第11話
「……おかしいなぁ」
机いっぱいに帳簿を広げたシシィが、ぽつりと呟いた。
ポーションをギルドに納品していると話していたリリス。
実際に運搬を担当している使用人にも聞いたところ、「ギルドへは毎回青いポーションを運んでるよ」とのことで、確かに納品も行われている様子だった。
「納品してるってみんな言ってるのに、ギルドの責任者さん……この間『ギルドにも回してほしい』って話をしていたよね……」
帳簿をめくりながら、シシィはリリスたちの作業記録をチェックする。
確かに、ここ数週間もギルド宛のポーション制作は継続されている。
納品書もある。名前も、日時も揃っている。運搬の記録も問題ないように見える。
「うーん……」
病院とギルドを見比べようと、納品書に手を伸ばした。
ふとシシィは違和感に気が付く。
「あれ……ギルドのだけ、『ポーション(青)』ってなってる……?」
シシィは眉を顰める。
「ポーション(青)って、どうして……? いや、それにしても、なんでギルドだけ……?」
他の納品先と異なり、なぜかギルドだけ違う表記。
運搬係は「青いポーションを運んだ」と言っていた。
「上級ポーション」を運んでいるとは言っていない。
「……えっ、じゃあ……」
――リリスたちは、上級ポーションを作って、倉庫に納品している。
――運搬係は、納品書通りに「青ポーション」として運んで。
――じゃあ、ギルド側には、何が届いている?
――本来届くはずの上級ポーションは、どこかに消えている……?
手帳に急いでメモを取りながら、シシィの背筋に、わずかに寒気が走った。
――昼下がりの食堂の窓際。
たまたま休憩が被ったことを喜びあうシシィ、リリス、アンナベルタの姿があった。
テーブルにトレイを並べて座る。
三人がそろうと、いつも不思議と話題が尽きなかった。
「ん、このスープ、当たりじゃない?」
「わたしはパンがふわふわで幸せです~」
「確かに、どっちも美味しい……!」
そんなやりとりの中、ふとシシィが窓の外を見てスプーンを止めた。
「……なんか、今日の空、上級ポーションみたいな色だよね」
ここ最近、ポーションについてばかり考えていたからだろうか。
スプーンを口に運びながら、ふと顔を上げたシシィがぽつりと呟いた。
「そんな感想、ポーション係以外から初めて聞いたんですけど……!」
「シシィちゃん、ちゃんと休んでる~?」
リリスはやや引いた表情で眉をひそめ、アンナベルタはどこか心配そうに口を尖らせたまま、パンをちぎっている。
「あはは……最近ポーションのこと調べてたから、かも」
照れ笑いを浮かべながら、シシィは再び窓の外を見つめた。
空は高く澄みわたり、美しい青が広がっている。
その色が、シシィには上級ポーションのように見えた。
「でも、どっちかっていうと今日の空は中級ポーションっぽくない?」
「えっ、中級?」
聞き返すシシィに、リリスは水の入ったグラスをくるくると回しながら答える。
「中級はスッキリしてる薄い空色って感じ。上級はもう少し濃いでしょ」
「リリスちゃんは毎日見てるから分かるのかも~。私も、並べなきゃ違い分からないよ~?」
「そっか……そうかも?」
――ギルドへの納品書だけが、「ポーション(青)」と表記されている。
成分も、中身も、製造者も間違っていない。納品も、確かにされている。
それでも……名前だけが、他の納品先とは違っている。
「……! ごめん、ちょっとメモさせてね!」
急にメモ帳を取り出すシシィに、リリスが少しだけ呆れたような口調で言う。
「そんなに重要な話だった?見分け方くらい、いつでも教えてあげるけど」
「リリスちゃん、多分このメモの速さはそういうやつじゃないと思いますよぉ~?」
「上級ポーション」によく似た「中級ポーション」の存在。
シシィは、胸の奥で何かがカチッと噛み合うような感覚を覚えていた。
もしかしたら――ギルドに納品されているものは、中級ポーションなのかもしれない。
「……すっかり熱中しちゃってるじゃない」
「あっ、ごめん!今メモし終わったよ」
呆れたようなリリスに、シシィは慌てて手帳をポケットにしまった。
「あははっ。私、そろそろ行くね~?さむーい北棟に行かなきゃなんだぁ……」
スープを飲み干したアンナベルタが、ふるふると体を震わせるように立ち上がった。
「北棟って、まぁ確かに涼しいけど……そんなに寒かったかしら」
「うそっ!?あそこ、ぜーったい冷えてるよぉ……!しかも空気が……なんかピリピリするしぃ~……」
ぷるぷると両手を振ってみせるアンナベルタ。
その仕草に、リリスが小さく首を傾げた。
「シシィは?北棟寒くないわけ?」
「ちょっと寒いかなってくらいで……でも、アンナちゃんほどじゃないかも?」
少し考えながら同意したシシィに、アンナベルタは「え~っ!?」と驚いた様子で二人の顔を交互に見る。
「はあぁ~……じゃあ行ってきますぅ……終わったら今日はお風呂先にしようかなぁ」
「終わりが被ったら、一緒にお風呂いこうね!」
「アンナ、あんた身体冷やさないようにしなさいよ!」
とぼとぼと歩くアンナベルタを見送る。
シシィとリリスも、それぞれ次の仕事のために食堂を後にした。
「……ってことがあって。北棟って、やっぱり寒いですかね?」
場所は厨房。朝の仕込みだけでなく、最近はランチ後の片づけも手伝うようになっていたシシィは、食器を拭きながら問いかける。
ちょうど料理人長が様子を見に顔を出したタイミングだった。
「北棟に限らず、王宮内は暑さ寒さなんてほとんど無縁じゃないか!温度調節石があるんだからな」
「温度調節石……そっか、そうでしたね……」
基本的に、王宮の主要な建物には、「温度調節石」と呼ばれる魔道具が設置されている。
室温や湿度を一定に保つ働きを持ち、気候に左右されず快適な環境を維持できる仕組みだ。
もしかして、北棟には設置されていない?あるいは、うまく機能していない……?
