1−6−6
降り立った広島駅のホームで、龍一は一つ伸びをした。
「やっと広島だ」
がらがら。東京駅から変わらない、龍一が二人分の鞄を持ち、沙耶の手を引いていくそのスタイルで、龍一は歩いていく。鞄は自分で持てるし、手を引いてもらうほど子どもじゃないとわかっていても、沙耶は何も言い出せなかった。
「もしもし、ばあちゃん? 今、広島」
祖母に電話している龍一の横顔をそっと見る。
初めて病室でみた、あのあどけない寝顔よりも、なんだか大人びているような気がして、なんだか悔しかった。たった数日で彼は成長したのに、自分は何も変わらない。
「沙耶さん、大丈夫?」
ぐっと唇を噛み締めた沙耶の動作をどうとったのか、龍一が振り返って心配そうな顔で尋ねてくる。
沙耶は慌てて微笑んだ。
「平気」
「そう。あともう一時間ぐらいだから」
そういって迷わずに歩いていく。そのしっかりした足取りを頼もしいと思った。
本当は沢山の人の気に少し酔っていたけれども、そんなことは口には出さない。本当は人が多いところは苦手だけれども、今はなんだか平気な気がした。
聞いたこともない電車に乗る。ボックス席に進行方向を向いたまま。人が少ないので正面には他の人は座っていない。そのことに少なからず安堵していた。
本当はとても心細い。一海の人が近くに居ない状況というのは初めてだった。もし万が一、を考えると、とても心細い。この間派手に暴れさせてしまったことや自分の情緒不安定さも手伝って龍の安定が悪い。肩を握る。
「簡単な、さ」
突然、龍一が話始めた。
「うん?」
沙耶は彼の横顔を見る。通路側の肘掛に頬杖をつくようにして座りながら彼は続けた。
「円さんに習ったんだ。簡単な、龍の封印の仕方」
「え?」
「直純さんが作ってくれた、俺でも使えるお札と祝詞っていうの? それ」
それを渡した直純は、いつもの通り龍一に対しては怒ったような顔をしていた。
「沙耶に何かあったらお前を呪い殺す」
お札を渡しながら、直純は低く押し殺した声で告げた。円が直、と小さくたしなめた。
「呪い殺されなくても、そんなことになったら自分の不甲斐なさを恥じて憤死しますので、お気遣いなく」
にっこり微笑みながら告げた龍一に、直純はあっけに取られたような顔をして、一拍置いたあと円が派手に笑った。
事務所を出て行くとき、直純が後ろで呟いていた。勝てないな、という言葉が耳を離れない。勝てないのはこちらだ。恋敵の力を借りないと、彼女を守れない、
そんなことを思い返し、一人でふっと笑う。
「だから、心配ないよ」
そういうと、沙耶はまったくもう、皆して……となんだか泣きそうな顔で呟いた。
結局、と窓の外を見ながら沙耶は思う。結局、あたしは皆に守られているのだと痛感した。こんな知らない土地に来ても。
隣の龍一の袖をぎゅっと握った。
驚いたように龍一がこちらを見てくるのがわかる。なんだか気恥ずかしくて、そちらは見られなかった。
「ありがと」
小さく呟くと、
「どういたしまして」
龍一も同じように小さく呟き返してきた。
どうか、あたしをこんな知らない土地で一人にしないでください。そう思うと、沙耶は袖を握った手を離せなかった。
大畠というまったく知らない小さな駅に二人は降り立った。二人分の鞄を持って、沙耶の手を引いて、龍一は階段を上がっていく。
自動改札もない、小さな駅。駅員に乗車券を渡す。
そんなことが、違う場所に来たのだと沙耶に実感させる。握った手をに力を込めた。
「あ、いたいた」
駅を出たところで龍一が片手を振る。
「きたきた、いらっしゃい、龍ちゃん」
一人の老婦人が龍一に向かって手を振り返しながら、微笑んだ。その隣の夫らしき人も同じように笑う。
「沙耶さん」
龍一は振り返る。手を、離した。
「じいちゃんとばあちゃん」
離した手で二人を指し示す。
「こんにちは」
離れてしまった手に心細さを感じながらも、沙耶は笑顔で挨拶する。
「大道寺沙耶さん」
龍一の祖父母も笑って会釈した。
そのしわくちゃな笑顔を見て、少しだけ沙耶は泣きそうになった。ああ、あたしは、あんな風にしわくちゃなおばあちゃんになっても、笑っていられるのだろうか? そんな考えが頭をよぎった。
祖父の運転する車に乗って、走り出す。
「お刺身用意したから」
「やった」
助手席に座った祖母と会話をする龍一の声を聞きながら、沙耶は黙って窓の外を見ていた。
先ほどの電車の中からも、何回か見えていた海。それを見つめる。東京湾と違って綺麗ね、と電車の中で沙耶は龍一に言った。
「かもね」
と龍一は笑った。
そんな海を忘れないように、しっかり見つめた。自分からは忘れたくなかった。
「大道寺さんは」
「はい?」
前からかかった言葉に慌てて視線をそちらに向ける。
「龍ちゃんとはどういうお知り合い? いい人?」
「いい人って、ばあちゃん」
あきれたような困惑したような、なんともいえない表情で龍一がつっこむ。
「龍一君の高校の卒業生なんです、あたし。だから、その関係で文化祭に行った時にあって」
突然そんなことを言い出した沙耶を、ぎょっとして龍一は見た。沙耶が文化祭に来た事もなければ、そこで沙耶とあったことなんてない。
「あたし、お財布を落としちゃって、困っていたところに龍一君が拾って届けてくれたんです。本当、あの時は助かりました」
ぎょっとしている龍一に気づいたのか、沙耶はひじで軽く龍一をつっついた。話をあわせろ、ということか、と気づくと龍一は頷いた。
「そうそう、それでお礼にってアイスおごってもらっちゃって」
「そしたら話が弾んでしまって。本の趣味とか合うみたいなんです。それから、あたしが勉強見てあげたりとかして、なんとなく友達として付き合うようになったんです」
沙耶は微笑んだ。
「龍ちゃん、いいことしたねぇ」
「いいことをすると、自分に帰ってくるから」
前で祖父母が言うのを、龍一は笑って聞いていた。
本当は、そうやってすらすらとうそを並べていく彼女の口を塞いでしまいたくて、しょうがなかった。それがこの場合は最善の行動だとわかっている。本当の出会い方を説明できるわけがないことも理解していた。
それでも、その嘘で自分と彼女の間に深い溝を作られている気がしてならなかった。