表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/22

第15話

 ニコラスが王宮を探っている目的。

 そして、レオノーラが示した『蒼炎の悲劇』への王宮関与疑惑。

 あの日以来、シシィはより前向きに、もっとできることを増やそう、と思えるようになっていた。


 厨房での下ごしらえに、各所の掃除、書庫での整理作業。

 山積みの書類と格闘しながら、広い王宮を駆け回って魔道具のリストを作り上げていく。

 最初は見分けるだけで精一杯だった道具も、今では判別や特徴の把握がずっと早くなっていた。


 リリスやアンナベルタと肩を並べて働き、仕事の合間に交わす何気ない会話。

 笑い合う時間も増え、三人の間には確かな連帯感が芽生えつつあった。

 

 時折、合同訓練にも参加する。

 騎士団との連携を想定した訓練は、相変わらず緊張気味で、ぎこちない動きの時もある。

 特に「魔力供給訓練」では、ニコラスの語った真実が頭をよぎり、胸の奥が少し苦くなる。

 それでも、できなかったことが少しずつできるようになっていく。

 ――その小さな達成感が、シシィの心を支える力になっていた。


 近いうちに、ニコラスは必ず式典開催の許可を得る。

 そう信じながら、シシィは今日も王宮の中を駆けていた。

 


 

 王宮の謁見の間。

 玉座に座るジグムント王の姿を前に、ニコラスは軽く笑みを浮かべて一礼した。


 「父上。お時間をいただきありがとうございます。今日はひとつ、進言がございます」

 「珍しいな?ニコラス。いつもは軽口ばかりのお前が進言とは。聞こうではないか」


 静かに顔を上げたニコラスへ、ジグムントの冷ややかな眼差しが突き刺さる。

 それでもニコラスは気負わず、いつもの軽やかさを纏いながらも、確かな芯のある声で切り出した。


 「来月で、蒼炎の悲劇から三十年です。節目の年に、追悼式と併せて、当時使用された魔道具の展示をしたいと考えています」

 

 ジグムントの眉がわずかに動いた。

 表情を崩さず、口元だけで冷笑を浮かべる。

 

 「……国民に見せてどうする。『暴走した平民の魔力が引き起こした事故』――それが記録にも、記憶にも残っているなら、それで十分ではないか。なぜ今さら、その墓を暴く?」

 

 謁見の間に冷たい空気が流れる。

 ニコラスは一瞬だけ沈黙し、王の視線を正面から受け止めた。


 「父上の懸念はもっともかと存じます。確かに、蒼炎の悲劇を改めて取り上げることは、国民の記憶を呼び起こし、心を乱すかもしれません」


 そこで、ニコラスはほんのわずかに口角を上げた。

 軽口にも似た穏やかな笑み。

 しかしその青い瞳には、ひるむことのない真剣な光が宿っている。


 「ですが――あの悲劇を、私たち王家がどう受け止め、どう未来へ繋げるのか。それを示すことは、国民に『恐怖』ではなく、『信頼』を抱かせるはずです。忘れぬための式典として、国家が毅然と向き合う姿こそ、民を導く道ではありませんか」

 「……言うようになったな、ニコラス」


 ジグムントの声音は、わずかに低くなった。


 「机上の理想など、現実には通じぬことを、まだ学んでいないらしい」


 謁見の間に、緊張が張り詰める。

 それでも、ニコラスは一歩も引かなかった。

 微笑を浮かべ、わずかに頭を垂れる。


 「陛下が現実を知り尽くしておられるのは、誰よりも承知しております。理想を語る若輩に、現実の政治を許す寛容を。このカレストリア国の未来のために」

 

 その声には、挑むような強さと、息子としての誠意が同時に込められていた。

 沈黙が落ちる。

 ジグムントの瞳が、じっとニコラスを射抜くように見つめる。

 その眼差しの奥には、何を考えているのか読み取れない鋭さがあった。


 「……認めよう。ただし、条件がある」

 

