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調律師  作者: 小高まあな
第三章 永訣の夜
122/157

4−3−2

「沙耶」

 そっと肩を押され、彼から少し離れる。慌ててもう一度手を握る。きつく。

「これだけは忘れないで欲しい」

 真面目な顔で、それでも微笑みながら彼は言った。

「これからはもっと自分を特別視しないで、普通だって顔して生きてよ」

 言われて、目の前に夕焼けの空が浮かんだ。

 あの日、別れのあの日、窓からみた風景。夕焼け空で、そこにまっすぐ伸びる飛行機雲が見えた、あの日。

 思い出した。

 教室から立ち去ろうとした賢治が、ドアを閉める前に呟いた言葉。

「沙耶」

 もう二度と、思い出せないと思っていた言葉。

「もっと普通に生きても、いいと思うよ」

 ああ、あの記憶は喰われたわけじゃなかったんだ。ただただ、忘れていただけなんだ。

 ずっとずっと、喰われた記憶だと思っていた。

「……思い出した」

 小さく呟くと、賢治は

「うん」

 微笑む。

「忘れてた、だけだった……」

「だから言ったじゃん、普通だよって」

 頭を撫でられる。

 駄目だ、涙が止まらない。

「沙耶が普通だって思っていれば、それで平気だから。沙耶から突き放しさえしなければ、もっと受け入れてくれる人がいるはずだよ」

 頷く。

 どうしてこんな大事なこと、忘れていたのだろう。

「それだけ、言いたかったんだ。だから、ここに戻って来た。大丈夫だよね? 自分からもう、捨てたりしないでね」

「待ってっ」

 慌てて腕を掴む。

 賢治は駄々っ子を見るような顔をして、

「駄目だよ、もう戻らなきゃ。沙耶だって、わかっているでしょう?」

「分からない。分からない!」

 他にどんなに味方がいても、うけいれてくれる人がいても、貴方がいなくちゃだめなのだ。堂本賢治の代わりなんて、いるわけがない。

「大事にしてあげて。さっきの男の子。ね?」

「だけどっ」

「沙耶、そんな顔したら連れて行きたくなるじゃん」

「だったら連れてって」

「沙耶!」

 一瞬怒ったような顔をして、

「後悔するよ、そんなこと言ったら、すぐに」

 呆れた様に笑う。

「一時の感情で、本当に大事なもの、見失わないで。沙耶はまだ、こっちにきたら駄目」

「あたしは、半分はそっちの人間だもの」

「またそういうこと言う……。普通に生きろって言ったじゃん」

 はぁ、とわざとらしく賢治はため息をつく。

「まあ、すぐに前向きになる沙耶も怖いんだけどさ。半分も何も、沙耶は生きてるんだから諦めたら駄目だってば」

 さてっと、と賢治は立ち上がる。

 握った手が離れない様に力を込めて

「あ……」

 力を込めたはずのその手は、宙を切った。

「ごめんね。あんまり長居して悪霊とかになっても困るでしょ?」

 おどけて笑う。

「いやっ、駄目っ」

 手を伸ばす。

 その手は、賢治の体をすり抜けた。

「ごめん。急に現れて、急に消えて。本当に、ごめんね」

 消えかかっている体を、どうにかして引き止めようと手を伸ばす。

「だけど、本当に、もっと普通に生きてね?」

 消えかかっている指で、沙耶の頬を拭う。感触のない掌に、さらに涙があふれる。

「いかないで……」

「また、そのうち。すぐじゃないよ。そのうち、会おうね」

 賢治は微笑み、唇が触れた、ような気がした。

 何も、残らなかった唇を押さえる。

「ばいばい」

 小さく右手を振って、いつも帰り際別れるときのように微笑んで、

「まっ……」

 堂本賢治は消えた。

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