デトリタス
呪力生命体が誕生してから十年目。
死んでから百六十年を迎えたエリィは、最近ちょっと困る事が出来た。いや、最近どころでなく呪力生命体が増えた頃から、廊下が通れないなどの問題は度々起きていたが……
それとは別に、屋敷が汚くなってきたのである。
無論築百六十年の屋敷が綺麗な筈もないが、そういう老朽化の問題ではない。何が汚いかと具体的に言えば、小さなゴミの事である。
【……流石に、ちょっと気になるなぁ】
二階廊下を歩きながら、エリィは呟く。
この廊下にもウミクサが茂っている。此処には最早古代種とも言える、海藻型のウミクサが多く生えていた。狭い廊下では枝を広げるよりも、薄く平べったい身体が向いていたのだろう。表面には薄い毛がびっしりと生え、パタパタが突き刺し難い状態になっている。
海藻型ウミクサの横を通りながら、エリィは廊下の隅に目を向けた。
そこには何やら小さな欠片のようなものが、かなり積もっていた。しかも部分的ではなく、廊下の端から端まで。注意深く見れば廊下の中心にも僅かにある。
しゃがんで指で触ってみると、砂のように硬い。じゃりじゃりとした手触りだ。摘んで、目の前まで持ってきてみる。
手触り通り砂のように思えるが……透明で、ガラスのようにも見えた。
【……なんだろう、これ】
ガラス片なんて、ばら撒いた覚えはない。異界化したこの屋敷に『外』なんてないから、砂が入り込む事もない。
エリィが悪霊となってかれこれ百六十年。呪力生命体が誕生するまでの百五十年間、孤独に藻掻き苦しんでいた彼女は屋敷の掃除なんてした事がない。理性が戻った今も、いいとこのお嬢様だった彼女に掃除の習慣はない。
それでも今まで埃だらけにならなかったのは、屋敷が異界化していたため。これにより壁や家具も呪力によって形作られるようになり、それ以上風化しなくなった。風化しなければカスなども出ないので、埃も溜まらないという訳である。
ならば何故、突然こんな砂だかガラスだかみたいなものが堆積するようになったのだろう。考えてみるが、原因は一つしか思い付かない。
【君達の所為、なのかなぁ】
近くに生える大きな海藻型ウミクサに訊いてみたが、答えは得られず。
しかし答え合わせをするなら、正にその通り。呪力生命体がこの砂のようなものを作り出している。
この砂のようなものは、結晶呪力と呼ばれる。呪力を結晶化させたもので、とても硬いのが特徴だ。
この結晶呪力を作り出したのは大型のウミクサ達。ウミクサは周囲を漂う呪力吸収のため表面積の広い身体を持つ。しかし大きくて薄い身体を支えるには、ある程度の丈夫さが必要だ。またパタパタに襲われる事に備えて、体表面もある程度硬くしたい。
これらの要求を叶えるのが、この結晶呪力である。ウミクサは呪力の一部を凝縮し、身体中に配置している。これにより身体を支える『骨』の働きを持たせ、巨体を支える事に成功した。体表面を硬化させればパタパタ対策にもなる。結晶呪力を作るにはエネルギー……呪力を多く使うが、それ以上に生存能力が大きく上がるため、この能力を持ったウミクサは大いに繁栄した。
しかし結晶呪力には一つ、大きな問題があった。
誰も食べられないのである。そもそもパタパタもカイギョも、呪力の摂取方法はウミクサと変わらない。他種の身体という、高濃度呪力が存在する『場所』に侵入させた身体の一部――――その体表面から呪力を吸っているだけ。
つまり他種を襲う生物すら、何かを噛み砕く事さえしない。非常に硬い結晶呪力を粉砕する力も器官もなく、頑強な結晶呪力は体表面に触れたところで吸収出来ない。それどころか呪力生命体は死ぬと身体が霧散するのに、この結晶呪力だけは何時までも残る。
時間が経てば経年劣化により多少分解されるが、百年二百年では足りない。このため屋敷のあちこちに結晶呪力が堆積しているのだ。
【うーん。どうしたもんかな】