 やがて重い声が空気を揺らした。


 「魔道具の選別は『王宮が』行う。跡地の立ち入りは『式典責任者』のみに限定する。勝手な真似をすれば、即座に中止とする。――異論は?」


 ニコラスは、ゆっくりと深く頭を下げた。


 「一切ございません。……すべての責任は、私が負います」

 「では、務めてみせよ。王家の未来を語る者として、な」


 その言葉には、父としての情ではなく、王としての圧倒的な重みがあった。

 だが、ニコラスの瞳は静かに燃えていた。

 ――必ずやり遂げる。そう心に誓いながら。


 「だが……よもや忘れてはいまいな?」

 「……忘れて、とは?」


 ジグムントは、玉座の肘掛に片肘をつき、低く言い放った。


 「ルミナリアへの縁談を兼ねた交流だ。ラーウス家のライラ嬢は、お前の婚約者候補として最有力。向こうもそれを踏まえて、友好を深める気でいるようだぞ」


 唐突な話題転換に、ニコラスの笑みが一瞬だけ凍る。

 しかし次の瞬間には、何事もなかったかのように口角を上げた。


 「勿論、忘れておりません。王族としての務めを果たします」


 穏やかな声。完璧な王子の顔。

 見かけは完璧だったが、ニコラスの胸の奥には――シシィの声と笑顔がよぎっていた。

 ジグムントは、そんな息子の心を試すかのように、冷ややかに笑った。


 「ならばよい。ルミナリアへの訪問は、式典の準備と並行で進めろ。……どちらも失敗は許されぬぞ」

 「承知しました」


 その笑みは、ほんのわずかに固く張りついたものだった。

 謁見の間を出たニコラスは、緊張感か、この先を思案してか――深く息を吐いた。




 ――ニコラスは私室へ向かい、歩みを進める。

 その途中、広い廊下の向こうに、忙しそうに資料を抱えて駆け回るシシィの姿が見えた。

 こちらに気づかず、一生懸命な様子に、ニコラスは思わず足を止める。


 「シシィ」


 声をかけると、シシィはパッと振り向き、驚いた顔をした。

 周囲を少し確認した後、「ニコラス様!」と資料を抱えたまま駆け寄る。

 その表情を見ただけで、ニコラスの胸には、ふわりと温かいものが広がる。

 

 「式典の許可が取れたよ。追悼イベント、正式に開催だ」

 「本当ですか!?よかった……!」


 その笑顔を見て、ニコラスは思わず小さく息を漏らした。

 ――どうしてこんなに、嬉しそうな顔が愛おしいんだろう。

 

 「雑務係がこんなに頑張ってるんだから、俺も頑張らないとな」

 

 わざと軽口めかして言うと、シシィはきょとんとした後、少し照れくさそうに笑った。

 廊下の向こうから、別の使用人の声が飛ぶ。

 

 「シシィ、こっち手伝って!」

 

 シシィは「はーい!」と元気な返事をして、「また夜に」と元来た方へ小走りで戻っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、ニコラスは自分の頬が緩むのを感じていた。




 ――同日の夜。

 ニコラスの私室には、部屋の主に加えてレオノーラ、そしてシシィが顔を揃えていた。

 扉が閉まっていることを確認し、ニコラスが口を開く。

 

 「さて。良いニュースと、悪いニュースがある」

 「では……良いニュースから聞こうかしら」


 レオノーラの言葉に、ニコラスはわずかに苦笑してから言葉を継ぐ。


 「ようやく許可が取れた。式典は、計画通り開催できる」

 「よかった……!」

 

 シシィの声が弾む。

 その反応を見て、レオノーラも「一歩目が踏み出せたわね」と穏やかに微笑んだ。

 

 「そして、悪いニュースだけど」


 ニコラスの声が、少し低くなる。

 

 「展示する魔道具の選別は、王宮が行うことになった。跡地の立ち入りも式典責任者だけ。つまり、自由に調べ回ることはできない」

 「なるほど。けれど、こちらの動きを制限したということは、都合が悪い何かを隠している証拠、とも考えられるわ」


 レオノーラの淡々とした言葉に、シシィも小さく頷く。


 「もしかしたら……お話していた、過去の魔道具が残っているかもしれないですよね。すぐには難しいかもしれないですが……」


 少し考え込んだシシィが、手元のペンをいじりながら続ける。

 

