表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/22

第13話

 夜が更け、王宮の片隅にある一室――。


 重厚な扉をくぐると、そこには静かなランプの灯りがゆらめいていた。

 金の髪をもつ王子が、ソファに腰かけ、足を組んでいる。

 その目元には笑みが浮かび、けれどどこか探るような色も混じっている。


 向かいの椅子には、使用人の少女。

 クリーム色の髪をふたつにまとめ、背筋を伸ばして座るシシィの顔は、どこか硬い。

 手帳を取り出そうとしたその時、先に口を開いたのは王子の方だった。


 「……今日はいつもより、なんか暗い顔だね?」


 シシィは思わず、ぴくりと目を瞬かせる。


 「……あっ、すみません」


 シシィは手帳を両手で持ち直す。

 

 「いろいろあって、どこから報告しようかなと……」

 「俺が怒りそうな内容?……怖くて震えてきたよ」

 

 言葉とは裏腹に、首をかしげながら、からかうように片眉を上げたニコラス。

 シシィの表情が少しだけ緩んだ。


 「……いえ、そんなことはないですよ」


 少しだけ顔を伏せて言うシシィに、ニコラスは静かに笑った。


 「じゃあ、順番に。聞かせてくれる?」


 その落ち着いた声に、シシィは息をふっと吐き出す。

 ゆっくりと姿勢を正し、手帳を開いた。


 「はい。まず、ポーションの納品先についてです」


 ニコラスは、肘掛けに軽く肘を置き、シシィへと視線を向ける。

 そのやわらかな空気に、シシィもようやく息を整える。


「前回の報告で、友人は『作った上級ポーションを王都ギルド・病院・王宮騎士団に卸している』と話していました。でも実際にギルドの方に聞くと、『近く卸される予定なのか』といった反応で……」

「覚えてるよ。違和感あったね」

「はい。調べてみたのですが……ギルドには、やっぱり“上級ポーション”は卸されていなかったのかもしれません」


 シシィは手帳の間に挟んでいた納品書の写しを取り出し、テーブルへ並べる。


「病院と騎士団の納品書には“上級ポーション”と明記されています。でもギルドだけ、“ポーション(青)”という表記なんです。……中級も、上級も、どちらも青色をしているので、見た目だけじゃ区別がつきにくくて」

 

 ニコラスの表情がすっと引き締まる。


「つまり、誤魔化そうと思えば可能ってことか」

「……はい。納品書以外の証拠があるわけではないので、断定はできませんが……意図的に“上級”という名称を外していた、とも考えられるかもしれません」

 

 小さく紙のめくれる音が室内に響く。

 ニコラスは納品書を指先でたどりながら、しばし無言で見比べていた。


「そして、これも憶測ですが……」


 言い淀むシシィを、ニコラスは目で促す。


「ギルドに卸されたとされていた“上級ポーション”は……本当は王様のところに運ばれていた可能性もあると思います」


 揺れるランプの光の中で、ニコラスの瞳がわずかに細められた。

 その淡いターコイズの色が、冷たい湖面のように、静かに揺れる。

 

 「騎士団の新人の方が、上級ポーションを勝手に持ち出して騒ぎになったそうなんです。……渡した相手は、王付きの従者だったそうです」


 ニコラスは無言で耳を傾けていた。

 シシィの声には、どこか痛みが混じっていた。

 誰かを責めるためではない。ただ、真実を見逃さないために。


 「その新人は、従者から直接指示を受けたわけではなかったんです。隣の隊の人に頼まれた、と。その人も、さらに他の人から頼まれたと……。辿っていったのですが、最初に『王付きの従者へ渡せ』と指示した人物は、結局分からなかったそうです」

 

 ぽつり、ぽつりと語るたびに、室内の空気が少しずつ沈んでいくようだった。

 ランプの光だけが、二人の表情をやわらかく照らす。

 

