものくせにね」
「ね」
「子どもなんだから大声で泣けばいいのに」
そうしたら、もっと楽にみんなが慰めてくれるのに。自分が化け物だと思うから、それが出来ないんだろう。
「言わなくても、いいよね」
「うん?」
隣の円を伺い見る。
「被害状況。少なくとも今は」
わざわざ言って傷つけなくてもいいよね、と続ける。それを、エゴだけど、と苦笑する円に
「そうだな。宗主に相談するけど」
一つ、頷いた。出来ることならば自分も伝えたくなかった。
「明日は、もっとちゃんと、少なくとも笑ってるようにがんばる」
いつになくしおらしい円の言葉に、やはり一度首を傾げてから
「そうだね」
微笑んだ。
そうして、二人並んで膝を抱えて座ったまま、一晩過ごした。