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第10話

 シシィが王宮へ入ってから、3度目の「星の日」。

 その日の定期報告は、ニコラスの都合により、夜ではなく昼に行われる予定だった。

 本来なら、余裕をもって準備する時間――のはずが、現実は違った。

 

 シシィは全速力でワゴンを押していた。

 お茶道具一式を揺らさないよう注意しながら、滑り込むように曲がり角を駆け抜ける。

 スカートの裾が足に絡まりかけ、慌てて手で払いのけた。

 

 「はあ、はあ……第一応接室、……こっちだよね……!」


 ――朝、その日の仕事を確認していたときのこと。


 「シシィさん、今日の来客のお茶出しお願いね?予定が変わって、第三応接室ですって。間違えないでよ?」


 にっこりと笑って告げてきたのは、同期のヴィオラだった。

 初日の魔力披露では冷ややかな視線を送り、後日は水をかけるという嫌がらせまでしてきた彼女。

 以来、直接嫌がらせをされたことはないものの、どこかシシィを疎んでいるような態度は変わらなかった。

 それでも、優しいところもあるものだ。

 シシィは素直に「ありがとう」と伝え、手帳の予定を書き換えた――その結果が、今だった。

 

 午前中の業務を終えたシシィは、午後の来客に向けてお茶出しの準備を進めていた。

 それが終われば、いよいよニコラスとの定期報告――いろいろと伝えたいことを考えてきたつもりだ。

 応接室の窓から、何気なく外を見やる。

 王宮の正門に、数人の来客らしき人影が見えた。


 冒険者風の軽装に身を包んだ一団。

 今日の来客が、王都の冒険者ギルドの責任者だということは、シシィも事前に聞いていた。


 「……え?」


 違和感が、背筋を冷やした。

 ギルド関係者が、王宮内へ入っていく。

 第三応接室に通されるのであれば、右に曲がるのが最短距離だ。


 胸騒ぎに突き動かされるように、シシィはお茶の準備を放り出して使用人控室へと戻った。

 ドアを開けると、中から人が慌てた様子で飛び出してくる。

 シシィと同じ、来客対応を割り振られている使用人だ。

 シシィを見て目を見開く。


 「なぜここにいるんですか!?第一応接室でしょう!? すぐ準備なさい!」

 「第一応接室、ですか……!?」

 

 衝撃に頭が真っ白になる。

 使用人の肩越しに、スケジュールの張り出されたボードが見えた。

 「第三応接室」の欄は空白。

 「第一応接室」の欄には、はっきりと《王都ギルド来訪》と書かれていた。

 ――予定は、初めから何も変更されていなかったのだ。


 嵌められたのかもしれない。

 じわりと冷や汗が滲んだが……疑っている暇はない。

 

 「……っ、とにかく、急がなきゃ……!」


 シシィは、自分の目でスケジュールを確認していなかったことを悔やみながら、ワゴンを取りに来た道を駆け出した。


 ――何とか間に合った。そう思えたのも、ほんの束の間だった。

 王都ギルドの客人たちはすでに応接室に到着しており、中では軽い談笑が交わされている最中だった。

 ドアをそっと開けて入ると、中にいた使用人のひとりが、シシィの姿を見てほっとしたように頷いた。

 文官らしき担当者もこちらにちらりと目を向け、何も言わず、話に戻る。


 その空気を読み取ったシシィは、息を整える間もなく、お茶の用意に取りかかった。

 滑らかな所作で道具を並べ、湯を注ぐ。

 

 「おお、ありがとう!よぉし、じゃあ失礼して……」

 

 ティーカップを受け取りながら、豪快に笑うひとりの男。席次からして、ギルドの責任者のようだった。

 分厚い手の甲には傷がいくつも走っており、古びた旅装に鍛え上げられた体つき。

 一見すると粗野にも見えるが、カップを傾ける所作には、どこか武人としての品格すら漂っている。

 

 「やっぱり、王宮ともなればお茶ひとつとっても香りが違う。いやァ、実に素晴らしいですなァ!」


 朗らかで豪快な声。

 淹れたての熱いお茶のはずだが、気にする様子もなく、それを一口で飲み干した。

 こちらを振り返る責任者に、シシィも笑顔を返す。隣に控える別の使用人が「はは……」と愛想笑いを浮かべた。

 

