岩木あやめの受難 其の三
三人が張り込みの段取りを話し合っているところに与力の中尾が寄ってきた。
「佐倉、岩木様が呼ばれている。すぐに来るようにとのことだ」
怪訝な顔で一真をまじまじと見た。
「何か仕事に落ち度でもあったでしょうか。とりあえず伺ってみます」
一真は立ち上がった。
「ああ、ちょっとまて、佐倉だけじゃない。清島と大堀もついてくるようにとのことだ。三人で行って来い」
兵庫と安次郎は顔を見合わせた。
奉行所は江戸に二つあり、奉行も二人いる。
その激務ゆえ、隔月で市政を担当するのである。
今月が月当番の岩木は奉行所の中の官邸に居を構えている。
一真達が官邸に出向くと、岩木は本日の登城を終えてくつろいでいるところであった。
岩木左衛門尉善紀。町奉行である。
破天荒で常識知らずでありながら、そのくせ頭は切れる。
岩木はあやめの父で、そして一真の実の叔父であった。
「いきなり呼び出して悪かったなあ」
岩木は大猿のような体を揺らしがはは、と笑った。
この上機嫌な様子から仕事のことではないと三人はすぐに悟ることができた。
本日二回目の公務中の呼び出しに今日は仕事にならないと一真はぼんやり思う。
ため息をつきながら一真は尋ねた。
「ご用件はなんでしょうか。御奉行様」
「叔父貴と呼ばんか、水臭いぞ」
岩木はそういって口を尖らせた。
しかし、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべて一真に言った。
「お前、あやめを泣かせただろ」
ぎょっとして安次郎と兵庫が一真を見た。
一真も、はあ?と困惑する。
「あやめが、さる寺で風に飛ばされて簪を落としたそうだ。しかし、その寺は女人禁制。困ったあやめは、お前に同伴を頼んだそうだな。しかしお前は拒んだ。あやめの落とした簪は真咲の形見らしい。お前にとっても大切なものではなかったのかと失望しておったぞ」
真咲は一真の母親だ。
去年亡くなったときに、姪であるあやめも形見分けをしてもらっていた。
しかしそのときの簪とは、先ほどの話では一言もなかった。
それに岩木の話には腑分けも剣斬丸も一切出てきていない。
と、いうかかなりのでたらめである。
あやめのついた嘘に翻弄され、一真は慌てて弁明した。
「いや、違うのです。簪を拾いに行きたいとはあやめ殿も言っておりましたが、それは家の者でも事足りますし」
岩木はまあいい、と話を続けた。
「とりあえず、あやめは大事なものだから自分で探したいといっておる。お前たち、悪いがついていってもらえないかの」
岩木がそういったとき、あやめがすっとふすまを開けて部屋に入ってきた。
妖艶で美しい顔を一真に向けてフフ、と笑う。
父上に言われては逆らえないでしょ、一真殿。
そう語りかけてくるような勝ち誇った笑みだった。
どうやらさっきの意趣返しのようだ。
一真は眉頭を抑えた。
「あやめ殿は先ほど母の形見の簪など一言も言っておりませんでした。もし言ってくだされれば少しは気にかけるものですが。第一、あやめ殿は肝心なことを伝えておりません」
一真は嫌味たらしく遠まわしに言った。
「肝心なこと?なんじゃ」
岩木はあやめを見た。
あやめはちろりと一真を軽くにらんだが、岩木に向き直るとにっこりと笑った。
「たいしたことじゃありませんわ。一真殿は冷たい人だからそうやって小さなことを騒ぎ立ててお寺に行くのを嫌がっておられるのですわ」
「ほう、嫌がっておるだけなのか。ふうむ」
不思議そうな顔をした岩木は腑に落ちていないようだった。
そのとき、横に控えていた安次郎が一真にこっそりと話しかけた。
「おい。寺をさぐることができる絶好の機会じゃないか」
「しかし賊は居る、ご法度はする。そのようなところにあやめ殿を連れて行くわけにもいかないだろ」
それにあやめの腹は読めている。
おそらく、簪は口実で実際のところ腑分けが見たいのだろう。
けれど確かに安次郎の言うとおり絶好の機会でありこれを逃す手はない。
「岩木様、どうしてもというなら、あやめ殿はここに残ってもらって私たちだけでいきましょう。母の形見なら私にとっても大事なものです。それに、寺に女が行くことはやはり嫌がられるでしょうし」
今度は一真が横目であやめを見る。
ムッとしたあやめが目に入った。
「そうじゃの、それがいい。あやめ、お前はここで待っておれ」
岩木は上機嫌のまま、けろっと意見を変えた。
急に形勢逆転されたあやめは、唖然として岩木と一真を交互に見た。
やがて一真に向かって恨めしそうな表情を見せた。
一真はそんなあやめをふん、と一瞥すると友人たちと奉行所を後にしたのだった。