4−3ー1
「沙耶」
首に回した手は離したものの、両手は握ったまま離せなかった。そんな沙耶に、賢治が声をかける。
「俺のこと、もう、気にしなくてもいいんだよ」
「え?」
首を傾げる。不安が胸をよぎる。
彼は、何を、言い出す気だろう。
「大丈夫。ちゃんと自分のことは自分でけりをつけるから。ただ、言いたいことがあってここに来ただけだから」
「賢、何を……」
「思い出したから、俺は」
「賢!」
それ以上、言わないで。
遮る様に出した大きな声を彼は無視し、
「もう、死んでるんだよね」
少し悲しそうに微笑んだ。
「っ」
言わないで、欲しかったのに。
握った手に力を込める。大丈夫、まだ触れていられる。消えていない。
「ごめんね、今さらこんな風に現れたら、沙耶に心配かけるだけだよね」
「違う、違う。そんなことは」
この手を離さなければ、まだ。
「沙耶のことだから、自分のせいで俺がまだ成仏出来てないとか、思ったんじゃない?」
「それは……」
図星だった。
「だって、あたし、お葬式も行ってないから……」
幽霊がここに留まっていることが、良いことではないことぐらい、わかっている。大事な人だからこそ、もっとはやくにちゃんと見送ってあげるべきだったのだ。そうしたら、彼はこんな、何年もここに留まっていなくて済んだのに。
それが、仕事のはずなのに。
「あたしが、ちゃんとしていれば……」
「わかってるから、大丈夫」
「大丈夫じゃないっ」
「留まっているんじゃない。遣り残したこと、思い出したから、戻って来ただけ。もう、すぐ、またいくよ」
「だめっ」
行かないで。
「もう、あたしを捨てないで。置いて行かないで」
すがりつく。
「駄目だよ。沙耶を連れて行ったら、円さん達に怒られちゃう」
「でもっ」
「ごめんね。話、聞いてくれる?」
首を横に振る。何度も、何度も。
話を聞かなければ、まだ、彼はここにいてくれるはずだ。
賢治は困った様に笑い、
「ごめんね」
それを気にすることなく、話始めた。
「あのさ、俺、なんで見えないんだろうって悩んだりもしたけど、今なら思えるよ、見えなくてよかった。普通のカップルになれたもん。短い間だったけど、楽しかった」
首を横に振る。何度も、何度も。そうすれば聞かなくてすむ。こんな、終わりみたいな言葉。
「ずっとさ、思ってたんだ。沙耶は見えることに、疎まれることに慣れ過ぎだよ。そうやって慣れないで、沙耶から距離を置かなければきっと、もっと味方はいるはずだよ? 例えば、七組の井上って知ってる? あいつ、オカルト好きでさ、本当は一度沙耶と話してみたかったんだって。沙耶はそういう興味本位嫌いかもしれないけど」
「味方なんて……。円姉と直兄と、清と、……それから賢がいてくれればいいのっ」
「さっきの、男の子は?」
呆れた様に言われて、言葉につまる。
「恋人じゃないけど、大切な人なんでしょ?」
「なんで……」
「違うの?」
「……違わないけれども」
「じゃあ、大切にしなきゃ。いなくなってから悔いても、仕方ないよ」
ね? と子どもに言い聞かせるように。
「だって、だって、あたし、忘れてしまったんだもん、龍一君のことっ」
「しかたないよ」
あっさりと言われた言葉に、思わず彼を睨みつける。
「しかたないって、何っ」
「誰だって、いつかは忘れるんだよ。俺だって、いろんな事忘れてきたんだから。俺の忘物率の高さとか、約束すっぽかし具合とか知ってるでしょ?」
「だって、それとこれとは」
「違わないよ。同じことだ」
賢治はゆっくりと、柔らかく微笑んだ。
「同じことだよ」
じわり、と視界が滲む。今、自分は酷い顔をしている。
「ああ、もう、だから、そんなに泣かないで」
焦ったような声に、さらに涙があふれてくる。
「沙耶……」
ぐいっと腕を引かれ、抱きしめられる。
「泣かないで」
耳元で言われ、さらに泣きそうになる。
スーツの胸元に額を押し付ける。こんなにも確かにここに存在しているのに、存在していないなんて。そんなこと、認められない。
何度も、何度も、頭を撫でられ、その度にまた涙があふれてくる。