第二幕 失踪 其の一
あやめの言っていた寺は怪しむべきところのないごく普通の寺であった。
英興寺というその寺は有名な禅宗の末寺で、本山から住職一人が派遣されており修行中の若い僧侶を随時引き受けていた。
寺自体は大きい方ではないが、仏殿一つのみという小さなものでもない。
門をくぐると仏殿があり、すぐ横には観音堂の六角形の建物がある。
さらに仏殿の右奥には離れのような様相をした庫裏が見えた。
庫裏は僧侶たちの寝所と庶務室をかねた住居空間である。
一真達は仏殿の境内を掃いている若い僧に声をかけた。
「すまないが、親戚の女が簪をこちらの寺に落としてしまったらしい。探させてもらえないだろうか」
「町奉行所の方ですか」
一真達の腰に挿してある十手を見つけた僧は怪訝な顔をした。
「そうだが、町方の用事で来たわけではない。個人的にも思い入れのある品なので探しているだけのことだ」
「しかし・・・」
僧は表情を曇らせた。
一真達が寺の中に入ることを嫌がっているように見えた。
「私からもお願いしますわ」
突然、一真達の後から女の声がした。
驚いて三人が振り返ると、そこにはあやめが立っていた。
「落とした簪は、私のものなのです。見つけましたらすぐに退散いたします。どうか、お許し願えませんか」
妖艶な微笑を向けられ若い僧は顔を染めた。
「しばらくお待ち願いたい」
そう言い残すと、仏殿へ入っていった。
「ああ、よかった。間に合ったわ」
あやめは額の汗を拭った。
「何でついて来てるんですか。叔父貴殿には許可を貰ったのですか。仮にも旗本の姫ともあろう方が嘘までついて、何を考えてるんですか。」
いつになく厳しい口調で一真はたたみかけた。
しかし、あやめは動じない。
「父上には内緒ですわ。そもそも一真殿が父上をたぶらかすからいけないのですわ。私だってこのお寺に伺いたかったのに」
そういって口を尖らせた。
最初に叔父貴殿をたきつけたのはどこの誰だ、と一真はムッとした。
「けれど、正直助かったよな。あの坊さん、俺たちだけだったら絶対中に入れてくれなかったぞ。男三人で簪探しは確かに怪しいもんな」
兵庫は呑気にそういった。
あやめは、ほらね、と勝ち誇ったように一真に笑みを見せた。
やがて、先ほどの僧が住職らしい人物を連れて戻ってきた。
「簪を落とされてお困りだそうじゃな。本来ならば、庫裏のほうは女人には遠慮をいただきたいのじゃが、少しの間ならば許してしんぜよう」
小柄で細い老住職は、なめるような視線をあやめに投げかけた。
一真はその妙な視線をさえぎるようにあやめの前に立ち小声で言った。
「やはり、俺が取ってきます。あやめ殿はここでお待ちください」
あやめは、フフッと笑った。
「そんなに心配してくれるの。大丈夫よ、何かあったら大声を上げますもの」
何かあってからでは遅いのですよ、と一真はつぶやいたがあやめには聞こえていないようだった。