4−5−5
一声かけて、ゆっくりと襖をあける。
正座していた中年女性が弾かれた様に顔をあげた。
「お久しぶりです」
声をかける。冷たい声だと、我ながら思った。
「……ごめんなさい」
母は小さい声でそう言った。
正面には座らない。少し離れた、襖に近い場所に座りながら、
「お葬式、あたしは出ない方がいいですよね?」
久しぶりに言う言葉がそれか、と自分でも笑えた。
「……ごめんなさいね」
「大道寺はどなたが継ぐんですか?」
「副社長の、息子さんが」
「ああ、養子にする、とおっしゃっていましたものね」
ごめんなさいね、と母が言う。
この人はこんなに小さかったろうか、と思う。背が高い方ではなかったが、もっと大きくて、包容力のある人だと思っていた。
ごめんなさい、と母はまた言う。
「一つだけ、聞いてもいいですか?」
母が首を傾げる。
「あの人は、あたしのこと、やっぱり嫌いだったんですか? その、龍の事がわかる、ずっとずっと前から」
それはずっと思っていたことだった。そして、出来るならいつか確認したいことだった。
「そんなこと!」
「やっぱり息子の方がよかった?」
「なんで、そんなこと」
母が唇を震わせる。
「じゃなかったら、3月8日生まれだから沙耶、なんて安直な名前、つけませんよね?」
産まれた瞬間から、投げられていた。諦められていた。ずっと思っていた。それならそれで構わない。それならそれで、この人たちを本当に切り離せる。
切り離して、新しく前に進める。すがらないですむ。
「違うっ! あの人は、誕生日を覚えてもらえるように、と」
片手を畳につき、母は沙耶の方に身を乗り出す。
「あの人は、自分が三月の末の生まれで、あまり友人に誕生日を祝ってもらえなかったから。春休みに入って忘れられることが多かったからって。だから、自分の子どもの名前は、誕生日に絡んだ名前にしようって」
「え?」
「だから、3月8日生まれで沙耶って。わたしは、語呂合わせみたいだって言ったけれども、あの人は誰にでも誕生日を祝ってもらえることが、名前を呼ぶたびに生まれて来たことを祝福される方が、この子にとって幸せだって言って!」
言葉が出ない。
生まれたときから諦められていたから、適当につけられたんじゃないの?
「だから! 確かに、確かにわたしたちはあなたに酷いことをした。だけど、そんなことだけは言わないで。あの人は、あなたが生まれた時、それはそれは喜んだのよ?」
本当だろうか。何も、覚えていないけれども。幼い時のことだから、当たり前だとしても。
身を乗り出し、早口でしゃべっていた母は、何かに気づいたかのようにはっと身を引いた。
「ごめんなさい。喋り過ぎました」
そしてまた、母は小さく縮こまる。
今の話は本当なのだろうか?