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調律師  作者: 小高まあな
第九章 Woman meets Man
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4−9−1

 人には、出来る事と出来ない事がある。

 出来ない事を早めに諦めて出来る事を伸ばす事だって有用だ。例えば、龍一は英語の長文読解は苦手だけれども文法は得意なので、文法でいつも点数を稼ぐ。数学の簡単な問題は落とさない様にする。

 出来る事で出来ない部分を補えばいい。

 榊原龍一は幽霊を見る事が出来る。でも、見る事が出来るだけだ。祓うなんてことはできない。そこを悔いてもしょうがない。

 出来る範囲で出来る事をすればいい。

 ずっと考えていた。

 一日のほとんどを試験勉強に費やしていたけれども、それでもふっとした瞬間に思い出した。考えていた。自分に何ができるのか。

 出来ないことの方が圧倒的に多いけれども。出来る事をしよう。

 そして、今出来ることはただ一つ。

 きちんともう一度、思いを伝えること。


「いらっしゃい」

 いつもと同じ少し困ったような笑みを浮かべて、沙耶がドアをあけた。

「お邪魔します」

 龍一は笑う。

「……背、伸びた?」

 沙耶は困ったような顔をしたまま小首を傾げる。

「あ、わかった? ちょっとだけど」

 思わず笑いながら言葉を返す。今までやや龍一の方が高いぐらいだった身長差だったが、今なら自信を持って龍一の方が高いと言える。

「あ、これどうぞ」

 言いながら持って来たドーナツを渡す。

「ありがとう」

 部屋に通される。

 今日の室内は、綺麗に片付いていた。

「座ってて。お茶いれる」

「うん」

 不思議な程、今日は緊張していなかった。やると決めたことをやるだけなのに、なにを緊張するんだろう。

「はい、どうぞ」

 渡されたお茶に口をつける。

「沙耶のいれた紅茶、久しぶりだな」

 微笑む。

「あ、そうかも。あ、あとドーナツ、お持たせですが……」

「これね、うちの近くに新しく出来たお店の。焼きドーナツなんだって」

「あ、そうなんだ」

 しばらくドーナツを食べながら、くだらない話をする。世間話すら、久しぶりだな、と思った。どこかぎこちないけれども、世間話が出来ることに安心した。

「あ、そうだ。第一志望の発表はまだなんだけど、一応大学生になれるんだ」

 会話の合間をみて、本題をつっこむ。

 ここから受験した学部の話に持って行って、と脳内で算段を立てていると、

「よかった、おめでとう。医学部受験したんだって? ええっと、海藤さん? に聞いた」

 沙耶の方が、そうやって告げた。

 飲んでいた紅茶を吹きそうになる。喧嘩売ったとかいう話は聞いたけど、そこまでは聞いてない。

「それは……」

「なんで言わなかったの? あたし、理系だから数学得意なのに」

「別に、沙耶に気を使わせるつもりはないし、俺がやりたいからやってることで」

「でも、お礼も言わせてくれないの?」

 言い訳を遮られる。

 思わず、彼女の顔を見つめる。

 沙耶は、少し微笑んで、

「あたしのためだって、少しはうぬぼれてもいいんだよね?」

「……少しじゃなくて、思いっきりうぬぼれてくれていいよ」

 答えた。

「迷惑じゃなかったら、だけど」

「迷惑なわけ、ないじゃない」

 沙耶が泣き笑いのような顔をする。

「寧ろ、あたしが迷惑になっているんじゃないかって、ずっと思ってたのに」

「迷惑なわけ、ないじゃないか」

 同じような台詞を言って、苦笑する。

「あたし、ね」

「うん?」

「ずっと自分の名前って3月8日生まれだからっていう簡単な理由で付けられて、本当は父は息子が欲しくて、娘が生まれたからなげたんだろうなって思ってたの」

「ああ」

 そういえば、確かにそんな話を聞いた。

 でもね、と沙耶は一度首を横にふり、

「この前、母に会って初めて知ったの、あたしの名前の由来。誕生日を覚えてもらえるように、ですって」

 沙耶はまた、泣きそうな顔をする。

「全然知らなかった。あたし、本当にあたしが嫌われているだけだと思っていて、勝手に僻んで」

 こどもみたいだね、と続ける。

「全部そう。全部勝手に自分では手に入らないものだと思って、妬んで、うらやんで。諦めていた、勝手に。あたしは、幸せになってはいけないのだと、思っていた。だって、あたしは過去に人を傷つけて来たのだから、例えその人達に殺されたって文句は言えない」

