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「被害者、榊原龍一。性別、男」
片手に持ったバインダーに挟んだ資料の内容を口の中だけで呟きながら、一人の女性が病院の廊下を歩いていた。時々、看護士や入院患者とすれ違うが、白衣を着込んだ彼女を誰も気にはかけない。白衣の上で長い黒い髪が揺れた。
「十七歳、都立瀧沢高等学校二年。クラスメイトがこっくりさんをやっている現場に入り込み、」
一つの部屋の前で立ち止まり、ちらりと部屋の番号を確認するとノックもせずにドアを開けて、中へ入り込んだ。後ろ手でにドアを閉める、
「現在、意識不明」
資料に書かれていた言葉を思い出しながら、腕を組みベッドの上の少年、榊原龍一をみる。彼は本当に、ただ眠っているようだった。
短い黒髪に、長めのまつげ。少しだけ開いた口元。あどけない、幼いともいえる寝顔。
かわいそうに、と彼女は思う。こっくりさんに憑かれるなんていう経験、今日日そうそうないんじゃないの? そりゃぁ、医者もさじを投げるわよね。突然倒れて意識不明、外傷もなしじゃ。
そこまで考えて彼女は軽く瞳を閉じた。
「お願いします!」
廊下で中年の女性が叫ぶ。
すがりつくようにして、医者に向かって
「お願いします、龍一を助けてください、お願いします」
医者も困った様子でそんな女性を見ていた。
先ほど見た光景を思い出し、彼女は軽く、どこか皮肉っぽく唇をゆがめた。。
ベッドの脇まで歩いていくと、龍一の髪を軽く撫でる。
「貴方は、倖せ者ね。母親に愛されて」
唇の角度を、少しだけ優しげに緩める。
「もう少し、待っていてくださいね」
そういってもう一度微笑むと、そのまま病室を後にした。
草木も眠りにつくという、深夜。都立瀧沢高等学校、と書かれた門を彼女は見つめる。またここに来るなんて思わなかった、と小さくため息をついた。
「沙耶、そんなにいや?」
隣に立った青年・佐野清澄の言葉に、彼女・大道寺沙耶は皮肉っぽく唇を歪めた。
「もし、巫女姫様なんて言う変な渾名をつけられて三年間、畏怖と嫌悪の視線で見つめられて、おまけに恋人がバスケ部のエースなんて言っちゃって下手にもてたからってそのファンからの嫌がらせを受けて、もう散々な高校生活だったのに、その母校へ足を踏み入れたいなんて思う人がいたら、是非お友達になりたいわ」
吐き捨てる様に告げる。風が吹き、先ほどの白衣の変わりに着ている、白いロングコートの裾を揺らした。
「う、……ごめん」
高校時代からの知り合いの彼はその状況を良く知っている。だからって彼はそれに関与していたわけではないから謝られても困る、と何回も言ったはずなのに。すぐに謝るのは彼の悪い癖だ。
「別に、いいんだけどね。もう過去の話だし」
借りてきた門のかぎをあけながら言う。
「悪いことばかりじゃなかったし……」
そういって軽く目を閉じる。
「さーや」
へらへらと、だけどどこか安心できる笑顔で笑う、かつての恋人の顔が浮かんだ。
「それに」
門をあけると、足を進めながら言った。
「あんなふうに取り乱した母親を見たら、榊原龍一君だっけ? 彼を救わないわけにはいかないでしょう。他にも被害者が出ないとは限らないし」
先刻の映像が頭から離れない。「助けてください」何度も言っていた。あんな母親がいるなんて、本当に彼は倖せものだ。そう、思った。
「まあ、息子が原因不明で倒れて意識戻らなかったら、取り乱しもするよね」
足音が響く、誰もいない夜の学校を気味悪そうに歩きながら清澄が言う。
「それは、そうなんだけど……」
そこまで沙耶は言って、後ろを振り向き、
「清澄、避けたほうが……」
言った瞬間に、派手に清澄は前にこけた。
「……ごめん、遅かった」
一応謝罪してから、後ろからやってきて清澄に蹴りをいれた人物、いや幽霊を見る。
『よぉ! 沙耶の姉ちゃん! 久しぶりだなぁぁ!』
外見は小学生ぐらいで、でもこの学校の指定の制服を来た幽霊は片手をあげると陽気に挨拶した。
「久しぶり、ちぃちゃん」
沙耶も彼女にしては珍しく口元に軽い笑みを浮かべて答えた。
「ちぃちゃんっ!?」
清澄はがばっと起き上がると、辺りを見回す。
「どこっ!? どこにいるのっ!」
そう叫ぶ清澄の後ろで、ちぃちゃんはにやにや笑っている。
『なんだ、相変わらず清は見えないのか、つまらないなぁ』
なんていいながら楽しそうに、おろおろする清澄の頭に指を立てて『鬼』なんて言って遊んでいる。
沙耶達が高校生だったときには、もうすでに学校にいついていた、このちぃという幽霊は、悪戯が大好きな悪ガキで、この学校にある怪談の類の九割は彼の仕業だったりする。今回は残りの一割だったが。
『ところで、沙耶の姉ちゃんはあれを片づけにきてくれたんだろ?』
清澄の後ろから片手をいれて、顔面に指先をだすという芸当をやってみせながらちいは尋ねる。
「ええ、それがこっくりさんのことならば」
『ああ、あれこっくりさんをやろうとしたんだ。へぇ。とにかく、あれがいると邪魔だからはやくどうにかしてくれよ。二年四組な』
「はいはい」
頷くと、一人置いてきぼりを食っていた清澄をみる。
なんかもう、ちぃの足が頭から生えていたりしてすごい状況になっているが教えてあげないほうがいいだろう。見えないことはいいことだ。
「清澄はここにいて」
「えっ!」
ぐわっ、と音がつきそうな勢いで清澄は沙耶を見る。
「危ないから。ちぃちゃん、よろしく」
『了解~』
「ちょ! 沙耶!」
大きな声で清澄は言うが、沙耶は気にもとめないで廊下を歩いていく。
「まてよ、頼むからこんな悪戯好きの幽霊なんかと二人っきりで残さないでくれっ!」
彼の声は廊下に響き渡り、その声に彼は気味悪そうに辺りを見回した。
『まぁ、取って喰ったりしないからさ。安心しろよ』
元気付けるためにちぃがそう言っても、清澄にはもちろん、聞こえもしなかった。