第18話
その日の夜。
ラーウス公爵家が主催する晩餐会は、豪奢なシャンデリアと音楽隊の調べに彩られ、夜空に輝く星々すら霞むほどに華やいでいた。
高い天井から吊るされたシャンデリアが万の光を放ち、金糸で織られたカーテンが、一層艶やかに飾り立てる。
長い晩餐用テーブルには白銀の食器が整然と並ぶ。
薔薇を模したキャンドルがほのかに揺れ、甘い香りと共に温かな光を添えていた。
客人であるカレストリアの王子・ニコラスを囲むように、ルミナリアの貴族たちが集い、上品な談笑と笑みが飛び交う。
その中心で、ライラ・ド・ラーウスはひときわ注目を浴びる存在だった。
「こうしてお食事をご一緒できるのは光栄ですわ、ニコラス殿下」
「こちらこそ。……美しい庭園に続き、こうした歓迎の席を用意していただき感謝するよ」
軽やかでありながら、外交の場にふさわしい威厳を纏った声。
普段は軽口を飛ばす王子が、今は堂々とした未来の国王としての顔を見せていた。
その横顔に視線を奪われる者も少なくない。
並んで座るニコラスとライラは、まるで一枚の絵画のように完璧に調和して見える。
「お似合いだ」「まさに若き王子と姫君」――周囲の貴族たちは小声で賞賛の言葉を囁き合った。
――当然でしょう?
賞賛が心地よく、誇らしい。
ライラは優雅にグラスを傾け、胸中で静かに呟く。
広大な領地と莫大な資金力を誇るラーウス公爵家、そして自らの魔力の高さ。
この席に座る資格は、誰よりも自分にある――少なくとも、『雑務係の少女』よりは。
ライラの父が、笑みを浮かべて音頭を取る。
「本日の客人であるカレストリア王国の王子、ニコラス殿下のご来訪に感謝し、杯を掲げよう。乾杯!」
澄んだグラスの音が重なり、ワインの芳香が広がる。
ニコラスは優雅な仕草でグラスを傾け、隣のライラへ視線を送った。
「ラーウス家のもてなしには感服するよ。これほどの晩餐会は、王都でも滅多にない」
「まあ……殿下にそう仰っていただけるなんて、これ以上の誉れはありませんわ」
会場の空気はさらに華やぎ、貴族たちの視線は、並んで微笑み合う二人に自然と集まっていった。
ニコラスは軽やかな受け答えで会話を繋ぎつつ、時に鋭い問いを投げ、議題を深める。
その姿に、ライラは内心で確信する。
――やはり、この方の隣に立つのは私しかいないわ。
ワイングラスの脚を細い指先で軽く転がしながら、ライラは優雅に微笑んだ。
「そういえば、特別使用人の皆さんとお話させていただいたのだけど……皆素直な方なのね?特にシシィさんなんて、少し心配になるくらいだわ」
「あぁ、雑務係ね」
ニコラスは、軽やかな笑みを浮かべた。
「まぁ……面白い子だろ?」
「『面白い』だけ?」
ライラは柔らかい声を崩さず、けれどほんの少しだけ首を傾げる。
「ただの雑務係で、貴族の出でもないのに……どうして彼女をあなたのそばに?」
「どうして、ね……」
赤いワインを揺らしながら、ニコラスは一瞬だけ視線を宙に投げた。
「素直だから?気が利くから?それとも、俺がそうしたかったから……かな」
にこやかに返すその声の奥に、淡い温度が滲む。
その一言で、ライラの胸に、冷たい棘のような感情が突き刺さる。
「……その言い方、ずるいわ……」
詰められてもはぐらかすような物言いのニコラスに、ライラはテーブルの下で、指先が白くなるほど膝上のナプキンを握りしめていた。
それでも微笑を崩さぬまま、ライラはグラスをそっと置く。
はた目から見れば、仲睦まじく談笑しているようにしか見えない二人の距離と表情。
「王族であるあなたが誰を近くに置くかは、国全体へのメッセージでしょう?『特別使用人』と呼ばれる人材なら尚更よ」
「……そうかもしれないな」
ニコラスは、ふっと短く息を吐き、ライラを見返す。
ターコイズの瞳には、何かを思案するような、測るような静けさを帯びていたが――結局、ニコラスはそれ以上何も答えなかった。
グラスの中で赤いワインがゆらりと揺れる。
その色が、彼女の胸にじわりと滲む嫉妬の熱を映しているようだった。
ライラはそっと顔を上げる。
「ニコラス様、よろしければこの後……庭園を一緒に散策しませんか?昼間は時間がありませんでしたし、是非ご案内したいですわ」
「ありがたい申し出だね。少し歩かせてもらおうかな」
ニコラスが柔らかく応じると、周囲の貴族たちも「似合いの二人だ」と口々に微笑む。
その光景を見ながら、ライラの口元は微かに上がった。
――これでいい。私こそが、殿下にふさわしい。
時は少し遡る。
シシィはひとり、ルミナリアの王都に来ていた。
街は、夕暮れ前にも関わらず活気があり華やかで、屋台や店が立ち並ぶ。
ルミナリア王国への出発前に言われていた、「蒼炎の悲劇」の当時の資料が王国博物館に展示されているという話。
シシィの目的は、その展示品を見ることだった。
たどり着いた博物館は、壮麗な石造りの建物。
大理石の柱が立ち並ぶ玄関口には、観光客がまだ数人だけ残っている。
シシィはわずかに緊張しながら、博物館の入り口へと足を進めた。
――やっぱり、そんな簡単に見つかるはずないよね……。
とぼとぼと街道を歩くシシィは、石畳に落ちる夕日の赤に照らされて、少し心細げに息を吐いた。
博物館に展示されていた資料は、どれも断片的な記録ばかり。
