旦那様、どうか愛人をお持ちくださいませ!
「これは、どうしたものだろう?」
ライティラ伯爵家嫡男ヨアキムは、目出度い夜にもかかわらず頭を抱えた。
本日、彼は婚姻したばかり。
そこそこの影響力を持つ伯爵家だけに政略だろうと考える者が多いが、れっきとした恋愛による婚姻である。
ヨアキムは頭脳明晰で身体能力にも恵まれ、さらには研鑽も鍛錬も怠ることなく努めてきた令息だ。
おまけに美貌にも恵まれているうえに、代々の当主の経営手腕のおかげで家は滅茶苦茶金持ちである。
どこへ出しても恥ずかしくない、令嬢がお嫁に行きたいランキング上位の優良男子であった。
運命の出会いは時を遡ること一年前。
二年間の留学を終え、初めて国内の夜会に参加したヨアキムだったが、事前情報がよほど広まっていたのかしっかりロックオンされ、多くのご令嬢に群がられてしまった。
伯爵家と言えば爵位的には中間地点。
公爵家、侯爵家のご令嬢が嫁入りしても無理がないし、逆に子爵家、男爵家のご令嬢にもチャンスがある。
それぞれに趣向を凝らして装ったご令嬢たちは、一人ずつならそれなりに美しい。
けれど集団になると、彼の目には煩わしいだけの存在にしか映らなかった。
キラキラあるいはギラギラと着飾った娘の群れが餌に群がる勢いは、戦慄が走るほどの恐ろしさだ。
何とか言い繕い、令嬢の群れを宥めすかした隙に広間を抜け出すと、ヨアキムはバルコニーで風に当たることにした。
父からは踊るべき相手として数人のご令嬢の名を聞いていたが、あの集団をかわして見つけ出すのは至難の業だ。
頭を冷やした後は主催者に挨拶をして、今夜はもう帰ろうと思った。
「お嬢様、落ち着いてくださいな」
バルコニーには先客がいた。
二人の若い娘のようだ。
装いの差からして、令嬢と侍女のように見える。
「だって、楽しみにしていたのに、もう踊れそうになくて……」
令嬢らしき小柄で可愛らしい少女は半泣きであった。
さっきの飢えた集団との落差か、ヨアキムは庇護欲をくすぐられる。
「失礼。何か困りごとだろうか? 助けはいらないか?」
令嬢は驚きに目を見開き、侍女は警戒をにじませた。
「不躾に声をかけて済まない。怪しい者ではないが……」
証明のしようもなく、彼は口ごもる。
「あ、いいえ……お気遣いありがとうございます」
令嬢は儚く微笑んで、礼を述べた。
まだ目には涙がにじんでいるのに、なんと健気なことか。
ヨアキムは感動した。
正直に言えば、見事恋に落ちたのである。
主人が返事をしてしまったので、侍女も重い口を開く。
「さきほど、お嬢様はダンスに誘われたのですが、相手の方があまり慣れておられず。
ひどく振り回されたせいで、靴擦れが出来てしまいまして」
「それは一刻も早く治療をせねば。医務室に運ぼうか?」
「いえ、骨や筋に異常はないようですので、馬車寄せまで侍従に運んでもらおうかと。
……あの、失礼とは存じますが、人を呼んでいただけますでしょうか?」
侍女の言うことはもっともである。
見知らぬ令息と主人を二人きりにするわけにはいかないし、身分もわからぬ相手に運んでもらって後から問題になっても困るのだ。
だが、それを理解したうえでヨアキムは強引に令嬢を抱き上げた。
「こんなに痛そうなのだ、馬車まで案内してくれ。
人を呼ぶ時間が惜しい」
「……そこまでおっしゃってくださるのなら、お願いいたします」
気の強い侍女ではあったが、見知らぬ令息の腕の中にいる主人の顔を見てしまっては、この状況を受け入れるしかなかった。
令嬢もまた、いきなり現れた正義のヒーローのごとき麗しい令息に一目ぼれしていたのである。
ライティラ伯爵家嫡男ヨアキムとペルトラ子爵家三女マリッカは、こうして知り合った。
侍女から子細を聞いたマリッカの両親、ペルトラ子爵夫妻はさっそくお礼とお詫びをと翌日には動き始めた。
しかし、ヨアキムのほうが動きが早かった。
子爵夫妻が訪問の許可を取るべく使者を送ろうとした矢先、伯爵家からの使者が釣り書きを携えて現れたのである。
状況的にいくら検討しても断る理由を見いだせず、靴擦れの快癒した娘を見合いに連れて行けば、話はとんとん拍子に進んで婚約が成立した。
婚約期間中も、二人の仲睦まじさは際立っていた。
その甘い雰囲気にあてられて、ヨアキムを狙っていた令嬢たちはすっかり諦めたし、愛らしいマリッカに横恋慕しかけた令息たちも隙の見いだせないヨアキムの溺愛っぷりに引かざるを得なかったのだ。
そして一年後、無事に婚姻と相成ったのである。
ところが待ちに待った初夜のこと。
努めて冷静なふりをしたヨアキムが寝室に入ると、可愛い新妻はさらに可愛らしさを強調するような装いでちょこんとベッドの上で正座していた。
そして彼が近づくと、深々と頭を下げたのである。
「……どうしたんだ? マリッカ」
「旦那様……お願いですから、どうか愛人をお持ちくださいませ!」
「どういうことだろう? 説明はしてもらえるか?」
重ねて問えば、マリッカの小さな顔の大きな目に涙が浮かび、それ以上は何も問えなくなる。
「わかった。今日は婚姻式や会食で疲れただろうし、この話はまた落ち着いてからにしよう。
ゆっくり眠ってくれ」
「……はい、ありがとうございます」
ヨアキムは寝室を出ると、すぐにヴィエナを呼んだ。
あの夜会の時に傍らにいた、ペルトラ子爵家から付いてきた侍女だ。
「若旦那様、御用でしょうか?」
「問題が起きた」
「まさか、お嬢様いえ若奥様に無体なまねを……?」
侍女は殺気立つ。
「違う違う、何もしていないというか、何もさせてもらえなかった」
「え? 私が聞いても大丈夫なお話でしょうか?」
「邪推は止めてくれ。話がややこしくなるばかりだ。
それから、今から話すことは内密にしてくれ」
「若奥様に害が及ばない範囲でしたら誓います」
「それでいい。
実は……いきなり、愛人を持てと言われたのだが」
「溺愛を装いながら、愛人を囲っていたのですか!?」
「だから、邪推は止めろと言っているだろう。
マリッカに会ってから後、誓って他の女性には近寄ってもいない」
「でしたらなぜ?」
「……まさかと思うが、彼女は他に好きな男でもいるのか?」
「あり得ません!
