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調律師  作者: 小高まあな
第四章 オドラデクの猫
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1−4−4

「龍一君は?」

 そのバスを見送って沙耶が尋ねる。

「あたしは駅まで行くんだけど」

 そういって、言葉をきると辺りを見回した。

「それでね、もし、駅がどっちなのか知ってたら教えてくれる?」

 そういうと、珍しく肩をすくめて苦笑してみせた。

「地図、清澄に渡しちゃったから、道がわからないの」

 それを聞いて龍一は微笑む。

「あっちです。送りますよ、駅まで」

「え、でも道さえ教えてくれれば……」

「どうせ通り道ですから」

 そういって歩き出す。正確に言うと、家には近づくが通り道ではなかった。けれども、そんなことは、この場合問題ではない。

「この近所なの?」

 すたすたと歩く龍一に小走りで追いついて、沙耶が尋ねる。

「はい」

「そう」

 二人で歩く。

「今日は大変だったわね」

「あ、いいえ。なんていうか……、」

 言葉を選ぶ。まさか沙耶の表情に見とれていたなんて言える訳がないし。

「滅多にないものを見させてもらいましたから」

「そう? ならいいけど、見えないんでしょ?」

「え、ええ」

「なのになんで円姉は連れて行け、なんていったのかしらね。……あ、別に貴方のことを足手まといだって、言っているわけじゃないのよ?」

 慌てて手を振り、訂正する。

「ただ、そこにどんな意味があるのかしら、っと思って」

「何を考えているのかよくわからない人ですよね、円さんって」

「本当。最高の愉快犯だということだけは、確かなんだけど」

 そういって沙耶はくすり、と笑う。

「いつも不機嫌そうな顔をしているか、にやりと何かを企んで笑っているかのどちらかだから、表情も読めなくって」

 それは沙耶がいう台詞かなぁとも思ったけれども、龍一はコメントは控えた。

「……でもね、円姉はいつもぶっきらぼうだけれども、確かに優しい人ではあるのよ」

 ぽつりと呟く。

「はい」

「あんな風に何かに怒っているような態度もとるけどね、あの人が他人に対して怒ることってないから」

 龍一をみて微笑む。

「あの人、あたしがどんなミスをしてもあたしに対して怒ったりしないのよ。もちろん、それは怒られた方が楽だから怒らないっていうのもあるんだろうけど。あの人は代わりに自分を責めるの。自分の仕事の振り分けや後方支援が上手く出来ていなかったからそういうミスを生んだんだって。そういうところは、とても好き。尊敬している」

 ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぐ沙耶を龍一は黙って聞いていた。

「……いいこと教えてあげる。円姉はね、本当に苛立っているときは煙草の消費量が増えるの。それも、左手で煙草を吸う」

 そういって沙耶は左手をひらひらさせる。

「もともとへヴィスモーカーだけどね。そういうときはもっと量が増える。普段は右手を使うのに、そう言うときは左手を使うの。本人は無意識なんだろうけど」

「……よく見てるんですね」

 沙耶の言葉に呟く。沙耶は龍一をみると微笑んで、頷いた。

「姉みたいなものだから、円姉は」

 そこで黙る。赤信号に二人でとまった。信号を見つめながら沙耶はぽつりと、尋ねる。

「ねぇ、あたしのこと、どこまで聞いた?」

 龍一も信号を見たまま答えた。

「一海の、円さんの家の養子みたいなものだっていうことと、それから」

 反対側の信号が黄色に変わる。

「爆弾を背負っているっていう話を」

 信号が消え、赤に変わる。

「爆弾、ね」

 沙耶が呟いた。

 目の前の信号が青に変わる。ゆっくりと歩き出す。

「言い得て妙かもね。……こういうこと聞きたくないかもしれないけど、あたし、龍一君に言っておきたいことがあるの」

「はい」

 沙耶は視線を龍一にうつす。

「あたしはいつか、貴方を傷つける。それが肉体的になのか精神的になのか、もしかしたら両方か、それはわからない。でも、だから、」

 沙耶は微笑した。眉を下げて、力なく。

「出来たら、もう離れた方がいいわ。あたしから」

 龍一は黙って沙耶を見つめる。その後視線をまた前に戻し、少し歩く速度を速めた。

「そんなことを言って、俺がはい、わかりました、っていうと思いますか」

「全然」

 沙耶は首を横に振った。

「もうすでに、事務所には来ない方がいいって告げたもの。無駄なのは知ってる。ただ、これはあたしの気持ちの問題。何も知らない貴方を巻き込むよりは、少し予備知識があった方がまだいいでしょう?」

 エゴね、と嗤う。龍一はコメントを控えた。

 沈黙。

 しばらく歩き、また信号にひっかかった。

「この話はもうやめましょう」

 立ち止まり、先ほどと同じように信号を睨みながら沙耶が呟く。

「そうですね」

 龍一も信号を見ながら頷いた。

「駅、こっちでいいのよね?」

「はい」

 本当は、この角を右に曲がった方が近道だと知っていながら龍一は頷いた。

 青信号。歩き出す。

「さっきの公園」

「はい?」

「桜、綺麗だったわね」

 沙耶が言った。ああ、と龍一は笑う。

「地元の奥様方が子どもを連れてお花見をするスポットなんですよ」

「へぇ」

 車の交通量が多いのが気になるけど、まぁいいところかもね、と沙耶は微笑んだ。

「好きなんですか? 桜」

 こっちです、と右に曲がりながら龍一が尋ねる。

「好き。桜とか星とか月とか雪とか、そういうものが好き。でも、星とか雪はこの辺じゃ全然見られなくて」

 比較的高いビルの少ない空を沙耶は見上げる。龍一もそれに習った。

「東京には空がない、とかいう詩人、いませんでしたっけ?」

「高村光太郎ね。よく知っておるわね。それとも、最近の高校生の愛読書なのかしら?」

 空から龍一に視線を戻す。それを龍一は受け止めた。

「たまたま、この間何かで見たんですよ。多分、文学史の授業かなんかで」

「なるほどね」

 微笑んだ。

「あたし、東京生まれの東京育ちだから本当の空とか言ってもわからないけどね」

「んー。でも、確かに祖父母の家とかに行くと、空が全然違いますよ。星が綺麗」

「どこなの?」

「山口県なんですけど。島だし」

 いいなぁ、と沙耶は呟いた。

 龍一はそんな彼女を見て、

「今度行きます?」

 出来る限り軽い調子で尋ねた。

「……そうね、そのうち皆で」

 沙耶は笑みを浮かべながら返した。

「ええ、皆で」

 龍一も微笑み返した。お互いに、お互いが本気ではないことを理解していた。沙耶は龍一が皆で行くつもりがないことを、龍一は沙耶が例え皆とでも行くつもりがないことを。

 駅の見慣れた建物が見えて、龍一はひっそりとため息をついた。思っていたよりも駅が近い。

 特に何も話さないまま歩く。沙耶のヒールの音だけが二人の間でしていた。

「それじゃぁ」

 改札の近くで定期入れを鞄から取り出しながら沙耶。

「はい」

「わざわざ送ってくれてありがとう。おつかれさま」

「はい。お疲れ様です」

 龍一は笑んで見せた。沙耶は軽く片手をふり、改札の中へと消えていった。

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