表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
調律師  作者: 小高まあな
第五章 櫻の樹の下には
20/157

1−5−4

「久しぶり」

 手を広げて彼は笑った。昔と同じように。同じように、

「清澄も」

 高校時代と何一つ変わっていない、堂本賢治を沙耶は睨みつけた。

 おちゃらけた表情を浮かべて、学校指定の学ランを身に付けている。しょっちゅう生徒指導部に捕まっていた明るい茶色に染めた髪を、無造作に跳ねさせている。そんな二十四歳がいるというのか?

「貴方は何者?」

「何者って、ひどいなぁ沙耶。恋人の顔も忘れちゃったわけ?」

 賢治が顔をゆがめる。

「貴方が本当に堂本賢治ならば、あたしに対して冗談でも忘れたのか? なんて聞かない」

 片手で清澄に後ろにさがるように合図する。

「何で何で何で……、貴方、何よっ! なんで、なんで賢の姿をしているのよっ!」

 こぶしを握りしめ、怒鳴った。

「何なのか、なんて関係ある?」

 堂本賢治の姿をした何かは一歩足を踏み出す。

 反射的に沙耶は一歩引いた。

「逃げるなんてひどいなぁ」

 彼は傷ついたような顔をした。以前と何も変わっていない、その顔。ごめんなさい、と謝りそうになる。

「忘れていないんだろ?」

 彼は沙耶の正面まで歩いてきた。今度は沙耶は逃げなかった。

「まだ、大事に持っているし」

 そう言って手を伸ばし、沙耶が首にかけていたドッグタグに触れた。何の力を使ったのか、それは簡単に外れ、ちゃらん、と彼の手の中に納まった。

 かぁっと、頭に血が上る。お揃い、と嬉しそうに差し出してきた、堂本賢治の顔が思い浮かぶ。彼はいつもそれをつけていた。制服の下にも。

 沙耶は、それをつけておける勇気をもっていなかった。だから代わりに鞄の中にずっとしまって持ち歩いていた。たまに彼と外で会うときだけつけていた。

 別れてからはずっとつけている。忘れたくなくて。 

「っ! 返しなさい、それはあたしのよ」

 片手を出す。

「それはあたしのよ。返しなさい」

 もう一度繰り返す。

 ずっと大切にしてきた、忘れたくなくて。忘れてしまった方が楽だと思うこともあったけれども、覚えている責め苦よりも、忘れてしまった喪失感の方が重いことを彼女は熟知していた。

「彼はまだ、同じものを持っているかな?」

 そう言って堂本賢治の姿をした者は嗤った。

「知らないわ。そんなこと、もう関係ない」

 吐き捨てるように呟く。別れる少し前から、彼はそのドッグタグをつけなくなっていた。そのことに気づいたとき、ああ終わりなのだな、と思った。だから、彼が捨ててしまっていても、しょうがないと思っている。思い込ませている。

「君を捨てたから?」

 沙耶は答えなかった。答えられなかった。

 別れを最初に切り出したのは沙耶のほうだった。けれども、それを言外に匂わせていたのは彼のほうだった。どちらが捨てたのだろう?

 沙耶の後ろで事態をただ見守っていた清澄は、ゆっくりとジーパンの後ろのポケットからケータイを取り出した。ゆっくりと体の後ろに隠すようにして、

「何をしてるのかな、清澄は」

「っ」

「清澄っ!」

 清澄の背後でにたり、と嗤う。

 いつの間に? ずっと見ていた二人にもわからなかった。

「駄目じゃないか、こんなものいじって」

 清澄の手からケータイをするりと奪う。何の抵抗も出来なかった。

「なぁ、清澄」

 ケータイを撫でる。

 ぱきり、

 音を立ててケータイが割れる。そのままゆっくりと、清澄に向かって手を伸ばす。

「だめ!」

 沙耶は叫び、清澄の腕を掴む。そのままひっぱると、清澄を庇うようにして前にでて、

「賢」

 無慈悲に自分へと腕を伸ばしてくる、堂本賢治の姿を受けとめる。

 目を閉じる。

「沙耶っ!」

 大きく沙耶の名前を呼ぶ声が聞こえて、

 ばちっ、

 静電気のような音がする。

「あーあ、また邪魔が入って」

 左手を押さえながら、堂本賢治の姿をした者は嘆いた。

「こんにちは、直純さん」

「……どういうことだ?」

 お札を片手に直純は尋ねる。

「直兄……」

 清澄を庇ったままの体勢で、沙耶が呟く。

「朝の占いの結果がよくなかった。虫の知らせで、何だか心配で、だから、現場に行く前にこっちに来て見たんだ」

 視線だけを沙耶に投げかける。

「どうなってる?」

「わからない」

 呟く。はりつめていたものがどこかで切れる音がした。しゃがみこむと、頭を抱えた。

「わからないわからないわからない。あたしには何もわからない」

 ただ、首を横に振る。何度も何度も。子どものように。

「沙耶?」

 後ろで清澄が尋ねる。

「沙耶」

 沙耶の右手を握る。安心させるように。

「清澄」

 直純が堂本賢治の姿をした者を睨みながら言う。

「円には連絡した。あいつが来るまで沙耶を見張っていてくれ。あの状態にならないように」

 清澄は大きく一つ頷いた。

 あんなことになるのはもう、ごめんだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