いっそ若旦那様が憎たらしいほどに一筋ですよ」
「なかなか不敬な物言いだが、その証言はありがたいので不問にしよう。
では、他に何か心当たりはないか?
その……同じベッドで眠りたくないような理由について」
侍女は真剣に考えた。
しかし、心当たりはない。
「ちょっと考えつきませんが」
「そうだな……例えばいびきだとか歯ぎしりだとか」
「若奥様は、そういったものはないですね」
「そうか、うん、そうだろうな」
「……若旦那様、なぜニヤニヤなさっていらっしゃるのでしょうか?」
「いや、いびきも歯ぎしりも、マリッカだったら可愛いだろうな、と思って」
「……何を考えていらっしゃるのですか?」
「いいだろう! 横恋慕する他の男なら気持ち悪いだろうが、僕は夫なのだから」
「それはそうですけれど……なんか悔しいです」
「侍女の君が悔しがってどうする?
それより、本当に何もないのか?」
「ええ。お嬢様は小さなころから寝付きも良く、可愛らしい寝顔で、寝息も可愛く……」
「原因もわからず、その可愛い妻におあずけをくらっているのだ」
「ああ、それは申し訳ございません。
長らく侍女をさせていただいているものですから、可愛い思い出がたくさんございまして。ほほほ」
「なんか腹が立ってきたな」
「あ!」
マウントを取り返したところで、侍女がなにか思い出したらしい。
「なんだ?」
「寝言は、時々おっしゃってましたね」
「寝言?」
「幼いころのお嬢様の寝言があまりに可愛らしかったので、私、大笑いしてしまったことが何度もあったのです」
「まさかとは思うが、それがトラウマになったとすれば、君が元凶じゃないのか?」
「まだ、遊び相手半分、侍女半分の子供の頃の話ですよ。
免責を要求します」
「免責をどうこう言う前に、内容を教えてくれ」
「はっきり聞き取れたのは『アトロ大好き』とか『リュリュ大好き』とかですね」
「……それは誰だ?」
ヨアキムは殺気をまとった。
「引退した庭師と最初に飼った犬です。
どちらもすでに鬼籍に入っております」
「そうか」
殺気はすぐに引っ込んだ。
「しかし、マリッジブルーがトラウマを誘発して、愛人宣言に到達した線は捨てきれないな」
「捨てましょう! 今すぐ捨てましょう!」
仕えるべき主はマリッカであるが、給料を払って身分を保証してくれるのは伯爵家である。
そのことに今さら思い至った侍女が必死になっていると、寝室の扉が細く開いた。
そう、新郎と侍女は、新婦のいる寝室の前で問答していたのである。
「……二人とも楽しそうですね。
も、もしや、ヴィエナが愛人候補でしょうか?」
「ち、違うぞ!
君がなんだか不安になっているようなので、原因を探っていただけだ」
「そうですとも、若奥様。
若旦那様は私の好みではありませんので、いくら積まれても愛人はお断りです!」
「もちろん、僕の好みからもヴィエナは大きく外れる。
それはさておき、もしかして、君が不安に思っているのは寝言のことなのか?」
「どうしてそれを!?」
「ヴィエナから聞いたのだが、その当時、大好きだった犬の名前を呼んだとか、可愛らしい寝言だったそうじゃないか」
「で、でも、なんだか変なことを口走ってしまいそうで怖いんです」
「なんでも言えばいい。
もし気になる名前があれば、翌朝訊ねることはあるかもしれないが、それは君を疑ってのことじゃない」
「ヨアキム様」
「僕が君のことを知っていくうえで必要だと思うから訊ねるだけだ。
君を安心させられないようでは、夫として失格だからな」
「本当に? 何を口走っても、嫌いになったりしませんか?」
「万一、君が僕のことを大嫌いと言ったとしても、僕は君を大好きでいると約束する」
「ヨアキム様……大好き」
そう言いながら頬を染めたマリッカが俯く。
「寝室に入ってもいいかな?」
「……どうぞ」
こうして若夫婦の危機は回避されたのである。
ちなみにその夜、侍女のヴィエナは寝言で「アホクサ」とつぶやいたが、幸いにも本人含め誰にも聞かれることはなかった。




