正しい医学 其の三
「まだ、めそめそしているんですか」
文机に突っ伏しているあやめを見てあきれたように一真は言った。
「一真殿にはわからぬことです。放っておいて」
スン、と鼻をすすり上げ、突っ伏したままあやめは答える。
「叔父貴殿が心配しておりましたよ」
あやめはキッと振り返り一真を睨んだ。
「誰のせいでこんなことになったと思っているんですの。無論、私も腑分け見たさに寺に入ったことは悪いと思っております。でも、医学を何も土台がない人間が勉強することは本当に大変なのですよ。それなのにあれほどまでに学をつけた方たちに刑罰を科すだなんてあんまりですわ」
自分と叔父が悪者扱いされた事に、ますます呆れながら一真はため息をついた。
「叔父貴殿には感謝したほうがいいですよ。あれだけの死体を腑分けして、しかもそれを売り捌こうとしていたんだから通常じゃもっと重罪だ。ほとんどが腑分の手伝いの罪として江戸払いですんでよかったですよ。それからもう一つ、叔父貴殿に感謝するべきことがあります」
「感謝すること?」
あやめは怪訝な顔をした。
「あの住職に会わせていただけるそうです。叔父貴殿が町奉行でよかったですね」
あやめは泣きはらした赤い目を見開いた。
牢屋敷には一真が付き添った。
さすがに牢に連れて行くわけには行かないので、牢奉行の屋敷の一角であやめと住職は対面を果たした。
「お嬢さん、すっかり目が真っ赤ですな」
一真達が通された部屋に座敷で、既に住職は座って待っていた。
牢暮らしの疲れからか幾分やつれたようにも見える。
しかし、その顔は憑き物が落ちたようにほがらかだった。
「申し訳ございませんでした。私のせいですわ。御坊の邪魔をするつもりはなかったのに」
あやめは手をついて頭を下げた。
「罪人に頭を下げなさるな。悪いことをしたのは事実なのじゃからな。誰のせいでもない」
からからと笑いながらそう言って、開け放してある障子の向こうにある庭を遠い目で見た。
「ターヘル・アナトミアですじゃ。わしの全ての始まりは」
「ターヘル?」
一真をはじめ居合わせたものはそれの意味もわからなかったが、あやめには分かった。
「わしが子供の時分、小塚原のごく近所に住んでおってな。そこで腑分けを見たんじゃ」