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人には、出来る事と出来ない事がある。
出来ない事を早めに諦めて出来る事を伸ばす事だって有用だ。例えば、龍一は英語の長文読解は苦手だけれども文法は得意なので、文法でいつも点数を稼ぐ。数学の簡単な問題は落とさない様にする。
出来る事で出来ない部分を補えばいい。
榊原龍一は幽霊を見る事が出来る。でも、見る事が出来るだけだ。祓うなんてことはできない。そこを悔いてもしょうがない。
出来る範囲で出来る事をすればいい。
ずっと考えていた。
一日のほとんどを試験勉強に費やしていたけれども、それでもふっとした瞬間に思い出した。考えていた。自分に何ができるのか。
出来ないことの方が圧倒的に多いけれども。出来る事をしよう。
そして、今出来ることはただ一つ。
きちんともう一度、思いを伝えること。
「いらっしゃい」
いつもと同じ少し困ったような笑みを浮かべて、沙耶がドアをあけた。
「お邪魔します」
龍一は笑う。
「……背、伸びた?」
沙耶は困ったような顔をしたまま小首を傾げる。
「あ、わかった? ちょっとだけど」
思わず笑いながら言葉を返す。今までやや龍一の方が高いぐらいだった身長差だったが、今なら自信を持って龍一の方が高いと言える。
「あ、これどうぞ」
言いながら持って来たドーナツを渡す。
「ありがとう」
部屋に通される。
今日の室内は、綺麗に片付いていた。
「座ってて。お茶いれる」
「うん」
不思議な程、今日は緊張していなかった。やると決めたことをやるだけなのに、なにを緊張するんだろう。
「はい、どうぞ」
渡されたお茶に口をつける。
「沙耶のいれた紅茶、久しぶりだな」
微笑む。
「あ、そうかも。あ、あとドーナツ、お持たせですが……」
「これね、うちの近くに新しく出来たお店の。焼きドーナツなんだって」
「あ、そうなんだ」
しばらくドーナツを食べながら、くだらない話をする。世間話すら、久しぶりだな、と思った。どこかぎこちないけれども、世間話が出来ることに安心した。
「あ、そうだ。第一志望の発表はまだなんだけど、一応大学生になれるんだ」
会話の合間をみて、本題をつっこむ。
ここから受験した学部の話に持って行って、と脳内で算段を立てていると、
「よかった、おめでとう。医学部受験したんだって? ええっと、海藤さん? に聞いた」
沙耶の方が、そうやって告げた。
飲んでいた紅茶を吹きそうになる。喧嘩売ったとかいう話は聞いたけど、そこまでは聞いてない。
「それは……」
「なんで言わなかったの? あたし、理系だから数学得意なのに」
「別に、沙耶に気を使わせるつもりはないし、俺がやりたいからやってることで」
「でも、お礼も言わせてくれないの?」
言い訳を遮られる。
思わず、彼女の顔を見つめる。
沙耶は、少し微笑んで、
「あたしのためだって、少しはうぬぼれてもいいんだよね?」
「……少しじゃなくて、思いっきりうぬぼれてくれていいよ」
答えた。
「迷惑じゃなかったら、だけど」
「迷惑なわけ、ないじゃない」
沙耶が泣き笑いのような顔をする。
「寧ろ、あたしが迷惑になっているんじゃないかって、ずっと思ってたのに」
「迷惑なわけ、ないじゃないか」
同じような台詞を言って、苦笑する。
「あたし、ね」
「うん?」
「ずっと自分の名前って3月8日生まれだからっていう簡単な理由で付けられて、本当は父は息子が欲しくて、娘が生まれたからなげたんだろうなって思ってたの」
「ああ」
そういえば、確かにそんな話を聞いた。
でもね、と沙耶は一度首を横にふり、
「この前、母に会って初めて知ったの、あたしの名前の由来。誕生日を覚えてもらえるように、ですって」
沙耶はまた、泣きそうな顔をする。