 「それにしても……なんだか妙に、体がしゃんとするような気配ですな。巨大な魔力の渦の中にいるようだ」


 責任者は、いたって真面目な顔だった。

 だが、他の冒険者たちは「また始まった」とばかりに笑う。


 「またギルド長の勘ですか。気のせいですよ」

 「王宮の空気だけで元気になれるんですねぇ。僕なんか緊張しちゃって」

 「気のせいとは思えないがなァ……この感じ。王族の皆様方だけじゃなく、特別使用人も、みんな揃って魔力持ちときている」


 シシィはもう1杯お茶を用意した。

 責任者の男の前にある空のカップと取り換えると、シシィを見て、ニッと白い歯を見せて目でお礼を言う。

 

 「ダンジョンの最深部でも、こんなにも揺らぐような圧はそうそう無い。ここが王宮だからよかったものの、もしダンジョンなら……どんな大物が出てくるかと身構えてしまいますなァ!」


 最後には茶目っ気たっぷりに笑い、周囲もつられて笑う。

 まるでギルド責任者は、この王宮に「何か」があることを、直感で見抜いているかのようだった。

 文官はその発言を受け、微笑みながら口を開いた。


 「王宮では、魔力の高い方が多く務めておりますので……本日はご足労いただき、誠にありがとうございます」

 「いやいや!こちらこそ、こうしてお話の場を設けていただけて光栄の極み!今日ご相談したいのは、例のポーションの件でしてなァ」

 「伺っております」

 「というのも、以前お話を聞きましてなァ!王宮で製造しているという上級ポーション、あれは近々ギルドにも回していただけるんでしょう?」


 その言葉に、シシィはほんの一瞬だけ手を止めた。

 確かにリリスは、「王都ギルドにも卸している」と話していたはずだ。

 今の発言からすると――まだ納品はされていないように聞こえる。

 

 王宮産ではなく、他所からの納品を指していたのか。

 もしくは、種類によって流通先が異なるのか。

 それとも、自分がリリスの話を誤解していた……?

 

 いくつもの可能性が頭をよぎり、シシィは思わず窓辺に視線を逸らす。

 雲ひとつない青空。

 差し込む陽光は暖かいはずなのに、胸の奥に小さなざらつきが残った。

 

 「ポーションはいくらあっても困りませんからなァ!ダンジョンだの討伐なんぞに行けば、あっという間に使い切ってしまうもので!」


 そんな豪快な笑い声に背を押されるようにして、シシィはそっと一礼すると、静かに応接室を後にした。

 どうしたものか、と考えながら、長い廊下を歩き出したその時。

 

 ゆっくりとした足音。廊下の先から、いつものように優雅な足取りで歩いてくる姿があった。

 同期の使用人、ヴィオラだった。

 

 何も持っておらず、佇まいからは仕事の気配は感じられない。

 来客用の応接室の前を通るには、あまりにも偶然が過ぎる、そんな距離感。


 すれ違いざま、ヴィオラは一切シシィを見なかった。

 本当に、ただ偶然そこを通りかかっただけのようなそぶり。

 ……けれど、その一瞬。ほんのわずかに、ヴィオラの口角が持ち上がるのを、シシィは見逃さなかった。

 視線は正面を向いたまま、それでも確かに、笑っていた。


 胸の奥がきゅっと縮こまる。

 自分がまだ、王宮のやり方に慣れていないことを、嫌でも思い知らされる。

 すぐにでもニコラスの元へ向かわなければ――定期報告の時間が、もうすぐそこまで迫っていた。

 



 「失礼します」


 扉をノックし、シシィは部屋へと足を踏み入れる。

 中には、書類を手にしたまま立ち上がるニコラスの姿があった。

 

 「お疲れさま。……仕事は終わった? こちらの都合で昼に時間を変えてもらったし、少しくらい遅れても構わなかったのに」


 そう言いながら、ニコラスはシシィの様子をさりげなく目で追う。

 隠しているつもりの息切れ、やや乱れた制服のエプロン。

 走ってきたのは明らかだった。


 「いえ、大丈夫です。ギリギリになってしまってすみません」


 ポーションに関する違和感、ヴィオラとのすれ違い。

 シシィはここ1時間の出来事と息切れを、なんとか笑顔を作って押し込める。

 ニコラスは黙ってその表情を眺めた。

 

 「……いろいろと、気になることがあって。まずは報告からいきますね」

 「じゃあ、こちらへ」

 

 ニコラスは椅子をシシィに勧め、同じように自分もいつもの椅子へ腰かけた。

 その目はいつも通り落ち着いていたが、ほんのわずかに何かを待つような色が宿っていた。


 「まずは書類整理です。先日報告した通り、魔道具リストの現物照合に加えて、棚卸表なども確認しています。ただ……はっきりと怪しい、とは言えない内容ばかりで」


 そう前置きしながら、シシィは持参した控えの書類を広げた。


 「たとえばこれ。過去のポーション出庫記録なんですが、いくつかの月で数値の不一致が見られました。でも、その直後には“訂正済”として再提出された記録もあって……単なる記入ミスとも取れるんです」


