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「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
沙耶はゆっくりと、その家に足を踏み入れた。駅から車で橋を渡った先にある、小さな島だというその場所。周りを山と海に囲まれている。
「二階、使っていいって。行こう」
龍一が手招きするのに、慌てて沙耶はついていく。少し急な階段を上る。ぎし、ぎしと音がする。
二階にある二部屋のうち、片方は半分物置のようになっていた。ふすまで仕切られているものの、それを開ければ一部屋になる構造。
「沙耶さん、そっちどうぞ」
ふすまを開けながら、物置になっていない方の部屋を指す。
「え、でも」
「沙耶さん、お客様だから」
そう言って龍一は笑う。
「……ありがとう」
沙耶は素直に頷いた。
荷物を置き、コートを脱ぎながら、ポケットからケータイを取り出した。
「……ここ、圏外なのね」
そのケータイをじっとみて、呟く。
「え? ああ、そうそう」
龍一も自分のケータイを取り出した。彼のケータイは一本だけ立っている。
「山だから。庭に出たら通じるんだけど。あ、円さんに連絡? だったら、外に行く?」
龍一の問いかけに、沙耶はしばらく圏外と表示されたケータイを見つめていたが、
「ううん、いいや」
ゆっくりと首を横に振った。
ぽつり、ぽつり、
外では雨が降り出していた。
「連絡遅れてすみません」
夕食後、台所にある固定電話で龍一は円に電話していた。
『いいえ。心配してないから』
電話の向こうの円は、そう言いながらも少し安心したようだった。
『ところで龍一君、心配はしてないけれども』
そこで言葉を切る。
『手を出しちゃ駄目よ』
一拍の間を取った後、そう告げた。
「……出しませんよ」
呆れて龍一は返す。酷く真面目な声色でいうから、何か大事な話かと思って構えた自分が馬鹿みたいだ。
「そんな度胸はありません」
告げると、
『あら、残念』
と、然して残念そうに聞こえない言葉が返って来た。
『沙耶は?』
「寝てます。疲れちゃったみたいで」
龍一は天井を見上げた。二階に居る彼女は、夜ご飯を食べたあとばたん、とベッドの上に倒れこんだ。そのまま、眠っている。
ベッドがある方の部屋は物置になっている方の部屋なので、そっちは俺の部屋なんだけどなぁ……なんて、龍一は内心で思っていた。
手を出すつもりなんてないんだから、頼むからすみわけはきちんとして欲しい。
『そう』
円が呟いた。
『疲れちゃったのね。遠出なんかしたことない子だし、人ごみ嫌いだし』
龍一は黙った。人ごみが嫌いなのに、無理に連れ出して申し訳ないと少しだけ思った。
『それで、星は見れそうなの?』
明るい声で円が尋ねてくる。
「いいえ」
龍一は即答し、電話なのに首を横に振った。
ざぁざぁ、夕方から降りだした雨は、雨足を強くしていた。
「雨です。明日も、みたいなんですよねぇ」
はぁ、とため息をつく。何のためにきたのかわかったものじゃない。
『四日に帰ってくるつもりなんでしょ?』
「はい。……学校も始まるんであんまり長居も出来なくって。それまでに星見れなかったら、もう少しいるつもりなんですけどね」
そう、と電話の向こうの円は呟いた。
ざぁ、ざぁ。
『なら』
円はやけに明るい声を出す。電話なのに、彼女がにやりと楽しそうに笑うのが見えた木がした。
『照る照る坊主作ってあげる』
龍一はそれを聞き、一瞬黙り、次に笑い出した。電話の向こうの円と一緒に仲良く笑う。
「名案ですね」
『でしょ?』
「それじゃ、俺も作ろうかなぁ」
そしてまた二人で笑う。
『とにかく、沙耶のことお願いします』
まだくすくす笑いながら円は告げた。
「はい」
『それじゃ……、おやすみ』
「はい、おやすみなさい……」
がちゃり、受話器を置く。
ふぅ、とため息をついてざぁざぁと雨が降る外を見た。
止む気配は、ない。
「龍ちゃん、お風呂どうぞ」
「はーい」
祖母の声には、明るく返事を返した。
「沙耶さーん」
二階に戻り、ベッドの上の沙耶をつっつく。
「沙耶さん、お風呂」
「うー」
彼女は龍一の手を払いのけ、くるりとまるまってしまう。
「いいの? 入らなくて」
「うー」
「返事になってないし」
呆れて龍一は呟いた。
ベッドの上で膝を抱えるようにして、まるまっている沙耶。長い黒い髪がベッドの上に広がっている。
「化粧とか、落とさなくていいの?」
「んー」
ぎゅっと顔を枕に埋めてしまう。
「まぁ、いっか。おやすみなさい」
やれやれ、とため息をつくと、龍一は布団をかけなおし、その場を後にした。
ぎぃ、と床がきしむ音が離れていく。それを確認して、沙耶は顔を上に向けた。
「……ごめんなさい」
優しさが嬉しくて、温かくて、痛くて、自分でも明確に言葉に出来ない感情に涙がとまらない。
天井を向いたまま、両手で顔を覆った。
「ごめんなさい」
もう一度、呟いた。