 「……失礼なことを申し上げているのは分かっています」


 一瞬、声が途切れる。

 けれど、シシィはひるまない。

 静かにニコラスを見つめる。


 「けれど……王付きの従者のところへ巧妙に渡された品も、ギルドに納品されていない品も……。全て“上級ポーション”なんです」


 その言葉に、ニコラスはふと視線を伏せる。

 卓上の帳簿に添えられた指が、わずかに動いた。

 シシィは迷いを断ち切るように、言葉を続ける。


 「……最後に、北棟の温度調節石についてです。殿下は、通られたことはありますか?」


 不意に投げかけられた質問に、ニコラスは顔を上げた。

 だが、何も言わない。ただ静かに、シシィの言葉に耳を傾けていた。


 「特別使用人同士で、『あの辺りって寒いよね』って話になったんです。涼しいくらい、という人もいれば、明らかに寒いと感じている人もいて……。でも、料理人長は『全然寒くない』と。室内は温度調節石で気温が管理されているなら、差があるはずないのに。壊れているのかもしれないと思って、見に行ったんです」


 シシィの声は落ち着いていた。

 静かさの裏にある疑惑が、その言葉を鋭く際立たせていた。


 「一か所だけ、明らかに冷気を感じる場所があって。壁の装飾に紛れて、ぱっと見では気づかないような……温度調節石に似た別の装置が仕込まれていました。それは、魔力に反応して“冷気を放つ”仕組みだったんです」


 ふたりの間に長く伸びる影は、時が止まったかのように動かない。


 「本当は良くないことかもしれませんが、話をした同僚の健康診断記録を確認させてもらいました。……魔力量が多い子ほど、寒さを強く感じていたんです」


 その言葉を聞いた瞬間、ニコラスの眼差しが鋭くなる。

 しかし、それでもなお、彼は沈黙を守ったまま、話を受け止めている。

 その沈黙に背を押されるように、シシィは一歩、踏み出した。

 言葉ではなく、『想い』の領域に。


 「……過ぎたことを口にしているのは分かっています。でも……殿下の目的が分かれば、もっと異変に気が付けるかもしれません。見落とさずに済むかもしれません」


 両手で手帳を抱きしめるようにして、シシィははっきりと顔を上げた。

 その瞳はまっすぐに、揺らぐことなくニコラスを見据えている。


 「教えてください。どうして、ニコラス殿下が、私を介して王宮内部を探っているのかを」


 静寂が降りた部屋に、その声だけが凛と響いていた。

 シシィの真剣な言葉に、ニコラスはしばらく何かを考えるように口を閉ざしていたが、ふっと息をついた。


 「こんなに真っ直ぐ詰め寄られたら、俺も逃げられないね」


 いつもの軽口。

 けれど、その目は穏やかでありながら真剣だった。

 

 「……冗談だよ。大切なことだから、ちゃんとシシィにはいつか伝えるつもりだった。ただ、こうして言ってもらえたことで、覚悟が決まった」


 ふう、と短く息をついて、ニコラスは窓の外へ視線を投げる。

 星の瞬く夜空が、わずかにその横顔を照らしていた。


 「まず、ひとつ聞いてもいい?」

 「……はい」

 「『特別使用人』の制度について――なぜ、平民ばかりが任命されているのか、考えたことはある?」


 唐突な問いに、シシィは一瞬まばたきをした。

 

 「……貴族の方は、魔力や魔法の勉強も、健康の管理もお家でできるので……わざわざ王宮の制度に頼る必要がないからだと思っていました」

 

 言葉を探すように、慎重に答える。

 ニコラスは、その答えに「なるほど」と微笑む。

 

 「もっともらしい理由に聞こえる。実際、そう説明されることも多い」


 ニコラスの声が、静かに落ちる。

 その視線は、どこか遠い過去を見ているようで――その目はもう、冗談を言う時のそれではなかった。




 ――ニコラスが8歳の頃のことだった。

 

 父・ジグムント王の執務室。

 重厚な扉をノックし、入室の許可をもらったものの、王はちょうど側近に呼ばれて席を外すところだった。

 日差しが斜めに差し込むなか、ニコラスは広い執務室の中でひとりぼっち。

 子ども特有の好奇心から、執務室の大きな机の上の書類をのぞき込む。

 

 整然と並ぶ書類の束。そのなかに、無造作に広げられた何枚かの資料があった。

 子どもたちの顔写真とともに、詳細な情報が記されたリスト。

 魔力量、出身地、年齢、素行。びっしりと並ぶ情報が目新しく、ニコラスは夢中で紙を捲っていった。

 