 ニコラスは静かに書類を受け取り、数行を目で追いながら頷く。


 「……確かに。これだけでは証拠にはならないな」

 「はい。もう少し洗い出してみます」

 「うん。目のつけどころはいいと思う。無理せず、でも……続けてみて」

 

 その一言に、シシィの表情がふっと和らぐ。

 息をついたあと、小さく頷きながら、広げた書類を整え始めた。

 その横顔には、わずかな疲れが滲んでいる。

 けれど同時に、やり遂げようとする意志の強さも、そこにはあった。


 「それから……ついさっき、王都ギルドの関係者の方がいらして。お茶出しを担当したんですが、気になることを言っていたんです」

 「王都ギルド?そういえば今日だったね」


 ニコラスは記憶をたどるように目を伏せ、再びシシィに視線を戻す。

 

 「はい。王宮で製造している上級ポーションのことをご存じだったようで……近々、ギルドにも卸してもらえるのかと話していたんですが」

 「ふむ」

 「先日手伝った時、友達は《王都ギルド・病院・王宮騎士団》に卸しているって言っていたと思うんです」

 「……それは、気になるな」


 淡いターコイズの瞳が、また下を向く。

 開け放たれた窓から吹き込む風が、ふたりの髪と書類を揺らす。

 

 「はい。……さっきのことなので、まだ何も確かめられていないんです。もしかしたら、私の聞き間違いかもしれません」

 「いや、覚えていたなら、きっと間違ってはいないよ」


 ニコラスは穏やかに言った。

 言葉の端ににじむのは、“信頼”という名の肯定だった。

 

 「王宮騎士団は、当てがあるので聞いてみます」


 シシィの脳裏に、黒髪の幼馴染――テオスカーの顔がよぎる。

 様子や使用数を尋ねることはできても、納品書や管理個数となると、もう少し踏み込む必要があるだろう……と、思考が回る。

 

 「俺のほうでも見ておくといいたいところなんだけど。できれば見ておくよ」

 「いえっ。ありがとうございます。……いい報告ができるように、頑張ります」


 シシィは一度立ちかけた腰を、ふと止めた。


 「あ……そうだ、もうひとつだけ」

 

 思い出したように手帳を開き、ポケットに挟んでいた一枚の紙を取り出す。

 薄く、黄ばんでいる紙。

 そこには複雑な線が絡み合う、まるで魔術陣のような図が描かれていた。


 「2週間ほど前、薬草庫の整理をしていたとき……棚の奥に落ちていたものです」

 「薬草庫……?」

 

 リリスとアンナベルタと、三人で薬倉庫の整理をしたあの日に拾った謎の紙。

 ニコラスは紙を受け取り、じっと目を通した。

 不規則に交差する線。細かく書き込まれた注釈のような走り書き。

 そして、全体に漂う、どこか古い時代の雰囲気。

 

 「……設計図……のようにも見えるが……」

 「私も、何なのか分からなくて……。ただの落書きかもしれないんですが、なぜか捨てづらくて」

 「正直、これが何を表しているのかは分からない。だが、気になる。……一旦、俺が預かっておくよ」

 「はい。お願いします」


 指先で紙の端をなぞるニコラスの仕草は、どこか慎重で――緊張をはらんでいるようにも見えた。

 何かに触れたときの、直感のようなものを確かめるように。


 「何か分かったら、すぐに知らせる。約束するよ」

 「……はい。じゃあ、これで失礼します」


 改めて立ち上がったシシィに、ニコラスが声をかけた。


 「あー待って。ちょっとこっち来て」


 唐突にかけられた言葉に、シシィは一瞬きょとんとする。

 ニコラスは既に立ち上がり、執務室の奥へと歩き出していた。


 「……えっ?」


 小さな扉を開くと、外に続く通路が現れる。

 その先に広がっていたのは――四方を高い石壁に囲まれた、小さな中庭だった。

 手入れされた草花に彩られた小さな庭は、部屋の主の息抜き用か、ベンチも設置されている。

 静かで、どこか涼やかな空気が満ちていた。

 

 「お庭があるんですか?綺麗ですね……」

 「そ。俺専用のね。……最近ちょっと疲れてるだろ。顔に出てる」

 「えっ……あ、いえっ、そんなことは……!」


 慌てて否定するシシィに、ニコラスはふっと口元をゆるめた。


 「まあ、働かせてるのは俺なんだけど」


 冗談めかした軽い言い方に、シシィは言葉を詰まらせる。

 それでもニコラスは手を伸ばしてベンチの背を軽く叩く。


 「少し、休んでけ。命令だ」


 強い言葉だが、その声は柔らかい。

 気遣いだということは、シシィも分かっていた。

 

