3−6−3
案内をしてくれていた女性はいなくなっていた。清澄に道順を聞いて歩き出す。
「ちょっと、一人にして」
言って清澄は立ち去って行った。
どういう思いで告げてくれたんだろう。
向かいからゆっくり歩いてくる見知った人影。
「直純さん」
とりあえず笑いかけると、直純は思いっきりしかめ面をした。何もそんな顔をしなくても。
思った矢先に、直純は龍一に向かって頭を下げる。直角に。
「直純さんっ!?」
「悪い、龍一君」
「何がですか?」
「一発殴ってくれ」
「はぁ!?」
声が裏返りそうになる。いきなりこの人は何を言っているんだ。
「ここまで隠してきたんだ。黙っていたんだ。隠し通すべきだったんだ。なのに、こんな時に言う何て」
「ちょっと、顔を上げてください。何の話ですか?」
直純は顔を上げない。
「混乱に乗じるなんて俺は卑怯だ」
「ですから」
「告白したんだよ、沙耶に、このタイミングで」
強引に直純の顔をあげさせようとしていた龍一の手が止まる。
「恋敵としては龍一君は最高って。俺じゃ駄目かなって」
「……それで?」
「それで? じゃないだろ。嫌味か」
ようやく直純が顔をあげた。
「もの凄く困った顔をするから、冗談だよ、って言ったよ」
「……直純さんって、大人の癖にへたれですね」
「殴るぞ」
切れ長の目を細めて睨みつけられる。それぐらいじゃ動じない。
「いくらなんでもそれは酷いと思いますよ。いい逃げじゃないですか、一種の」
「五月蝿い。大人おとなっていうけどな、誰にでも得手不得手があるんだ」
「恋愛苦手なんですか? モテそうなのに」
「まあ、モテるけどな」
「そこは、嘘でも否定してください」
「好きな人に好きになってもらえなければ、意味が無いだろう」
そこで言葉を切って、一つため息。
「意味ないんだよ。わかってたんだ、こうなることぐらい。どう考えても沙耶は俺のことを兄としか思ってないし、龍一君のことが好きなんだから」
「そんなことは……」
「あるんだよ」
優しく微笑む。
「沙耶は龍一君のことが好きなんだよ。子どもの頃から見てきたんだ、それぐらいわかるさ。わかってたのにな、何も今日言わなくてもいいのにな」
微笑が苦笑に変わる。
「なんで俺じゃないんだろうな」
龍一は答える事が出来ない。
「知ってるか? 円が影でなんて呼ばれてるか」
それはうっすら聞いた事がある。さっき、巽の宗主も言っていた。
「確か、一海の女王」
「そう。それで沙耶は一海の姫、だ。前は円が姫だったのにいつの間にか変わってたんだよな。でも俺は昔から一海の騎士だ。王でも王子でもない」
そうして、一海の騎士は皮肉っぽく唇を歪めた。
「わかってたんだ。俺は騎士で、王子にはなれない。騎士にすら、なりきれていない。春の事件も、今回も、沙耶の龍をとめたのは龍一君、君だ」
「別に俺は何も……」
「そう、君は何もしていない。ただ、現場に言って沙耶の名前を呼んだだけだ。それだけで、龍は動きを止めたんだ。君の声は、沙耶に龍の主導権をにぎらせるぐらいの力があるんだよ」
言っている意味がよくわからない。
「俺たちが呼びかけても駄目なんだ。龍一君じゃなきゃ。だから昨日言っただろ。居ればいいんだって」
「……偶然じゃないんですか?」
「専門家の見解は信じるものだぞ?」
それは、本当なのだろうか。役立たずではないのだろうか。
「ともかく」
悩んでうつむいた龍一の顔をあげさせるように、力強く言葉を発する。
「俺はもうすっきりすっかりふられたんだ。大事な妹の面倒は見るけれども、それまでだ」
そうして龍一の肩を軽く叩く。
「あとは任せた」
「……はい」
素直に頷く。
「言っておくけど」
肩に置いたままの手に力が入る。
「沙耶を悲しませるようなことがあったら呪い殺すからな」
いつか聞いたのと同じような言葉。記憶を探ると、出来るだけにっこりと笑って言葉を返す。
「そんなことになったら自分の不甲斐なさを恥じて憤死しますので、お気遣いなく」
言い終わると同時に直純の顔がふっと緩む。
「それで負けた、と思ったんだよ。春に」
言って肩から手を離す。
「殴れって言ったのは取り消す。借りにしとくよ、いつか返す」
言って片手を振って通り過ぎる。
龍一はその背中を見送る事無く、歩き出した。