表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
調律師  作者: 小高まあな
第六章 本当の空
26/157

1−6−2

 ばたばた、と龍一が階段を駆け下りていく音がする。その音が聞こえなくなってからきっかり十秒後、

「悪かったわね」

 椅子に腰をかけ、まっすぐと窓を見つめたまま円はそう呟いた。

「まったくだな」

 応接とを仕切る衝立のさらに奥、仮眠室のドアをあけて、直純が出てきた。


「あんたが居るって言ったら、龍一君も話にくいでしょうから」


「そうだな」


 ぼさぼさの頭を片手でなおしながら円の隣、自分のデスクに座る。

「あと、十分。それだけ休んだら、また一海に戻る」

「わかった。次、清澄に仮眠をとるように言って。彼は普通の人間だから、そこまでタフじゃないしね」

「ああ。その次はお前な」

 正面を向いたまま、目だけを右に動かし、ちらりと直純を見る。

「別に、私は平気よ」

「三十路を前にして強がるなよ。もう若くないんだから」

「殴るわよ」

 そう言いながら徹夜明けの目元を円は片手で揉む。

「でも、本当に私は平気。それよりも沙耶が心配。あそこまで暴走させるのなんて、それこそ最初の一回以来だしね」

「大丈夫だろう」

 正面の窓ガラスに映る従姉に向かって、直純は断言した。

「……何故?」

「大丈夫だと思ったから託したんだろう?」

 そこで直純は横を向き、円を見た。

「榊原龍一に」

 円は直純を見つめ、それから意外そうに眉をあげて見せた。

「初めてね、直が龍一君の名前を呼ぶの」

「ああ。だって認めざるを得ないだろう」

 もう一度正面を見つめなおす。円も同じように正面の窓ガラスを見た。

「そうね。彼が居なかったら、龍がとまったかどうか、怪しいところよね。最悪、私たちが沙耶を……」

 そこまで言って、円はあきれた、とため息をついた。

「男が泣くんじゃないわよ、情けないわね」

 そういって苦笑してみせる。

「泣くか、バカ。諦めたわけじゃない」

 顔を逸らしながら直純が怒鳴ってみせる。

「へぇ、往生際が悪い男もなっさけないと思うけどねぇ」

「うるさい」

 窓ガラスに映る、顔を背けた従弟をしばらく笑っていたが、顔を下に向けるとぽつりと呟いた。

「……本当、敵わない。私たちの方があんなに長く、ずっとあの子と一緒にいたのに」

「……まったくだ。なんで……、俺じゃないんだよ」

 ずっとずっと、子供の頃から見てきた。直純の中でそれが恋心に変わってからも、ずっと。

 困惑させたくないから気持ちを告げない、と直純は言っていた。それを円は思い出す。三人でずっと、事務所を立ち上げてからは清澄も一緒に。微妙なバランスの関係は、榊原龍一の存在で崩れたといえる。

 強制的に封じ込めている龍を、榊原龍一はわずかながらも沙耶にコントロールさせた。

 円や直純には、何も出来なかったのに。そんなこと出来なかったのに。ふらっと現れた少年が、素人の少年が、沙耶に自分を取り戻させるほどの力を与えた。

 それは多分、沙耶が龍一に対して、他の人とは違うレベルの気持ちを持っていたのだろう。

 最初からずっと見ていた。彼の思いは、多分誰よりもよく知っている。そう考えて、ふっと笑った。だからってこればっかりは何ができるわけじゃない。沙耶が誰を好きになっても、円には何も言うことはできない。

 机の上に放り出していた箱から煙草を一本引き抜いた。ゆっくりと火をつける。

「これでお相子ね」

「何が?」

「私は直純が泣いているのなんてみてないし」

「……俺は円が煙草を吸っているのなんて見ていない」

 円が言いたいことを察して直純が呟く。

「ええ、私は何も見ていないから」

「……泣いてないからな」

「ええ、知ってる」

 そして円は、優しく微笑んだ。何も出来ないけれども、せめてこれぐらいはやろうと思う。沙耶を守りきれなかったという気持ちは、同じなわけだし。

 煙草をくわえたまま、正面の窓ガラスを見つめたまま、彼女は優しく微笑んだ。

 直純は窓ガラスに映るそんな従姉をちらりとみてから、天井を仰いで、きつく目を閉じた。影で一海の騎士と呼ばれている、騎士になりきれなかった男は、きつく目を閉じていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