「そんなこと! だって沙耶の故意じゃないんだしっ」

 思わず龍一が声をあげると、沙耶が片手でそれを制した。

「あたしが過去に人を傷つけた事実は消えない。でも、初心を忘れていたの。あたしが一海の仕事を手伝い出したのは、償いの意味があったってこと」

「償い?」

「そう、最初は幽霊も化け物も、あたし自身も怖くて嫌だったのに、一海の仕事を手伝うようになったのは、あたしだけにしかできない方法で誰かを救うことで、償いにでもなればいいと思ったの」

 償い自体がエゴだけれども、と小さく付け足す。

「あたしは龍の存在のおかげで、人より簡単に幽霊に体を貸すことができるの。それは、万が一幽霊があたしの体を奪おうとしても、龍がその幽霊を喰らうから。その場合、龍をおさめる対価が必要になるんだけれども」

「……うん」

 対価を思い、龍一は眉をひそめる。

「奪ってしまった幸せを、直接被害者に返すことはできないけれども。そうやって誰かの役に立つことで、償いをして、……いつか自分自身を認められたらって最初は思っていたの」

 すっかり忘れていたけれども、と付け足す。

「昔の日記をみて、思い出した。これは、龍に喰われた記憶か、普通に忘れていたことかもわからない。でも、思い出した。昔のあたしならきっとそう思うだろうって、思えた」

 ゆっくりと、沙耶が微笑む。

「あたしは幸せが似合わないと、笑顔が似合わないと、ずっと思ってた」

 でもね、と続ける。

「それは、必要以上に卑屈になった自分自身の思い込みだった部分も、あると思うの。まだ自分が許されたかはわからないけれども」

「うん」

「ねぇ、龍一。あの時の言葉、訂正してもいい?」

 久しぶりに聞いた、敬称をつけない呼び方に心臓が跳ねる。

「あの時、って?」

 自分の声がかすれるのがわかる。

「あたし、一人では生きて行けないみたい」

 瞳を潤ませながら、それでも沙耶は笑っていた。

「思い上がりだった。一人でなんか生きていけない。円姉や直兄や清澄や、宗主とか、たくさんの人に守ってもらって、助けてもらって生きてきたのに、これからもきっとそうなのに、一人でも生きていけるなんて、あたしは愚かだわ」

 龍一の視線を正面から捉える。

「そして、あたしは、できるなら龍一と一緒に生きていきたい」

「それ、は……」

 言葉が喉につまった気がして、龍一は大きく息を吸い込んだ。

 こっちが言おうと思ったことを、なんで言ってしまうんだろう。

「ごめんなさい」

 それをどう受け取ったのか、沙耶は謝る。

「龍一のことを考えたら、離れるべきだと思ったの。でも、やっぱりあたしはそばにいたい、一緒にいたい。あたしの、我が侭だけど」

 言って沙耶は俯いた。

 言葉が出ないまま、龍一は沙耶を見つめる。

「ごめんなさい、迷惑だよね」

 どうしてそう受け取ってしまうのか。

 前向きになったかと思ったのに、やっぱりどこかネガティブな彼女が、それでもとっても愛おしい。

 とりあえず誤解を解かなければならないと声をかけ、

「沙耶」

 声がかすれる。咳払い。

「待って、俺にも話をさせて」

 沙耶が顔をあげる。半分泣いているような顔。いますぐ抱きしめたい。叶わない恋だと思っていたのに。まだ、自分は何も言っていないのに。

 それでも、ちゃんとけじめはつけないといけない。彼女にだけ話させて、自分が言わないなんて、それは卑怯だ。

 それでも思わず緩む口元を片手で隠し、出来るだけ真面目に見える顔をする。

 ちゃんと言わなきゃ。

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