1−5−4
「久しぶり」
手を広げて彼は笑った。昔と同じように。同じように、
「清澄も」
高校時代と何一つ変わっていない、堂本賢治を沙耶は睨みつけた。
おちゃらけた表情を浮かべて、学校指定の学ランを身に付けている。しょっちゅう生徒指導部に捕まっていた明るい茶色に染めた髪を、無造作に跳ねさせている。そんな二十四歳がいるというのか?
「貴方は何者?」
「何者って、ひどいなぁ沙耶。恋人の顔も忘れちゃったわけ?」
賢治が顔をゆがめる。
「貴方が本当に堂本賢治ならば、あたしに対して冗談でも忘れたのか? なんて聞かない」
片手で清澄に後ろにさがるように合図する。
「何で何で何で……、貴方、何よっ! なんで、なんで賢の姿をしているのよっ!」
こぶしを握りしめ、怒鳴った。
「何なのか、なんて関係ある?」
堂本賢治の姿をした何かは一歩足を踏み出す。
反射的に沙耶は一歩引いた。
「逃げるなんてひどいなぁ」
彼は傷ついたような顔をした。以前と何も変わっていない、その顔。ごめんなさい、と謝りそうになる。
「忘れていないんだろ?」
彼は沙耶の正面まで歩いてきた。今度は沙耶は逃げなかった。
「まだ、大事に持っているし」
そう言って手を伸ばし、沙耶が首にかけていたドッグタグに触れた。何の力を使ったのか、それは簡単に外れ、ちゃらん、と彼の手の中に納まった。
かぁっと、頭に血が上る。お揃い、と嬉しそうに差し出してきた、堂本賢治の顔が思い浮かぶ。彼はいつもそれをつけていた。制服の下にも。
沙耶は、それをつけておける勇気をもっていなかった。だから代わりに鞄の中にずっとしまって持ち歩いていた。たまに彼と外で会うときだけつけていた。
別れてからはずっとつけている。忘れたくなくて。
「っ! 返しなさい、それはあたしのよ」
片手を出す。
「それはあたしのよ。返しなさい」
もう一度繰り返す。
ずっと大切にしてきた、忘れたくなくて。忘れてしまった方が楽だと思うこともあったけれども、覚えている責め苦よりも、忘れてしまった喪失感の方が重いことを彼女は熟知していた。
「彼はまだ、同じものを持っているかな?」
そう言って堂本賢治の姿をした者は嗤った。
「知らないわ。そんなこと、もう関係ない」
吐き捨てるように呟く。別れる少し前から、彼はそのドッグタグをつけなくなっていた。そのことに気づいたとき、ああ終わりなのだな、と思った。だから、彼が捨ててしまっていても、しょうがないと思っている。思い込ませている。
「君を捨てたから?」
沙耶は答えなかった。答えられなかった。
別れを最初に切り出したのは沙耶のほうだった。けれども、それを言外に匂わせていたのは彼のほうだった。どちらが捨てたのだろう?
沙耶の後ろで事態をただ見守っていた清澄は、ゆっくりとジーパンの後ろのポケットからケータイを取り出した。ゆっくりと体の後ろに隠すようにして、
「何をしてるのかな、清澄は」
「っ」
「清澄っ!」
清澄の背後でにたり、と嗤う。
いつの間に? ずっと見ていた二人にもわからなかった。
「駄目じゃないか、こんなものいじって」
清澄の手からケータイをするりと奪う。何の抵抗も出来なかった。
「なぁ、清澄」
ケータイを撫でる。
ぱきり、
音を立ててケータイが割れる。そのままゆっくりと、清澄に向かって手を伸ばす。
「だめ!」
沙耶は叫び、清澄の腕を掴む。そのままひっぱると、清澄を庇うようにして前にでて、
「賢」
無慈悲に自分へと腕を伸ばしてくる、堂本賢治の姿を受けとめる。
目を閉じる。
「沙耶っ!」
大きく沙耶の名前を呼ぶ声が聞こえて、
ばちっ、
静電気のような音がする。
「あーあ、また邪魔が入って」
左手を押さえながら、堂本賢治の姿をした者は嘆いた。
「こんにちは、直純さん」
「……どういうことだ?」
お札を片手に直純は尋ねる。
「直兄……」
清澄を庇ったままの体勢で、沙耶が呟く。
「朝の占いの結果がよくなかった。虫の知らせで、何だか心配で、だから、現場に行く前にこっちに来て見たんだ」
視線だけを沙耶に投げかける。
「どうなってる?」
「わからない」
呟く。はりつめていたものがどこかで切れる音がした。しゃがみこむと、頭を抱えた。
「わからないわからないわからない。あたしには何もわからない」
ただ、首を横に振る。何度も何度も。子どものように。
「沙耶?」
後ろで清澄が尋ねる。
「沙耶」
沙耶の右手を握る。安心させるように。
「清澄」
直純が堂本賢治の姿をした者を睨みながら言う。
「円には連絡した。あいつが来るまで沙耶を見張っていてくれ。あの状態にならないように」
清澄は大きく一つ頷いた。
あんなことになるのはもう、ごめんだった。