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第3話

 王宮に入ってからの一週間。

 ――それは、目まぐるしいほどの早さで過ぎていった。

 

 王宮内の地図を頭に叩き込み、各所の役職者と多種多様な業務を覚える毎日。

 ひとつひとつの仕事はそこまで難しくない。

 けれど――指示のタイミングが重なれば混乱し、予定がずれ込めば全体がずるずると崩れていく。

 自分の休憩が取れないくらいであればまだ良い方で、次の業務までの時間がなく、走り回って移動することも多かった。


 雑務係であるシシィにとっては、王宮に務める全員が先輩であり、直属の上司でもある。

 緊張感の中、失敗できない日々が続いていた。


 「何、そんな難しい顔してんのよ。……さては、初めての合同訓練で緊張してる?」

 「うん……緊張もしてるし、魔法って使ったことがなくて。自信ないんだ」

 

 王宮騎士団との合同訓練。

 特別使用人は「身を守るため」、騎士は「国を守るため」。

 魔力を安全にコントロールし、生活や戦闘に役立つ「魔法」として扱うための、基礎を学ぶことができる。

 併せて、簡単な体術や回復術など、覚えていて損はない技術を学ぶ機会となっていた。

 

 「ま、最初は誰でもそうよ。あたしたちは特別使用人として召し抱えられているんだから、びしっとやらなきゃね」

 

 シシィは、リリスの言葉に小さくうなずき姿勢を正す。

 胸の中は、今まで感じたことのないような緊張でいっぱいだった。

 

 初めての合同訓練に加えて、今日は“星の日”。

 夜には、初の定期報告があるのだ。

 

 ――この1週間、“密命”の中身については一切触れられなかった。

 「まずは王宮に慣れろ」という指示で、どんな密命が降るのかは明かされていない。

 このままでやっていけるのかという不安があった。

 

 「よし、みんな揃ってるな?今から行うのは、基本的な防御魔法の訓練。敵の攻撃から身を守るための、最も重要な術式のひとつだ」

 

 訓練場の中央に立つ若い団員が声を張り、キリリとした視線で参加者を見渡した。通る声が広い場内に響く。

 片手を掲げると、淡く発光する防御陣が宙に浮かび上がった。

 

 「これが基本型。展開速度と保持時間は個人差があるが、習得しておけば必ず役に立つ。特別使用人も例外じゃないぞ」

 

 そのとき、遠くからふわふわと光の矢のようなものが飛来した。

 

 「……っと」

 

 団員が苦笑しながら後方を振り返る。

 

 「テオスカー!お前だな」

 「入ったばかりの特別使用人もいるわけだし。防御魔法について知ってもらうには、見てもらう方が早いかなと思ってね」

 

 軽く手を振って歩いてきたのは、王宮騎士団の制服に身を包んだ黒髪の青年――幼馴染であるテオスカーだった。

 団員に声をかけながら、ちらりとシシィへ目をやり、穏やかな笑みを浮かべる。


 次の瞬間、団員が反撃のように魔力を撃ち放った。

 轟音とともに光弾が一直線にテオスカーへ向かって飛んでいく。

 テオスカーは慌てることなく、ほぼ同時に防御魔法を展開した。


 ばちん、と魔力がぶつかり合う音が響き、衝撃は霧のように散っていった。

 指導に当たっていた団員は「お返しだ」と笑っている。

 

 「おいおい、本気出しすぎだろ!」

 「そっちが先に飛ばしてきたんじゃないか」

 

 仲間同士の軽口に、使用人たちからもクスクスと小さな笑いが漏れた。

 場の雰囲気が温まる。

 

 「と、防御魔法が張れれば――こういった日常生活の不幸なアクシデントからも身を守れるってことだ」

 

 肩をすくめるテオスカーの表情がおかしくて、シシィの緊張も少しほぐれた。

 

 「さて――ここからは実践だ。練度に応じて三班に分かれてもらう」

 

 団員が示した先には、あらかじめ3つの練習スペースが用意されていた。

 

 「防御魔法が得意な者、展開できるが不安定な者、そして苦手な者や初参加の者に分かれて訓練を行う。失敗しても構わない。怒鳴るような指導はしないから、安心して臨んでくれ」

 