 それは、特別使用人に選ばれる候補者たちの一覧だった。

 けれど……ニコラスの胸には、次第に違和感が広がる。

 

 「……平民ばかりだ」


 気づいたときには、何度も名簿を見返していた。

 十人、二十人、三十人――名前が続くどの欄にも、貴族の家名はなかった。

 ふと気がついたその事実は、偶然と片付けるには、あまりに偏りすぎていた。

 貴族の子女にも高い魔力を持つ者は少なくないはず。

 

 そろそろ父が戻ってくるかもしれない。

 こういう勘は当たるのだ。

 

 ニコラスは、こっそりと書類を元通りにして廊下へ飛び出す。

 ちょうど通りかかった家臣に駆け寄り、問いかけた。


 「ねぇ。特別使用人って、貴族はなれないの?」


 家臣は一瞬目を細める。

 その目には、子どもの気まぐれな質問を受け流すような色が浮かんでいる。

 やがて、どこか作り物めいた笑みを浮かべて、言った。


 「……ああ、あれは教育を受けられない者を対象にした制度でしてね。貴族は家にチューターがいますから。わざわざ王宮に呼ぶ必要などないのです、殿下」

 「そうなんだ……」


 ニコラスはそれ以上尋ねることもなく、その場を離れた。

 けれどその胸の奥には、さきほど感じた違和感が、燻るように残り続けていた。

 

 次の稽古事まで、まだ少し時間があったニコラスは、部屋に戻るのも億劫で、気ままに王宮内を歩いていた。

 見慣れた回廊も、こうして一人きりで歩くと、どこか違って見える。

 そんな折だった。

 ちょうど角を曲がろうとしたとき、ふと、廊下の陰から声が聞こえた。


 「殿下に今日、話しかけられてな。特別使用人はなぜ平民だけなのか――って」


 くぐもった声。

 家臣たちが、人気のない場所で話しているようだった。


 「ハハハ、まさか殿下がそんなことを気にされるとはな」

 「貴族の子息を使い捨てにしたら、後々うるさいからな。何を言われるか分からん」

 「平民なら、“研究の一環”で魔力を抜きすぎて廃人にしても、親元に伝えなければ済む」

 「なに、しばらくは手紙を誰かが代筆していれば、家族も気づかんよ」


 ニコラスはそっと角から顔を出す。

 醜悪な笑みを浮かべた家臣が、ニヤニヤと顔を突き合わせて話していた。

 

 「最悪、ポーションで魔力だけ回復させて、生かしておけばいい。供給源としてな」

 「人が悪いですなぁ」

 「有事の際に魔力の盾となって、我々を守ってくれるんです。むしろ当然の扱いでしょう?」

 「ま、有事が起きなければ、平民であっても王宮に好待遇で勤められるのだから、悪い制度ではあるまい」


 言葉の端々に滲むのは、「当然」という名の、澱んだ冷笑だった。

 足音を立てることもできず、ニコラスはその場に立ち尽くしていた。

 

 自分が育った王宮。

 王子として育まれてきたこの場所で、誰かの命を犠牲にする仕組みが、当たり前のように機能している。

 特別使用人――選ばれし者という言葉の裏にあるもの。

 それは、特別という名の犠牲。


 魔力の多い平民たちは、いつの間にか“道具”として扱われている。

 壊れても、替えが利く存在として。

 その日から、ニコラスの中に、王宮の歪みを見つめる目が生まれた。




 「……そんなことが……」


 思わず呟いたシシィの声は、かすかに震えていた。

 信じたくなかった。でも、思い当たる節は――あまりにも多い。


 ――『特別という名の犠牲』。

 その言葉が、シシィの胸の奥に、じわりと重く沈んだ。

 いつもは軽口ばかりで、どこか飄々としているように見えたニコラスから語られた、あまりにも痛ましい現実。


 「騎士団との合同訓練には、魔力供給訓練も組み込まれていますよね?……それも、やっぱり……」


 シシィの脳裏に浮かぶのは、あの日の訓練の光景。

 あくまで、非常時を想定した緊急対応のための訓練として、特別使用人から騎士団員への魔力供給を行なったことがあった。

 