「全然知らなかった。あたし、本当にあたしが嫌われているだけだと思っていて、勝手に僻んで」
こどもみたいだね、と続ける。
「全部そう。全部勝手に自分では手に入らないものだと思って、妬んで、うらやんで。諦めていた、勝手に。あたしは、幸せになってはいけないのだと、思っていた。だって、あたしは過去に人を傷つけて来たのだから、例えその人達に殺されたって文句は言えない」
「そんなこと! だって沙耶の故意じゃないんだしっ」
思わず龍一が声をあげると、沙耶が片手でそれを制した。
「あたしが過去に人を傷つけた事実は消えない。でも、初心を忘れていたの。あたしが一海の仕事を手伝い出したのは、償いの意味があったってこと」
「償い?」
「そう、最初は幽霊も化け物も、あたし自身も怖くて嫌だったのに、一海の仕事を手伝うようになったのは、あたしだけにしかできない方法で誰かを救うことで、償いにでもなればいいと思ったの」
償い自体がエゴだけれども、と小さく付け足す。
「あたしは龍の存在のおかげで、人より簡単に幽霊に体を貸すことができるの。それは、万が一幽霊があたしの体を奪おうとしても、龍がその幽霊を喰らうから。その場合、龍をおさめる対価が必要になるんだけれども」
「……うん」
対価を思い、龍一は眉をひそめる。
「奪ってしまった幸せを、直接被害者に返すことはできないけれども。そうやって誰かの役に立つことで、償いをして、……いつか自分自身を認められたらって最初は思っていたの」
すっかり忘れていたけれども、と付け足す。
「昔の日記をみて、思い出した。これは、龍に喰われた記憶か、普通に忘れていたことかもわからない。でも、思い出した。昔のあたしならきっとそう思うだろうって、思えた」
ゆっくりと、沙耶が微笑む。
「あたしは幸せが似合わないと、笑顔が似合わないと、ずっと思ってた」
でもね、と続ける。
「それは、必要以上に卑屈になった自分自身の思い込みだった部分も、あると思うの。まだ自分が許されたかはわからないけれども」
「うん」
「ねぇ、龍一。あの時の言葉、訂正してもいい?」
久しぶりに聞いた、敬称をつけない呼び方に心臓が跳ねる。
「あの時、って?」
自分の声がかすれるのがわかる。
「あたし、一人では生きて行けないみたい」
瞳を潤ませながら、それでも沙耶は笑っていた。
「思い上がりだった。一人でなんか生きていけない。円姉や直兄や清澄や、宗主とか、たくさんの人に守ってもらって、助けてもらって生きてきたのに、これからもきっとそうなのに、一人でも生きていけるなんて、あたしは愚かだわ」
龍一の視線を正面から捉える。
「そして、あたしは、できるなら龍一と一緒に生きていきたい」
「それ、は……」
言葉が喉につまった気がして、龍一は大きく息を吸い込んだ。
こっちが言おうと思ったことを、なんで言ってしまうんだろう。
「ごめんなさい」
それをどう受け取ったのか、沙耶は謝る。
「龍一のことを考えたら、離れるべきだと思ったの。でも、やっぱりあたしはそばにいたい、一緒にいたい。あたしの、我が侭だけど」
言って沙耶は俯いた。
言葉が出ないまま、龍一は沙耶を見つめる。
「ごめんなさい、迷惑だよね」
どうしてそう受け取ってしまうのか。
前向きになったかと思ったのに、やっぱりどこかネガティブな彼女が、それでもとっても愛おしい。
とりあえず誤解を解かなければならないと声をかけ、
「沙耶」
声がかすれる。咳払い。
「待って、俺にも話をさせて」
沙耶が顔をあげる。半分泣いているような顔。いますぐ抱きしめたい。叶わない恋だと思っていたのに。まだ、自分は何も言っていないのに。
それでも、ちゃんとけじめはつけないといけない。彼女にだけ話させて、自分が言わないなんて、それは卑怯だ。
それでも思わず緩む口元を片手で隠し、出来るだけ真面目に見える顔をする。
ちゃんと言わなきゃ。