決定的な手がかりは何1つ得られず、閉館を告げる鐘の音に、追い出されるようにして外へ出た。
気がつけば、ラーウス家の立派な門扉が見えてくる。
街灯の光が門柱の金細工をぼんやり照らし出していた。
――ニコラス様に「成果無し」で報告するのは、少し悔しいな……。
門へ入ろうと近づいたシシィに、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
「そこ、何してる?」
鋭い声が飛ぶ。
シシィが反射的に振り返ると、褐色の肌をしたショートカットの女性が腕を組んで立っていた。
白いエプロンのついた制服はやや使い込まれているが、無駄のない立ち姿からは場慣れした自信が滲む。
整った輪郭と切れ長の瞳は、メイドというよりも、どこか兵士を思わせる迫力があった。
「あ、えっと……」
言葉を探しながら、小さく会釈する。
「カレストリア王国から参りました、使用人のシシィ・バルトといいます」
女性はじろりと目を細め、シシィの手元を顎でしゃくった。
「その紙、見せてみな」
シシィは慌てて、懐から一枚の書状を取り出した。
封蝋にはカレストリア王国の紋章がくっきりと押されている。
「調べ物のために外出していて……」
女性は紙を一瞥し、腕を組み直すと、ふっと口元を緩めた。
「……なるほどね。疑って悪かったよ。あんた、見た目が素朴すぎて、てっきり迷子かと思った」
「迷子……!?」
思わぬ言葉にシシィは頬を赤らめ、怒るに怒れない微妙な表情を浮かべる。
その様子がおかしかったのか、女性は肩を揺らして豪快に笑った。
「悪い悪い。私はカーラ。ラーウス家で働いてるメイドだ。ほら、立ち話もなんだし、中に入りな」
カーラは門の一部を器用に押し開け、シシィをひょいと招き入れる。
その背中は、どこか頼もしく見えた。
「……それで、わざわざこんな時間に街を出歩くなんて、何の調べ物なんだ?」
「えっと……仕事に役立つ情報を集めたいと思っていて。蒼炎の悲劇について調べたくて、博物館に行ってたんです」
シシィはニコラスの命令であることを伏せ、「個人的な興味」という体で答えた。
カーラは一瞬目を丸くし、「へぇ」と感心したように息をついた。
「博物館なんて物好きだねぇ。あそこに飾られてるのは、古い資料ばっかだろ?」
「そうですね……私が探していたものはなくって。でも、カレストリアでは見られないものも多くて勉強になりました」
カーラは立ち止まり、興味深そうにシシィを眺めた。
シシィが口を開こうとしたその時――ぐうぅ、とシシィの腹がごまかしの効かない音量で盛大に鳴った。
「っははは!腹が減ってんならそう言いなよ!こっちにおいで」
カーラが使用人扉を開き、手招きする。
シシィは顔全体を赤くしながらカーラの後に付いていった。
途中振り返ったカーラは、シシィの様子を見てクツクツと笑った。
「ほら、こっち座りな。食って力つけなきゃ」
カーラが大きめの木椅子を引き、厨房脇の小さな食卓を指した。
シシィは遠慮がちに腰を下ろす。
カーラは手際よく鍋から煮込み料理をすくい、パンと一緒にシシィの前に置いた。
「……ありがとうございます。こんなにしていただいて」
「礼なんかいらないさ。屋敷で働いてる奴なんて楽して上手く立ち回る奴も多いんだ。あんたみたいに、真面目に動いてるのは応援したくなる」
カーラは腕を組み、シシィがもぐもぐ食べる様子を見ながら満足げに頷く。
「……私は、王宮勤めですけど……魔法も苦手だし、特に得意なこともなくて。自分で役に立てることがあるなら、頑張るだけです」
その言葉を聞いたカーラは、ふっと笑みを浮かべて鍋を手に取り、シシィの皿に豪快におかわりを盛った。
「よし、その心意気だ!こういうのは食って力つけるのが一番だからね」
相当な勢いで注がれた山盛りの煮込みを前に、シシィは思わず笑った。
煮込み料理の温かい味がじんわり胸に染みるようだった。
「……そうだな。あたしの地元はカレストリアに近くてね。蒼炎の悲劇の現場も近いんだ。別に何が残ってるわけでもないけど、今度案内してやろうか?」
「いいんですか……!?」
シシィがぱっと顔を上げると、カーラはにやりと笑い、腰に手を当てた。
「あんたみたいな子なら、うちの連中も嫌な顔しないだろうし。放っておけないタイプだね、あんた!」
カーラの茶目っ気混じりの声に、シシィはぱっと笑顔になった。
腰のポーチから一枚の羊皮紙を取り出すと、ざっくりした筆跡で自分の名とラーウス家の住所、そして故郷の村の簡単な連絡先を書きつける。
「ほら、これ。手紙でも送れば、何とかしてやるさ」
カーラはにやりと笑い、紙をぐいとシシィの手に押しつけた。
シシィは少し驚いたように目を瞬かせ、そっと羊皮紙を胸元に抱く。
「ありがとうございます……。私からも、カレストリア王宮宛の宛先をお伝えしますね」
「おう。手紙でなら遠慮なく相談できるだろ?」
カーラは豪快に笑い、肩をぽんと叩いた。
「あたしの地元の焼き鳥は絶品なんだ。仕事だけじゃなくて息抜きにもなると思うよ」
煮込み料理から立ち上る湯気が、まるで新しい縁の温もりを映すように、二人の間を柔らかく包み込む。
――この出会いが、後にシシィを真実へと導くきっかけになることを、今はまだ誰も知らない。