終幕
カン、と時の鐘が遠くから聞こえてくる。
そろそろ、と付き添いの牢番がうながした。
正承はたちあがった。
「さてと、お別れじゃ。わしは今から小塚原に行く」
あやめは目を見張った。
「何故?御坊の沙汰はまだきまっていないのでしょう」
正承は満足げに、あやめに向かって微笑みかけた。
「名誉ある死を寺社奉行様にお願いしておってな、それが叶えられたのじゃ。しかも場所も好きに決めてよいといわれた。誠にありがたいことじゃ」
あやめは絶句した。
「なに、少し長く生きて余計なことをしでかしてしまったことへの償いじゃ。本山にも迷惑をかけたしのう。そんな顔しなさんな、笑って送り出しておくれ」
からからと笑った。
そして歌うようにつぶやきながら部屋を後にする。
「小塚原で始まったワシの人生、小塚原で消えるか。それもまたよし。魂は、位牌に移され、墓に移され、仏の下へ移されて」
歩み始めた足をふと止めてあやめを見た。
「お嬢さんの元にも移させてもらってよいかの」
あやめは、涙目でフフ、と笑みをこぼした。
「きっと医者になって御坊を満足させて上げますわ」
屋敷に帰る途中、あやめは無言だった。
一真もかける言葉がない。
ただ、黙々と後ろについて歩いていた。
「父上に、ありがとうって伝えておいてくださらない」
屋敷が近づきあやめがやっと口を開いた。
「ご自身で言われたほうが、叔父貴殿は喜ばれますよ」
「それもそうね。月番が終わって屋敷に戻ってきたら言ってみますわ。それから、清島殿と大堀殿にもお礼を言っておいてくださいな。危険な目にあわせて申し訳なかったですし」
「それは伝えておきましょう」
「一真殿にはお礼はいいませんけどね」
一真はムッとした。
「だって、そうでしょう。いつも私のこと小馬鹿にして」
そういって口を尖らせた。
「小馬鹿になんてしてないですよ。大体、一番迷惑したのは俺ですよ。振り回されるわ、簪にはだまされるわ」
あやめは一真の方を向いて後ろ向きに歩きながらフフ、と笑いかけた。
「まあ、それについては借りにしておきましょう。いつか私が医者になった時にでも取りに来てくださいな」
そういって小走りに門に近づくと、門番に笑顔を向けて屋敷の中に入っていった。
「まったく。少しは姫君らしくすればいいものを」
そういいながらもあやめに元気が戻ったことには悪い気がしない。
道すがらふと、父の言葉を思い出す。
「死んだものの声を聞く捕り物、か」
死んだ者にだって聞いて欲しい声はあるはずだ。
腑分けは罪。
関係ないものからすれば死んだ体を切り刻まれる事はひどい仕打ちだろう。
けれど、腑分けで分かることだってある。
死んだものの声を拾うことだってできるだろう。
只、この時代にそぐわない学問なのだ。
一真は、住職のいる小塚原の方面の空を見る。
その道の先駆者は道なき道を行く。
あやめだって身分という壁にぶち当たりながら女医としての先駆をいこうとする。
あの御坊がやってきたことがいつか正しい医学だったといえる時代が来るように、誰かがその先駆を行く日がきっとくるはずだ。
一真はそう思いながら眩しい夏空の下にある長い長い道をまっすぐに進むのであった。