エリィは考える。考えると言っても、エリィは結晶呪力について何も知らない。ただの砂埃として、片付けてしまおうかとも思う。
思うが――――どうすれば良いのか。
エリィはかつてこの地域を治めていた領主の娘である。百六十年前の水準であるが屋敷は何時も綺麗で、下々の者達とは明らかに衛生環境の異なる暮らしをしていた。
しかしその衛生を保っていたのは主にメイド達。エリィ自身は自室の掃除すらやった事がない。メイド達の仕事ぶりは見ているので、全く何も分からない事もないが……かれこれ百六十年前の記憶だ。正直うろ覚えである。大体見ていただけで、何か教わった訳ではないのでよく分からない。
なんか箒で掃けばいいのだろうか? いや、それ以前に箒なんてこの家にあっただろうか。掃いた後のゴミってどうすれば良いんだっけ。
あれこれと考えはする。するが、全然答えに辿り着かない。やった事がないから知らないのだ。
己の無知を自覚したエリィは、こくんと深く頷く。
【よし! 見なかった事にしよう!】
辿り着いた結論は、享年十歳児に相応しい極めて自堕落なものだった。宣言通り本当に見なかった事にして、エリィは去ってしまう。
人間的には、大変よろしくない対応である。放置すればゴミは積み重なり、部屋はどんどん汚れていく。
だが生物進化的には、それは悪い事ではない。ゴミが溜まっていると言えば聞こえは悪いが、見方を変えれば手付かずの『資源』が堆積している事でもある。
エリィの選択が一つの進化の道筋を生んだ瞬間なのだが、当のエリィは全く気付いていなかった。
エリィが自分の行いの結果を知るのは、更に半年後の事。一階にある書庫でなんか本でも読もうかなー、と思って立ち寄った時である。
【あ。また新しい種類がいる】
そこでエリィは新種の呪力生命体を発見した。
尤も、新種自体はもう珍しくもない。屋敷全体で見れば呪力生命体は数百種以上いて、その数百種も頻繁に絶滅と誕生を繰り返しているのだから。
しかし今回発見した新種は、色々と珍しかった。
外見からして恐らく肉食種カイギョの一種だろう。具体的には流線型の身体から四本の触手を生やし、身体前方にある先端突起が十数本の触手状に分化している。これらの特徴を持つのはカイギョだけだ。体長は十センチと小さめなので、小型種か生まれたての個体だろう。
奇妙なのは、このカイギョが空を飛んでいない事だ。普通、カイギョは獲物であるパタパタを追い駆けて食べる。ところがこのカイギョは床を這うように進んでいた。本来パタパタを捕まえて拘束するためにある身体から生える長い触手は、床を這うのに使われている。空を飛ぶ様子はない。
更に身体の先にある小さな触手達を必死に動かし、床を舐めている。余程空腹で、何か食べられるものを探しているのか。
見た目はカイギョなのに、行動がカイギョらしくない。そこから導き出されるこの個体の状態が、一つ思い付く。
【新種じゃなくて、奇形っぽいなぁ】
呪力生命体は分裂により増え、子供は親の形態を元に作られる。
しかし時折、複製の誤りであまり親と似ていない子が生まれる事がある。これは所謂突然変異であり、進化の原動力の一つなのだが……大抵の場合、生まれるのは生きる能力がない『奇形』でなる。
考えてみれば当然だ。「生きているもの」の身体は絶妙なバランスで成り立っている。それを適当に作り変えたら、大抵上手くいく訳がない。
より進化した存在となるのは、ごく一部の幸運な個体だけ。大半は奇形として生まれてしまう。奇形には生存能力がないので、ただ死ぬだけだ。
【……………ごめんね】
エリィには何も出来ない。奇形の個体を保護し、ましてや世話なんてすれば、十分な呪力を吸ったところで親と同じ奇形が生まれてしまう。無限に保護出来ない以上、何処かで線引きが必要だ。