 「……恐らくね。供給訓練は、表向きこそ『緊急対応』ってことになっているけど……戦いの場で“君たちが持っているもの”を使って勝てるなら、毎回使えばいい、と思う連中も出てくるだろう」


 声のトーンが、どこか沈んでいた。


 「……」

 「上級ポーションも、同じだ」


 ニコラスはゆっくりとシシィの方へ視線を向けた。


 「本来なら、発展は歓迎すべきなんだ。怪我や病を癒せる技術が進めば、救える命は増える」


 だけど、と彼は続ける。


 「……その用途が、『魔力を抜かれすぎた人を無理やり生かすため』のものだとしたら。俺は、そんな発展は望まない。発展なんて、止まって構わない」


 静かだけれど、強い言葉だった。


 「人を、壊れるまで働かせるための薬になってしまう」


 その言葉には、怒りとも、悲しみともつかない、深い痛みが込められていた。

 そして――ニコラスは、ふっと息を吐く。


 「……もうひとつ、俺の中で決定的だった出来事があるんだ」


 ニコラスの言葉に、シシィはそっと顔を上げた。




 ――それから数年後、ニコラスが王命で地方を訪れていたときのこと。

 視察団が次の土地へ向かう準備をしている間。

 ニコラスは、ひとりで村の広場を歩いていた。


 生まれてこの方、王都以外を訪ねたことがなかった。

 人々の暮らしぶりを肌で知りたかった。

 地に足の着いた視点を、忘れてはいけない気がして。

 ……そんな中で、目にした光景。


 「やめろ!」


 鋭く飛び出た声に、広場の片隅で子どもを小突いていた男が振り返った。

 男の手はまだ上がったままで、痩せた子どもの腕は泥にまみれて震えている。


 ニコラスが歩み寄ると、男は一瞬、訝しげな顔をした。

 しかし、身なりと紋章に気づいた瞬間、顔色を変え、慌てて頭を下げた。


 「い、いえ、これは……! 未来の王である殿下のために、鍛えているのです」

 「鍛えている……」

 「はいっ。王宮の特別使用人を目指して……魔力を高める訓練を」


 言葉の意味を測りかねて、ニコラスは眉をひそめる。


 「どういうことだ?魔力を、高める?」

 「ええ、ええ。水を控えたり、睡眠時間を削ったり……飢えや恐怖といった極限状態でこそ、魔力は目覚めるのだとか。この子も、いつか王宮に……」


 そこで、ニコラスは言葉を遮った。

 視線は、地面に倒れこんでいる少年に向けられていた。

 小さな身体には、あざがいくつも浮かび、唇は乾ききっている。

 それでも、その目だけは、必死に虚空を見上げていた。


 ――こんなことを、“訓練”と呼ぶのか。

 膝をつき、少年に手を伸ばす。

 優しく治癒魔法と清浄魔法をかけると、少年の体は綺麗な見かけになる。

 それでも、少年は地面から起き上がれなかった。痩せた体までは、魔法ではどうすることもできない。


 「……そんなことをしても、魔力は変わらない。痛みや飢えは、強さとは別のものだ」


 そう呟きながら、ニコラスはポケットからハンカチを取り出し、少年の手にそっと握らせた。


 「……立てるか」


 少年は、かすかにうなずいた。

 そのわずかな頷きが、今でも忘れられない。

 ニコラスは振り返り、なおも平伏している男に言い放つ。


 「『特別』とは、誰かを傷つけるための言葉じゃない。二度と同じことをさせるな。――王子としての命令だ」

 



 シシィは黙ってニコラスを見つめていた。

 真っ直ぐに、穏やかに。

 けれど、確かに燃えているその瞳を。

 

 「……あの時、はっきり思ったんだ。俺が、この国を変えなきゃいけないって」


 言葉は穏やかだった。

 だが、その奥には強い熱が込められていた。


 「制度を壊すだけじゃ足りない。魔力の多い者たちは、今、特別使用人として王宮に集められている。拒否権もなく、強制的に」


 その言葉に、シシィの胸がちくりと痛む。

 シシィ自身も、「希望して来た」というより、「仕組みの流れに乗せられ」ここに来た一人だった。

 こんな背景があったとは――。心の奥で、何かが静かに揺れ始めている。

 一語一語を噛みしめるように、ニコラスは言う。


 「集めた国民を、道具として扱うなんて、あってはならない。本当ならすぐにでも解放したい。けど……今それを言っても、握りつぶされて終わる」

 

