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調律師  作者: 小高まあな
第五章 櫻の樹の下には
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1−5−7

 堂本賢治。

 龍一はその名前を口の中で唱えた。

 それは、先ほどの話の中で円が告げた、大道寺沙耶が認めた人間の中の一人だった。恋人だったというその人は、彼女にとっては今でもとても大切な人で、もっとも近い人間なのだろう。

 贋作。円が言った言葉。事態はまったく理解できないが、今目の前で笑っている男がその堂本賢治の姿をした偽者だということだけはわかった。

 それに、大道寺沙耶が惑わされているのも。


「贋作なんてひどいなぁ、円さん。仮に俺が贋作だったとして、そんなこと関係ある? 大道寺沙耶は堂本賢治に会いたがっている。そのことに間違いはない。だったら、偽者だろと本物だろうと、関係ないんじゃない?」

 嗤う。円も笑った。

「ああ、やっぱり君は偽者ね。賢治君はそんな後ろ向きな笑顔を望む子じゃなかったわ」  

 とりだしたお札を構える。たん、と地面を蹴った。

「よくもまぁ、その格好でうちのお姫様を傷つけてくれたわね」

 堂本賢治の贋作の前までかけていく。

「消えなさい」

 突き出したお札から贋作は身をよじってよける。

 次の瞬間には円の後ろにいた。

 左足で後方に円は蹴りをだす。それに贋作は間合いを取り直した。もう一度円は駆け出す。


 高校時代で唯一楽しかった思い出だった。

 初めて、失いたくないと思った記憶だった。

 消えてもいいと、投げやりに考えていた自分の記憶を、初めて心から失いたくないと思った。

 記憶が消えることに本気で涙した。

 そんなこと、初めてだった。

 堂本賢治。大道寺沙耶の最初で、そしてきっと最後の恋人。彼と別れたときに、もう二度と恋などしないと誓った。

 そんな堂本賢治と姉のように慕っている一海円が争っている。

 あの堂本賢治は偽者だ。そんなこと、理解している。でも、頭で理解していても感情が欠片もついていかない。

 やばい。肩を強く握った。このままだと、きっと……。

 なぎ倒される机と椅子。それからクラスメイトの悲鳴と。そしてその中心でただ呆然と事態を見つめていた自分。

 あんなことは、もう、嫌だ。


「円!」

 円の背後についた贋作に、直純がお札を投げつける。贋作は慌ててそれを避ける。その隙を逃さず、円は贋作の足をはらい、倒れたその上にのった。

 そのまま持っていたお札を向ける。

「消えなさい」

 底冷えする声で呟いた。


 消えてしまう。彼が。いなくなる。

「っ、駄目、円姉!」

 咄嗟に沙耶が叫ぶ。

「!」

 その声に驚いて円は一瞬動作を止める。その隙をついて、贋作は円を振り払い立ち上がった。

 どん、飛ばされて思いっきり円は桜の幹に叩きつけられた。

「ぐ……」

「円!」

 直純が駆け寄る。

「円さんはひどいなぁ、ねぇ、沙耶」

 乱れた髪を直しながら、微笑む。ゆっくりと近づいていく。

「話し合いで平和的に解決するのが一海なんじゃないっけ?」

 龍一が沙耶を庇うように両手を広げて、二人の間に割って入った。

「へぇ、姫様を守る騎士気取りかい? 榊原龍一」

 睨む。龍一に出来るのはただ、それだけだった。本当は逃げ出したかった。でも、彼は二人の間に割って入り、贋作を睨んでいた。

「でも、邪魔だよ」

 突き飛ばす。

「うわっ」

「龍一君!」

 三メートルほど先の地面に叩きつけられる。動かない。

「龍一君!」

 もう一度沙耶は叫んだ。

「沙耶沙耶」

 その視線に割り込むようにして贋作はしゃがみこむ。拗ねたような顔をしてみせる。

「どうしてそこで他の男をみるかなぁ。堂本賢治はどう思うと思うの?」

 嗤う。

 ひっ、と沙耶は喉の奥で悲鳴をあげた。

「沙耶」

 握っていた沙耶の手を引き寄せ、清澄が名前を呼んだ。

「聞くことはない」

「清澄までそういうこというんだ。親友なのに」

 きっ、と清澄は贋作を睨む。


 かぁっと、頭に血が上っているのがわかる。冷静に考えられない。理解が出来ない。

 顔をしかめている円。

 倒れている龍一。

 全部、彼がやったこと。

 目の前の贋作はただ、嗤う。

「ねぇ沙耶。沙耶は今どちらが大切?」

 そういうと、ゆっくりと倒れている龍一に近づく。

「どちらが大切? 堂本賢治と、榊原龍一」

 嗤う。

 違う、堂本賢治は、賢はそんな笑い方はしない。だから、あれは偽者でそんな、心を乱される理由はない。あたしの大好きな彼はそんな嗤い方はしない。

「ねぇ、どっち?」

 そして、贋作は龍一に向かって手を伸ばした。ゆっくりと。

「う……」

 龍一が一度うめいて、顔をあげる。

「よかった、まだ生きてたよ」

 そう言いながら、贋作は彼に近づいて、


 沙耶の中で何かがぷちり、と切れた。


「やめてっー!」

 沙耶が叫ぶ。

「っ、清澄! 離れろ!」

 直純が怒鳴る。咄嗟に、清澄は声に従って沙耶の手を離し駆け出した。

 贋作は足を止めてそれを見ていた。にやり、と笑って。

 円が一つ舌打した。

「ふざけんじゃないわよ!」

 どん、と幹を殴った。


「ああ、これだよ」

 贋作が嗤う。

 見上げた空には黒い龍がいた。

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