 「書庫や魔道具庫の整理を何度か手伝ったことがあります。顔見知りの人も多いので、準備の手伝いを名目に、もう少し深く潜り込めるかもしれません」

 「さすが。雑務係で築いた人脈か。……あまり無茶はしないでほしいけど、頼もしいな」


 その言葉に、ニコラスはふっと口元を緩めた。

 褒められたことに、シシィは少し頬を赤らめる。


 「雑務係に命じてくださったのは、殿下ですから」

 「まあ、シシィ。そんな健気なことを言われては、殿下も悪い気はしないでしょうね」


 レオノーラが意味ありげに笑い、ニコラスを横目で見た。


 「レオノーラ……」

 「事実でしょう?」


 ニコラスはひとつ咳払いをして、言葉を選ぶように口を開いた。


 「……式典実施の交換条件として、父上からルミナリアへの親善訪問を命じられた」

 「ルミナリア……?お隣の国ですか?」

 

 口調は軽いが、わずかに沈んだ声音で頷いた。

 シシィが小さく首をかしげる。

 

 ルミナリア王国。カレストリア王国の北に位置し、同等の領土を持つ友好国。

 温暖な気候故に農業も盛んで、ここ最近は魔法を活用した国造りを進めている。

 

 「インフラ整備や、農業、ポーションの研究状況……交流の一環として、意見交換を行う予定だ。そのために、特別使用人も数名連れていく」


 シシィの脳裏に、リリスやアンナベルタの顔がよぎる。

 仕事に誇りを持っている二人であれば、刺激を受けてより一層すごいものを作り出せそう――。

 そんな想像が浮かんだ。

 

 「そして……ルミナリア王国は『蒼炎の悲劇』の跡地が近い。当時の資料の一部が、王国博物館に展示されているらしい」


 何があるのかまでは分からないけれど、とニコラスは言葉を区切る。


 「ただ……滞在中に俺が確認に行くのは難しい。そこで……シシィ、君にも同行してほしい」

 「わ、私もですか……?」

 「ああ。信頼している人物にしか頼めない。補佐役として、力を借りたい」


 ふいに言葉の熱を感じて、シシィは思わず口を結んだ。

 胸の奥が、トン、と強く鳴る。

 ――信頼。その響きが嬉しい。この人の期待に応えたい、と強く思った。


 「……分かりました。私でよければ同行させてください。蒼炎の悲劇について、調べてきます」


 ――その目は仕事への決意だけでいっぱいで、そこに自分への影は一欠片もない。

 ニコラスは一瞬だけ言葉を失い、喉奥でかすかに息を呑む。

 

 「……ああ、頼むよ」

 

 掠れた声を紛らわすように、ニコラスは軽く笑みを浮かべた。

 そんな弟の横顔を、レオノーラはちらりと見て、何かを察したように目を細める。

 そして、小悪魔的な笑みを浮かべ、にわかに大きな声量で話し出した。

 

 「親善訪問ねぇ。……ルミナリアといえば、ライラ嬢の顔合わせもあるわよね?」

 「……レオノーラ」

 

 ニコラスの眉がピクリと動く。

 低い声で制したが、レオノーラはどこ吹く風だ。

 

 「なぁに?本当のことじゃない。ルミナリア王国随一の令嬢で、貴方の婚約者候補として最有力だって……王都中の社交界で囁かれているわ」

 「えっ?そうだったんですか」

 

 シシィは思わず口をぽかんと開けた。

 婚約候補という言葉が、頭の中でじんじんと響く。

 

 「姉上。余計なことを……」

 

 ニコラスは眉間に皺を寄せ、視線を逸らす。

 その様子は、否定しようとしているのに言い訳が見つからないような、微妙な気まずさに満ちていた。

 レオノーラはそんな弟を見て、楽しげに微笑む。

 