 その言葉に、場にピリリとした緊張が走る。

 だが、テオスカーの穏やかな笑顔と団員の落ち着いた物腰が、どこかそれを和らげていた。

 

 「じゃあ、別れて訓練開始だ!それぞれの班の団員に指導を受けてくれ」

 「ふふっ……あたし、防御魔法は得意だから。ほどほどに頑張んなさい」

 「リリスちゃんは戦闘系の魔法、得意だからね~。私は普通に展開するので精一杯……。シシィちゃん、あとでね!」

 

 リリスとアンナベルタはそれぞれ上級班・中級班へ向かっていく。

 シシィは二人に小さく手を振り返し、ひとつ息を吸って、右側の初級班へ足を進めた。

 そこへ、テオスカーが歩み寄ってきた。

 

 「頑張ろうな。俺、初級班の担当だから」

 「よかった!よろしくね、テオ」

 

 テオスカーは微笑み、シシィの背中をぽんと軽く叩いた。

 そのまま前へ歩き出し、続いて集まった使用人たちに声をかける。

 

 「初級班を受け持つ、テオスカー・オストルムだ。よろしく頼む」

 

 数名の使用人たちが小さく頷く。

 初日で緊張している者、魔力に自信のない者――顔ぶれはさまざまだ。

 

 テオスカーは模範として片手を前に出した。

 空中に淡い光が灯り、ゆっくりと小さな盾のような防御陣が展開されていく。

 

 「初めての人も安心してくれ。形にならなくても焦るな。まずは魔力を集めて外に出すことを意識しよう」

 

 静かな口調だが、言葉の一つひとつは丁寧で、聞く人の胸にまっすぐ届く。

 

 「集中と意識が大事だぞ。うまくいかなかった人は焦らず何度も試してくれ」




 ――訓練終了後。

 

 「お疲れ。上出来だったよ」

 

 いつの間にか隣に来ていたテオスカーが、シシィに声をかけた。

 

 「ありがとう。……でも、成功したのは一度だけだよ」

 「地元じゃ魔法なんて扱う機会なかったもんな。焦らずやっていけばいい。いきなりできる方がおかしいって」

 

 シシィは少し気恥ずかしそうに笑った。

 魔力の感覚は確かにあるのに、どう扱っていいのか分からない。

 

 「……難しいね。もっと早く触れておけばよかったよ」

 

 ぽつりとこぼした言葉に、テオスカーは静かに頷いた。

 

 「それでも、今日やってみた、っていう事実の方が大事だと思うけどな」

 

 優しい声。

 咎めるでも、悲観して慰めるでもない、ただまっすぐな励ましに、シシィの胸の奥がふっと軽くなった。

 

 「ありがとう。少し気が楽になったよ」

 

 ふと空を見上げれば、日が傾き始めている。

 慌ててメモ帳を確認し、立ち上がった。

 

 「……あ、やば、もうこんな時間。私、仕事の残りがあるから行くね!」

 「おう、行ってこい。……あんまり無理すんなよ」

 

 テオスカーの言葉を背に、シシィは小走りにその場をあとにした。

 

 訓練の疲れがじわりと体に残る中、シシィは足早に中庭を抜ける。

 次に向かうのは、初の定期報告。ニコラスの私室――緊張がまたひとつ重くのしかかる。

 

 そんな時だった。

 アーチをくぐったその先、花々の間を抜ける小道に、シシィと同じ制服姿が立ちはだかった。

 

 「雑務係さん、そんなに急いでどこへ行くの?」

 

 肩で切り揃えられた艶やかな髪を揺らしながら、ヴィオラが笑みを浮かべていた。

 口元こそにこやかだが、その声には冷ややかな棘が潜んでいる。

 

 「私たち、魔力量の多さから特別使用人として選ばれた存在よね。……なのに」

 

 瞳が一瞬、意地悪く細まる。

 次の瞬間、ヴィオラが手をかざし、淡い魔力の光弾を茂みの陰へと放った。

 

 ――ぶしゃっ!

