第一幕 岩木あやめの受難 其の一
「本当ですのよ。そのお寺では腑分けがおこなわれていたのです」
あやめは一つ違いの従兄弟、佐倉一真にその寺の話をしていた。
一真は町方同心である。
身分は違うがあやめは幼くして母を亡くしており、代わりに一真の母があやめの母親のように世話をしてきた。
よって両家には頻繁に行き来があり、二人は姉弟のように育っていた。
「で、俺にどうしろっていうんですか。無許可の腑分けは重罪だって取り締まって欲しいんですか」
出された茶をすすりながら一真は迷惑そうに言った。
迷惑そうにとはいうがこの男、無表情である。
めったなことでは表情を崩さないため能面の男とあだ名がある。
あやめは険しい顔になった。
「誰がそんなことを頼みますか。蘭医学に長けたお寺を潰すだなんてとんでもない」
あやめが寺を覗いて目にしたものは禁忌とされている人体の解剖であった。
通常は奉行などに申し出た上で処刑後の罪人を扱うものなのだが、そのような様子は見当たらない。
しかしそんなことには構わずに、あやめは嬉々としてそれに見入っていた。
次々に取り出されていく臓器に僧たちは克明に記録をつけ、それについての所見を討論させていた。
「肝臓は縦五寸、横三寸。厚み、高いところで一寸。目方は向こうで量っておいてくれ」
「随分、色が悪くて小さいな。この仏は、肝臓をやられて死んだに違いない」
「まあ、まて。他に悪いところが見つかるかもしれない。よし、次は脾臓だ」
腑分けはこのようなやり取りをはさみながら行われていた。
尚もあやめが息を殺して見入っていると、その現場にあきらかに僧とは違う風体の男が入ってきた。
「おい、調子はどうだ」
その場にいた若い僧達よりも二まわり程も大きい体の男だった。
目つきが鋭くいかつい顔をしており、盗賊のようにも見えた。
「よい塩梅で進んでおります。しかしここは学問の場所、できればお控えいただきたいのですが・・・」
腫れ物に触るように遠慮がちな口ぶりで若い僧が言った。
男は、げらげらと下品に笑った。
「俺だってこんなところにいつまでもいたくはない。さっさとずらかりたいのは一緒さ」
そう言い残すと部屋を出て行った。
僧たちは男が遠のいたのを確認してため息をついた。
「困ったものだ、剣斬丸にも。住職もあのような無頼漢の言いなりでよいのか」
「めったなことを申すな。我らは剣斬丸には助けられているのだぞ」
ここまで聞いたところであやめは、垣根を離れた。
一真は驚いた。
剣斬丸は江戸を騒がせていた大盗賊である。
「剣斬丸ですって?いや、まさか。あいつは死にましたよ」
あやめは目を細めた。
「ほうら、興味をもった。私も剣斬丸が水死体で見つかったことくらい知っておりますわ。でも、間違いないのです。あの風体は噂どおりでしたし、僧たちもそう呼んでおりましたもの」
あやめは本題を切り出した。
「私、あのお寺に簪を落としましたの。それを取りにいきたいのですが、さすがにご法度を見ているわけですし、怪しまれやしないかと思って。それに、女子一人で奥の方まで入れてもらえるかも心配ですの」
ふうっとわざとらしくため息をついた。
「だったら、家のものに取りに行かせるとよいでしょう。残念ながら、寺社は町方の管轄ではないので剣斬丸がいてもひっとらえることができないのですよ。あやめ殿は用心棒代わりに俺を使いたいのでしょうが、寺の中では何もできませんよ。そろそろおいとましないと。これでも仕事中なんですよ」
すまし顔で一真は立ち上がった。
「冷たいこと。憶えてらっしゃい」
恨めしげにあやめは一真をにらんだ。