正しい医学 其の四
小塚原は磔刑の行われる場所である。
住職は俗名を承之進といい、小塚原の近くに住む裕福な武家の子であった。
そして子供の時分に蘭医学が転換期を迎える瞬間に立ち会ったのだ。
その日、承之進は小塚原でなにやら変ったことをやるらしいという話を聞きつけ面白半分で見に行った。
そして予想もしなかった大きな影響をを受けたのだ。
刑を終えた罪人の体がおろされると間もなく、まるで魚をさばくように切り開かれていった。
中から、海鼠のようなもの、紐のようなもの、血の塊のようなものが丁寧に取り出されていく。
取り出されたものが尊いものであるかのように、傍に控えていた学者たちはうやうやしく調べていた。
「人間の体って、なんて物がはいってるんだ」
承之進は食い入るように見つめていた。
やがてその作業も終わり学者たちが引き上げようとしたとき、承之進はその一団に駆け寄った。
「あれはなんという作業ですか。何故そのようなことをなさるのですか。人の体は一体どのようにしてなりたっているのですか」
一気にまくし立てる子供に疲れきった学者たちは冷たかった。
しかし、その中で一人だけ承之進に言葉をかけてくれたものがいる。
「あれは腑分けという。人の体を知るために必要なものだ。人の体が知れれば医学も進む。そうなれば多くの人間の命を助けることができるようになる。俺たちは医学をよりよくするために、これからターヘル・アナトミアという本を翻訳する。もしも腑分けに興味があるならいつか俺たちが出すはずの翻訳本を手に入れることだ」
そういって去っていった。
数年後出版された本は「解体新書」という名前で発刊された。
黎明期であった蘭医学はそうして幕を開けたのである。
承之進は父にねだってそれを手に入れるとむさぼるように読んだ。
それから後も私塾に通い、熱心に蘭医学を勉強していた。
しかしそれからわずか三年後、裕福だった承之進の家に思わぬ不幸が起こる。
些細な事から家の取り潰しにあったのだ。
まだ少年だった承之進は後ろ盾をなくし、蘭医学の道をあきらめて縁者の紹介で仏門に入った。
そうして、正承と言う戒名を貰った後は本山での修行に明け暮れ忙しい毎日を過ごしたのである。
次第に学問への熱も冷めていった。
やがて住職として江戸に派遣された正承はあの寺を引き継いだのだった。
仏門に入った若い僧達に教えを説きながら貧しいものを救済する生活にすっかりなれたある日、人斬りにあった無宿人の躯が運び込まれてきた。
刀で腹を切られ臓物が見えることに僧達は嫌な顔をした。
そんな様子に少々の憤りを感じ正承はかつてのあの学者の言葉を思い出しながら人体の説明をした。
「恐ろしいことなど何もない。人の体には平等にこの臓物が入っていて、それが人を担っているんだ。わしは腑分けを見たことがある。その時の学者は人の体を知ることこそ医学の発展、しいては人の命を多く救うことができるとおっしゃった」
そういって、一つ一つの臓器の説明をした。
ふと気がつくと、全員が目を輝かせて正承の説明を聞いている。
だれも死体を怖がるものがいなくなっていたのだ。
「正承様。我らに医学を教えてください。我らが医者の知識を身につければ、もっと多くの貧しいものを救うことができる」
「そうですとも。それに我らは学を身につけたいのです」
正承は迷ったが学問に飢えるかのような僧たちの若い熱意に押された。
同時に自分も当時の蘭医学にかける熱い思いを思い出したのだった。
修行の合間をぬって、蘭医学を教えていくと僧達はますますのめりこんでいく。
蘭医学を学ぶこと自体は罪ではない。
実際に僧侶出身の医者も多いのだ。
しかし講師や本には金もかかる。
かといって正承の昔の知識だけでは限界がある。
一番いい方法はやはり人体を知ることだと結論づいた。
そこから腑分けに手を出したのだ。
「実際、病気の臓器というものを多く見ることは大変勉強になりましたわい。酒を多く飲んだものの肝は小さく硬くなっていたり、煙草を吸うものの肺は黒ずんでいる。しかし、実際にそれを知ったからといって酒を、煙草をやめるようにとしかいいようがありませんでしたわい。結局、治しようがないのじゃよ。ワシらは医者じゃない。生きている人間の治療ができるわけでもない。臓物をのぞく野次馬になって、ただ悪戯に仏を傷つけておったんじゃ。それは人の為の学問ではない。一つの罪じゃ。仏門に入ったものとしても、人としても」
こういって住職は、あやめを見た。
「お嬢さん。医者になりたいのであれば、拙僧の言ったことを忘れずに正しい医学の道を進みなされ。間違った志を持ち己の満足のためだけに学をつければ、いくら学が高くとも人を助ける医者ではない。只の人じゃ」