 

 光弾は水道のバルブに当たり、勢いよく水が噴き出す。

 足元から腰、胸元、そして髪の毛の先まで。

 シシィの全身はあっという間にずぶ濡れになり、水が滴った。

 

 「やだ、水が出ちゃった。今日習ったのに、防御魔法も展開できないの?」

 

 ヴィオラは口元を押さえ、くすりと笑う。

 

 「仕事も、訓練も、何ひとつまともにできないんじゃ……困るわよねぇ?」

 

 そう言い残し、踵を返す。

 まるで、庭園の花を愛でるついでに石でも蹴ったかのような軽やかさで。

 

 何も言い返せなかった。

 確かに同期のヴィオラとセリーナは同じ初級班だったが、上手に防御魔法を展開していて、シシィはまぐれで1回しか展開できなかった。

 ただ、冷たい水がしたたる音だけが、静かな中庭に響いていた。




 定期報告の時間。

 シシィは、少し早足でニコラスの私室へと向かっていた。

 浴びた水が制服の色を濃く変色させ、ずしりと布に重みを与えている。


 髪も、服も、タオルで水分を取り、水滴が落ちないようにするのが精一杯だった。

 私室前の護衛は、そんなシシィの姿に怪訝な表情を向けつつも、時計を一瞥すると無言で道を開けてくれた。

 

 ――なんとか間に合ったけど……初回からこれって、最悪かもしれない。

 

 服の端で水気を押さえながら、シシィは緊張の面持ちで扉を叩いた。

 

 「失礼します」

 

 返事を待って中へ入ると、ニコラスは山積みの書類の間から顔を上げた。

 その視線が、数秒だけシシィの全身を追い――ふと口元が動く。

 

 「……何をやったら、そうなる?」

 

 乾いた口調だったが、怒っているわけではない。

 むしろ、呆れと、ほんのわずかな心配が混ざっているようにも聞こえた。

 

 「その……少しトラブルがありまして……すみません」

 

 シシィは居心地悪そうに制服の裾を伸ばす。

 しっかり絞ったはずの裾から水が垂れてきて、どう言い繕っても報告どころではない見た目だった。

 

 「初回の定期報告なんだけどな。もうちょっとマシな状態で来てくれるかと思ってた」

 

 ニコラスはため息をつきながら、席を立つ。

 軽く手をひらめかせると、指先からふわりと風が生まれた。

 

 「……動くなよ。じっとしてて」

 

 魔力を帯びた細やかな風が、くるくると髪を撫で、形を整えていく。

 重く変色していた制服の布地が乾いていき、肌を撫でる風は不思議と心地よかった。

 

 「はい、整った。報告に相応しい姿、ってことで」

 「……ありがとうございます」

 「俺も身だしなみまでは面倒見ないからね」

 

 何があったのかは聞かず、ただ乾かしてくれる優しさが少しだけ沁みた。

 ニコラスが咳払いをして、改めてこちらに向き直る。

 

 「それじゃ――最初の定期報告、始めようか」

 

 ニコラスは執務机から離れてソファに腰掛ける。

 軽く手を差し伸べるようにして、ローテーブルを挟んだ向かいに座るよう促した。

 

 シシィは静かに腰を下ろす。

 制服は乾いたはずなのに、緊張感からか――どこか肌寒さが残っているようだった。

 

 「しかし……さっきの濡れ方は見事だったね。バケツで被ったんじゃないかってくらい」

 「庭園で水を被ってしまい……身だしなみも不十分なまま、すみませんでした……」

 

 思わずニコラスから目をそらし、シシィは自分の毛先に手をやった。

 すっかり乾いて、元通りになっている。ふたつに結んだ毛先のカールまで完璧だ。

 

 「いや、皮肉じゃないよ?珍しいものが見られたってだけ。初回の定期報告の日に水濡れって、なかなかインパクトあるし」


 どこか楽しそうな声音で、ニコラスが続ける。

 

 「次からは、せめて髪を乾かしてから来るように。『濡れたまま』で私室に来られては、いろいろ誤解を生む」

 「そ、そういうつもりでは……!」

 

 慌てて否定したあと、自分の声のトーンが思った以上に大きくて、シシィは一瞬で赤面した。

 何をどう否定したいのか、自分でも分からない。

 

 大袈裟に反応してしまった恥ずかしさをごまかすように、背筋を伸ばす。

 ニコラスは笑いながら書類を取り、話題を切り替えた。


 「じゃあ、本題。まずは……王宮内に存在する魔道具のリストアップを頼みたい」

 