 そこまで言って、ニコラスはふっと笑った。


 「だから、準備を進めることにした。そして、その第一歩として、シシィを雑務係――補佐役に選んだ。俺は、誰かと何かをするなら、力と同じくらい『人となり』が大事だと思ってる」

 「……力と人となり、ですか?」

 「そう」


 ニコラスはうなずく。

 

 「シシィ達の王宮入りの日、何気なく門の上から見ていたんだ。君の首元に――とんでもなく強い魔力が溜まっているのが見えた。例のネックレスだね」


 シシィは思い出す。

 初対面の日、「魔力が見える」と言った彼の言葉。

 母の形見である、魔力を帯びたあのネックレスを、布の上から的確に言い当てたこと。

 ……あのときすでに、彼は自分を知っていたのだ。

 

 「そして……門の横手で、老人が転んだのを覚えてる?」


 その一言で、記憶が鮮やかに蘇る。


 「あっ……」

 「誰も気に留めなかった。けれど、シシィだけが荷を拾って、袋を貸して、手際よくまとめて――最後には笑って、手を振ってた」


 思い出すほどに、恥ずかしさがこみ上げてきて、シシィは思わず目をそらした。


 「……見てたんですね」

 「見てたよ。ああいうところに、人間って出ると思ってる。だから、俺は君に頼んだ。――王宮の裏を調べられる唯一の人物として、俺の“目”になってほしかった」

 

 淡々とした語り。

 けれどそこにあったのは、たしかな信頼と、敬意。

 

 「ようやく協力者が見つかったと思った。これで王宮の内部を正せる、俺が思う理想の未来に近づけるって」

 

 語る声は、次第に未来を描くものへと変わっていく。


 「まずは、子どもを中心に、魔力について学べる場所を作りたい。 魔力の強さに関わらず、使い方を身につけられる……安心して通える学校を、国中に建てるつもりだ」

 「……学校……」


 シシィが小さくつぶやく。

 ニコラスはうなずいて、話を続けた。


 「学びの機会を広げれば、皆が正しく魔力と向き合えるようになる。使うための知識が身に着けられる。そして、そこで働く人たちの雇用も生まれる。支え合う循環を作りたい」

 

 構想は、すでにその先を見据えていた。

 ニコラスの声は、落ち着きながらも、確かな熱を帯びていく。


 「学校に通うには、移動手段も必要だ。交通の整備……街と街を繋ぐインフラを作る。魔力持ちの研究者たちと協力して、安全で効率的な技術を追求していくつもりだ」


 魔力を、戦力でも搾取の対象でもなく、「共に生きるための技術」として社会に組み込んでいく構想。

 それはまさに、制度の先を見据えた、未来のビジョンだった。


 「魔力に支配されるんじゃない。自分の意思で魔力を使えるようになってほしいんだ。……そのために、まずは王宮から変えていく。魔力を、ただの力じゃなく、希望に変えるため」


 その目は、誰かを従わせる権力者のものではなかった。

 この国の誰もが、自分の人生を、自分で選べるように。

 真っ直ぐな想いだけが、まるで光のように胸に差し込んでくる。

 

 ――この人は、本気で変えようとしている。

 そう思った瞬間、シシィの胸に、熱いものが込み上げた。


 「……それなら」


 しばしの沈黙のあと、シシィはそっと口を開いた。

 その声は小さかったが、確かな意志を宿していた。


 「私も、ニコラス殿下の期待に応えられるよう、一層頑張りますね」


 その一言を聞いた瞬間、ニコラスの眉がぴくりと動いた。

 

 「……ん?今、ニコラスって言った?」


 思わぬ反応に、シシィは一瞬きょとんとする。


 「え、あ……はい。言いましたけど……?」

 

