4−5−1
「はよ」
沙耶が事務所のドアを開けると、円が軽く片手をあげて言った。その手には煙草が握られていて、
「……室内禁煙」
「いいでしょう? もう」
床に座ったまま円は微笑む。
机も何もかもなくなった事務所。
「……がらんと、してるね」
「そうねー。悪いわねー、紅茶の缶とか沙耶自身に片付けてもらった方がいいと思って」
「ううん」
首を横に振る。
「最後に、見ておきたかったから」
賢治のことがあってから数日、あっという間に事務所の明渡しの日がやってきた。今、事務所に残っているのは、沙耶の私物である紅茶用品だけだ。
「……円姉」
「んー」
かちゃかちゃと紅茶の缶を箱にしまいながら声をかける。
「ごめんなさい」
「何が? あんたに謝られるようなこと、結構あるんだけど?」
おどけたような言葉に、
「事務所のこと。せっかく、ここまでやってきたのに、あたしのせいで終わりになって……」
「ああ。まあ、あれは私達も悪いし、本当に元々試験的な機関だったし、丁度いいのよ。いずれ、一海に戻らなきゃいけないことは確定していたし。清澄もいつまでもここにおいておくわけにはいかなかったし」
「……清は、会計の事務所だっけ? 新しい職場」
「そう、直の友人のねー。いい人よ、あの人。直の昔からの友人で、こっちの世界にそれなりに理解もあって、でも適度に距離を保っていて」
だから、清澄のことは心配いらないんじゃない? と明るい声で言われる。気に病んでいたのは、気づかれていた。
振り回してしまった。本当はこっちの世界にくるはずもない普通の人間を、こんな変な仕事をさせてしまって、まきこんで、挙げ句こちらの都合で放り出して。でも、それでも今後、普通の世界でうまくやってくれるのならば、少しは安心出来る。
振り回してしまったのは清澄だけじゃない。榊原龍一。彼も、十分に振り回している。賢治のことがあってから、連絡をとっていないけれども、彼もさぞかし迷惑していることだろう。
最後にあったときの、一瞬歪められた顔を思い出す。沙耶自身は前向きに言ったつもりの言葉に、彼は痛そうな顔をした。
あの顔の意味は、あれから考えて考えて、もしかしたらという答えを自分ではだした。でも、それは、そうであったらいいという自分の願望以外の何者でもない答えだった。