 魔道具。

 魔力を通すことで機能する、特殊な装置や道具の総称だ。

 照明、調理、洗浄、冷却、記録――使われる用途は実に多岐にわたる。

 

 王宮という巨大な建物を効率的に維持するためには欠かせない存在であり、使用人たちの生活や業務を支える、もうひとつの手ともいえるものだった。

 一般家庭にも小型で簡素な物は普及しているが、大型な物や複数の機能を持つ物は、王宮や貴族家をはじめとし、大きな宿場やギルドにしかない。

 ニコラスの声は落ち着いていて、まるで講義でも始まるかのようだった。

 

 「高価なものや貴重品は、専用の保管庫にしまわれてる。でも、それ以外の道具――ちょっとした補助具や少し古い品は日常的にいろんな部署にバラバラに置かれてる状態でさ」

 

 特別使用人の配属先のひとつに魔道具係もある。

 シシィの同期であるセリーナがそうだ。

 ニコラスは指先で空中に図を描くような仕草をしながら、ゆっくりと続けた。

 

 「本来なら用途ごとに適切な場所へ配置されているべきなんだけど、正式なリストがないんだ。魔道具を整理しつつ、リストを作成してもらいたい。部署ごとに在庫を洗い出して、必要に応じて使用人長に提出する。……面倒な仕事かもしれないけど、やってくれれば間違いなく評価されると思うよ」

 「はい」

 

 思わず、シシィは背筋を伸ばしていた。その様子を見てニコラスは頷いた。

 

 「もうひとつ頼みたいのは、書類の整理。過去の使用人のプロフィールから、健康診断の記録、各部署の納品書に支給品の使用履歴まで……とにかく量が多くてね」

 

 ニコラスは執務机にある書類の山を振り返り、「この机の何十倍だろう」と呟いた。

 

 「1週間で片付けろなんて言うつもりはないよ。そういった王宮内の書類を、時間のある時に整理してほしい。君は雑務係という立場ではあるけど――その仕事を通して、王宮の内部に触れることになる」

 

 ニコラスは、目の前に座るシシィに向き直る。

 淡く輝くターコイズの瞳が、まっすぐにシシィの目を捉えた。

 

 「何か気にかかる点があれば、資料でも、現場でも……必ず俺に報告してくれ」

 

 密命という言葉をあえて使わずに、彼はそう言った。

 どこかへ潜入する、張り込みをする――密命は想像していたものとは違った。

 けれど、それがただの仕事ではないのだろうということは、シシィにも伝わっていた。

 

 「……わかりました。まずはやってみます」

 

 小さく、けれどしっかりと答えるシシィを見て、ニコラスはふっと目を細めた。

 

 「……うん。その調子で」

 

 立ち上がったニコラスにつられて、シシィも立ち上がる。

 

 「まずは1週間お疲れ。また来週の“星の日”に」

 

 ニコラスは、頭を下げて部屋を辞したシシィの背を静かに見送り、扉を閉めた。

 足音が遠ざかり、部屋に再び静寂が戻る。窓の向こう、月明かりが乾いた風に揺れていた。

 

 「……まったく。濡れ鼠で来るとは思わなかったよ」

 

 苦笑まじりの声が漏れる。

 あの少女はどんな気持ちで、この王宮に足を踏み入れ、この部屋を訪れたのだろうか。

 彼女の硬い笑顔と、濡れた髪越しに見えた瞳の不安を、ニコラスは思い返していた。

 

 「まだぎこちないな。まあ、当然か……」

 

 無理もない。ニコラス自身の立場、王宮での経験差、不透明な「密命」の内容……緊張する理由は幾つもある。

 この場所がシシィ・バルトにとって、まだ得体の知れない場所であることが何より大きいのだろう。

 それでも――だからこそ、ニコラスは彼女を選んだ。

 

 「……この王宮を、変えなくてはならない」

 

 かすれた独白は、風にかき消されそうなほど小さい。

 だが、その目は夜空をまっすぐに見据えていた。

 

 「誰かの犠牲の上に成り立つ仕組みなんて、長くは続かないからな」

 

 静かに、確かに。王宮の奥深くで、変革の歯車がゆっくりと回り始めていた。

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