 ニコラスはわざとらしく、目を見開いてから、ふっと肩をすくめた。


 「へえ、俺の名前、知ってたんだ?ずっと殿下って呼ばれていたから、てっきり知らないのかと」

 「もう……知らないわけないじゃないですか」


 困ったように眉を寄せるシシィに、ニコラスは思わず笑みが零れる。


 「じゃあ、どういう気持ちの変化で?」

 「今日のお話を聞いて、今まで以上に……殿下の力になりたいって思ったからです。特別使用人だけじゃなくて、この国の人、全てに関わることだから……もう一度、気合を入れて調査を頑張ろう、って」


 笑顔を作りながらも、恥ずかしそうに視線を逸らすその仕草に、ニコラスは表情を和らげる。

 やっぱり、補佐役として選んで正解だった、と。


 「じゃあ、これからは名前で呼んでくれていいよ。二人のとき限定で。ね、シシィ」

 「えっ」


 瞬間、シシィの顔がぱっと赤く染まった。


 「な、名前!?無理です!というかそういう話じゃなかったですよね!?」


 その必死な訴えに、ニコラスは吹き出してしまった。


 「ふふっ……そういうところ、ほんとに面白いよね」

 「う……からかわないでください……!」

 「うーん……なら、どうすれば呼べるの?」

 

 どこまでが冗談で、どこからが本気なのか。シシィには全く読めない。

 顔の赤みは、完全に耳まで達していた。

 ニコラスの方を向けないまま、絞り出すように口を開く。


 「せめて『様』を付けさせてください……」

 「ニコラス様か。悪くないね」

 

 目を細めて微笑むニコラス。

 その眼差しには、静かな喜びと、どこかくすぐったそうな照れがにじんでいた。

 

 「さて……話を戻すと」

 

 ほんのり甘い雰囲気に、少し名残惜しそうにしながらも――ニコラスは表情をすっと引き締めた。

 空気が一変する。

 情報を読み解く王子としての顔に、戻っていた。


 「シシィの言う通り、『上級ポーションは王が使っている』という仮説……あながち的外れじゃないかもしれない。消費するというよりも、いざという時、特別使用人に投与するため、備蓄している可能性が高い」

 

 シシィの表情が曇る。

 ニコラスが語った“制度の裏”と照らし合わせれば、それは、何かを犠牲にする前提の準備にすら見えてしまう。

 もはやただの仮説ではなくなりつつあった。


 「それに、あの温度調節石に似せたもの。通過した人物の魔力量を記録していると考える方が自然だ」

 「……はい。確かにそうかもしれません」

 「しばらくは、あの辺りに近づかない方がいい。何が起きるかわからないからね」


 ニコラスの忠告に、シシィは小さく頷いた。

 うつむき、視線を床へと落とす。

 

 「すみません……迂闊でした」


 自分が不用意に動いてしまったことで、情報が何者かに――恐らくは王側に伝わった可能性がある。

 その思いが、胸に重くのしかかっていた。

 そんなシシィに、ニコラスは静かに息をついて、やわらかく語りかける。


 「……ちなみに、あの場での寒さ。どのくらいに感じた?」

 「私は……耐えられないほどではありませんでした。『涼しい』と感じた子よりは寒くて、『寒い』って震えていた子よりは、まだ軽いというか……中間くらい、だったと思います」


 ニコラスは「ふむ」と短く唸り、ゆるやかに彼女の首元へ視線を向ける。

 そして、苦笑いのような表情を浮かべた。


 「そのネックレスに溜まっている魔力量、正直言って……俺が今までに見た何よりも、群を抜いて多いんだけどね」

 「えっ……?」


 シシィは驚いて、服の内側からネックレスを取り出す。

 無意識のうちに、両手でそっと包み込むようにしていた。

 確かに、母の形見で、魔力が込められているとは思っていたが、「群を抜いて多い」なんて――それはあまりに想定外だった。


 「自覚なかった?」

 「ありませんでした。母が最後に残してくれた、大切なものとしか……」


 シシィの声に、どこか困惑と戸惑いが混ざる。

 「でも」と言葉を続けた。

 

 「そういえば……入手方法はちょっと特殊かもしれません。少しだけ、この形見を手に入れたときの話をしてもいいですか?」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