それに死んだ個体の命は無駄になるのではない。崩れた身体は近くにいるウミクサ達に吸収され、再び生態系の循環に加わる。
これもまた自然。このカイギョの運命に心を痛めながら、エリィはそっと離れた。
と、エリィに見捨てられてしまったカイギョであるが、今にも死にそうかといえばそうではない。
確かに奇形である。複製に失敗し、空を飛べなくなったのだから。しかし致命的ではない。このカイギョは今も、そしてこれからも問題なく生きていける。
まず、このカイギョは今食事中だ。
何を食べているのか? それは床に落ちている結晶呪力である。触手のようになっている先端突起でぺたっと触れれば、幾つかの結晶呪力はくっついてくる。その動きによって結晶呪力を十数本ある触手の根本に運んでいた。
そしてこの根元部分に、大きな『穴』がある。
穴はカイギョの体内奥深くまで続く、網目状の器官だ。この複雑な構造は、たった一回の突然変異で生じたものではない。本来は身体の軽量化……身体を形成するのに必要な呪力量の削減として進化した形態である。普通のカイギョにも備わっている機構だ。
ただ、このカイギョは体表面に穴が空いていて、この空洞と繋がっていた。身体の穴と外が繋がっても、大した問題はない。呪力で形作られる呪力生命体には感染症なんてなく、精々身体の強度が少し低下するだけだ。
それどころかこの奇形のカイギョにとっては、大いに役立つ。
結晶呪力は非常に硬いため、ただ触れるだけではカイギョ達にも吸収出来ない。全く出来ない訳ではないが、かなり長時間接触し続ける必要がある。そんな事をするぐらいなら、適当な獲物を探して先端突起を突き刺す方が余程効率的だろう。
だが体内に空洞があり、そこに放り込めばどうか? 体内でも何処でも、触れ続けるなら呪力の吸収は可能だ。しかも体内空洞の表面積は先端突起よりも遥かに大きい。即ち体内に大量の結晶呪力を溜め込み、一斉に吸収すれば、生きていくのに十分な呪力を得られる。
欠点として、結晶呪力が『重石』になって飛行能力に支障が生じる点が挙げられるだろう。呪力は本来重さを持たないが、凝縮された呪力の集まりである結晶呪力は(量子力学や相互作用などにより)ほんの僅かな質量を持つ。このため大量に身体の中に入れると、呪力生命体も重くなって飛べなくなってしまう。
しかしこの欠点も大した問題ではない。このカイギョは元々飛べないからだ。体重はないので厳密には飛べるが、触手の生え方などの問題で酷く不格好な飛び方しか出来ない。這いずる方が真っ直ぐ進めるだけまだマシな有り様だ。だから飛べない事は何も問題にならない。
呪力生命体が発生してからの十年で、大量の結晶呪力が堆積した。今までどの呪力生命体も使えなかったが、このカイギョならば利用出来る。手付かずの、大量の資源を元にして、無数の子孫を生み出し――――種として確立する。
エリィはこのカイギョを奇形と思ったが、実際には最初の印象通り『新種』だったのだ。
ちなみに死骸や糞が細かくなり、堆積したものをデトリタスと呼ぶ。主に川底に積もった茶色いゴミのようなものや、腐葉土も大まかに括ればデトリタスの一種だ。結晶呪力も元はウミクサの身体である事を考えれば、床に積もったこれらもデトリタスと言えるだろう。
エリィが掃除をサボった事で、屋敷内にデトリタスという新たな資源が生まれた。エリィの判断が、この屋敷の生態系を更に多様で複雑なものにした。いや、それだけではない。難分解性で、百年二百年残り続ける結晶呪力を放置すれば、生態系全体で循環する呪力の総量が目減りするところだった。即ち、生物の総数が減り、生態系が壊滅する恐れがあったという事。
エリィの判断が、呪力生命体の危機を回避したのだ。
尤も、エリィはそんな小難しい理論なんて知りもしない。いずれ誕生するデトリタス食の新種に対する感想は、【隅っこの掃除しなくて済んだ。ラッキー♪】ぐらいなものだった。