「俺はほとんど厨房か食材庫にしかいないがな!」と笑う料理長に笑みを返しながら、シシィは後で北棟へ立ち寄ってみようと思案した。
――厨房での業務を終え、シシィはその足で北棟に向かう。
薄暗く人通りの少ない廊下には、確かにひんやりとした空気が流れていた。
壁際の据え付け棚や装飾品の陰に目を凝らすと、見慣れた青白い光がちらついた。
温度調節石だ。
魔力を蓄えた石が、壁の高い位置に埋め込まれている。
見た目には正常に機能しているように見えた。
なのに……なぜ、この北棟だけが冷えているのだろう?
ゆっくりと歩みを進めながら、シシィは空気の流れに意識を集中する。
廊下の途中、入口から三分の一ほど進んだところで、ぴたりと足が止まった。
明らかに――ここだけ空気が違う。冬の日の寒い朝のような冷気が、肌を刺す。
少し引き返して、また前へ進む。
やはり、ある一点を通るたび、スッと肌を刺す冷気が走るのを感じた。
「……ここだ」
目を凝らすと、壁の装飾に紛れるように、小さな石が埋め込まれていた。
一見すると温度調節石そっくりだが、色味がわずかに違う。
冷気を発しているのは、この石を中心としたごく狭い範囲、たった数歩分だけだ。
「これ、何……?」
届かないと半ば分かっていながらも、シシィはその石に手を伸ばした。
近づけた指先がじんわりと冷える。
シシィは反射的に、魔力を巡らせる――癖のようなものだった。
地元にいた頃、冬場の作業時は、こうすれば霜焼けにならずに済んだからだ。
「……っ!痛っ……!」
その瞬間、シシィは咄嗟に手を引っ込める。
指先から肩口まで、思わず震えるような、痛みにも似た寒さが一気に駆け上がる。
試しにもう一度、何もせずに手を伸ばす。
確かに冷たいが、あの突き刺すような感覚はない。
恐る恐る、指先にほんの少し魔力を巡らせてみる。
「……っ!」
まただ。
何もしないときよりも、魔力を流した時の方がはっきりとした痛みを感じる。
明らかに、魔力の存在に反応して冷たさを増している――。
シシィは息を整えながら、先ほどまでの会話を思い出す。
料理長は「暑さ寒さなんて気にしたことがない」と笑っていた。
リリスは「涼しい」と言い、アンナベルタは「寒い」と震えていた。
そして自分は……その中間。
特別使用人は寒くて、使用人は寒くない。その寒さの程度にも違いがある。
この寒さは、もしかして――。
「……確かめなきゃ」
シシィはそのまま、駆けるようにして書庫へと向かった。
慣れた手つきで棚を探り、定期診断記録の保管箱を引き出す。
特別使用人たちの健康記録。そこには、体調や魔力量が細かく記載されている。
「……ごめんね、リリスちゃん、アンナちゃん……」
静かに呟きながら、該当する書類を取り出す。
年に数回行われる健康診断の記録――その中には、体調や魔力量といった項目が細かく記されている。
リリス・リムドラン。
記録上の魔力量は特別使用人の中では控えめ。平均よりわずかに高い程度。
アンナベルタ・フレイファー。
目を疑うほどの高い数値。上位数%に入るほどの魔力量を持つ。
――私は……。
シシィはページをめくり続け、最後のページに記載された自分自身の記録を確認する。
リリスよりは多く、だがアンナベルタには遠く及ばない。
「やっぱり……魔力量が多ければ多いほど、寒く感じてる」
設置された魔道具は、魔力の強さに反応して冷気を放っている。
この空間を通る者の魔力量を、無言で試すかのような仕掛け。
まるで選別するかのように。
だったら……これは一体、誰に向けた仕掛けなのか?
ギルドに納品されたはずの上級ポーションは、「ポーション(青)」としか記載されておらず、一見すると中級品と区別がつかない状態になっていた。
騎士団の新人を介した、貴重なポーションのあいまいな伝言と受け渡し。
記録にも、どこか不自然な点がある。
整然としているようで、妙に曖昧な納品書。書式の揺れ、押し忘れられた判、あとから書き足したような筆跡。
「王宮」という秩序の象徴であるはずの場所で、わざと物事を曖昧にしておくために――誰かが《意図して整えていない》のではないか、と思えるほど。
わずかな不自然さが、確かに線になって繋がり始めていた。
シシィは静かに、診断記録の箱を元に戻した。
王宮の奥にある闇――それが、ほんの少しだけ姿を見せたような気がしていた。