 「まあ、どうであれ、弟が誰かを信頼して連れて行くなんて珍しいことだわ。……シシィ、頑張ることね」


 その微笑みに、シシィは「はい」と頷いた。




 ――その日から数日後。

 騎士団の休憩室は、いつになく騒がしかった。

 大柄な赤髪の青年――ガイルハルトが、まるで試合に敗れた戦士のように崩れ落ちている。

 床に両手をつき、今にも泣き出しそうな顔で呟いた。

 

 「……リリちゃんに数日間会えないなんて……辛い……ショックだ……!」


 その姿に、椅子に腰かけていたルーデリヒが、眉間を押さえながら呆れた声を漏らす。

 

 「公務だろ、公務。ルミナリア王国への派遣任務だと聞いているが……しっかりしてくれ」

 「わかってる……わかってるけど……!」

 

 あの後、ルミナリア王国への親善訪問が正式に王宮内へ通達された。

 通達には「特別使用人も数名同行」とだけ記されていたが、リリス、アンナベルタ、そしてシシィが選ばれていることを、ガイルハルトはルーデリヒから聞かされていた。

 つまるところ、リリスから直接連絡がなかったこと、そして数日間会えないことにガイルハルトが打ちひしがれている……というのが、現在の状況であった。

 ガイルハルトは、拳で床をドンと叩く。


 「毎日会えてたんだぞ!?リリちゃんが頑張ってる姿を毎日見られたんだぞ!?なのに数日間も会えないなんて……」

 「……大げさすぎる」

 

 ルーデリヒは深くため息をつくと、飲み物を一口含む。

 その横で、テオスカーが小さく苦笑した。


 「そもそも、騎士団に入隊してしばらくは実家に帰れないから……顔を合わせられない時期もあったはずですよね?」

 「過去は、過去!今は今だ!毎日会えるようになってしまった今……リリちゃんの笑顔は必要不可欠なんだ!」

 

 両腕を広げて力説するガイルハルト。

 ルーデリヒは「まるで駄々っ子だな」と低く呟き、呆れを通り越して無視し始めていた。


 それでも収まらないガイルハルトは、ルーデリヒに取り合ってもらえないと悟ってか、テオスカーをずび、と指差す。


 「お前らはよく平気でいられるよな!?ルーデリヒ、アンナベルタちゃんが!テオスカー、お前の妹分が!隣国へ行くってのに、なんとも思わないのか!?」

 「――妹分が、何だって?」


 テオスカーは、ふと動きを止める。

 先ほどまでの穏やかな笑みは、すでに消えている。


 「シシィちゃんのことだよ!え、聞いてないの!?ニコラス殿下と一緒にルミナリアへ同行するって――」

 

 数秒、静かに固まる空気。

 ルーデリヒが低く口を挟む。

 

 「おい、言ってよかったのか」


 項垂れ続けるガイルハルトと、何も聞いていなかったテオスカーの険しい顔。

 休憩室に、妙な緊張感が漂う。

 テオスカーは視線を伏せたまま、ぽつりと口を開いた。


 「……そうか。……初耳だったな」


 その声音は穏やかに聞こえるのに、どこか深い底を秘めているようだった。

 ガイルハルトは、しまったという顔で両手をぶんぶん振る。

 

 「えっ、えっ?あれ?まずかった!? ……いやでも事実じゃん!?見送り行こ?な!」

 「ありがとうございます」


 テオスカーは静かに微笑んだ。

 だがその笑みに、ほんの少しだけ影が差しているのを、ルーデリヒは見逃さなかった。


 「……テオスカー」

 「すみません。少し外の空気を吸ってきます」


 テオスカーは、声をかけようとしたルーデリヒを遮るように席を立った。

 背を向ける彼の背中は、普段の柔らかさとは違う、張り詰めた何かを纏っていた。

 残されたガイルハルトとルーデリヒは顔を見合わせる。


 「……あいつ、怒ってるのか?」

 「怒ってるというより……焦ってる、って感じかもな」

 

 ルーデリヒの低い声に、ガイルハルトは首を傾げたままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