 「恐縮です……でも、まだやることが……」

 「そのやることで押しつぶされる前に、休むのも大切だから」


 珍しく遮るようなニコラスの言葉に、シシィは思わず動きを止めた。

 思えば今日だけでも、ポーションの齟齬、ヴィオラの言葉、謎の紙。

 ひとつひとつは小さくても、積み重なれば心のどこかに澱が溜まる。

 純粋な仕事の物量もそうだが、いろんなことを疑いすぎて気疲れしている部分もあった。


 「……ありがとうございます。すぐ戻りますので……!」


 シシィはおずおずとベンチに腰かけた。背もたれにもたれ、深く息を吐く。

 あたたかな日差しと、やさしい風。

 せわしなかった心が、ほんの少し、ほどけていく。


 ニコラスは扉の前で一度だけ振り返り、ベンチに腰を下ろしたシシィを見やった。

 どこか力の抜けた表情で、そっと目を閉じている。

 庭に咲いた白い小花が、風に揺れていた。


 「……補佐役に倒れられたら困るからね」


 その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただそこにある静けさへ溶けていった。

 

 自分の命令で働いている、補佐役への労い。それ以上でも、それ以下でもない。

 ニコラスは静かに扉を押す。扉が閉まる直前、目はほんの少しだけ、シシィの姿を捉えたままだった。

 



 ――書類の束と睨めっこをしていたニコラスが、ふう、と疲れたように息を吐く。

 眉間を押さえながら立ち上がり、伸びをひとつ。

 視線を窓の向こうへやると、夜の気配がじわじわと忍び込んできていた。

 夜の予定の身支度をする前に、ちょっとだけ、外の空気でも吸おうか――そう思って、庭への扉に向かおうとしたときだった。


 「……そういえば、帰ってないよな?」


 扉を開けると、昼間と殆ど変わらない姿勢のシシィがいた。

 ベンチに腰をかけたまま、小さく体を丸め、かすかに寝息を立てていた。

 

 その顔は、王宮内で見せるような張りつめたものではなくて。

 どこか無防備で、年相応に見えた。

 ニコラスはひとつため息をつくと、ベンチのそばまで歩いて、軽く肩を叩いた。


 「さすがに、寮のベッドの方が寝心地いいと思うけど?」

 

 シシィはぴくりと肩を震わせ、慌てて姿勢を正した。

 

 「ぁ……す、すみませんっ、寝て……ません……!」

 

 風で乱れた前髪を手で直しながら、シシィは慌てて言い訳する。

 自分でも無理があると思っていたが――案の定、ニコラスの目は「それで通ると思ってるの?」とでも言いたげだった。


 「……説得力ゼロだね?」


 そう言いながら、ニコラスはベンチの背に手をかける。呆れと笑みが混ざった声。

 シシィは赤くなった顔を隠しながら、勢いよく立ち上がり、深く頭を下げた。


 「すみません……思いっきり寝ちゃってました……」

 「ま、休憩になったならよかったけどね」


 シシィは何度もぺこぺこと頭を下げながら、扉の方へと駆け出した。


 「失礼します!」


 庭へ通じる扉が閉まる音、そして室内の扉が閉まる音に、駆けていく足音。

 静寂に包まれたからも、ニコラスはしばらくその場に立ち尽くしていた。


 「……気を張ってばかりじゃ、持たないよね」


 ぽつりと独りごちる。

 背後で揺れる草花の音が、静かに夜の空気に溶けていった。




 「……やっちゃった……!寝落ちしちゃった……!」


 ニコラス専用の中庭をあとにしたシシィは、頬を赤くしながら早足で廊下を進んだ。

 定期報告は終えても、まだ今日の予定は残っている。

 廊下の角を曲がったところで、丁度リリスが現れる。備品入れを抱え、きびきびと歩いていた。

 

 「あ~っ……!リリスちゃん……!」


 呼び止めると、足を止めたリリスが眉をひそめながら振り返った。


 「シシィ?なによ、変な声出して」

 「丁度聞きたいことがあったんだ……!この間作ったポーションって、誰がどうやって納品しているのかなって……」


 シシィの問いに、リリスはほんの一瞬だけ眉をひそめた。


 「はあ?また妙なことが気になるのね……」

 「あの、雑務係としての確認で……!流通の流れとか、知っておいたほうがいいかなーって思って!」


 本当はやましいことなんてない。

 それでも、リリスやその職場の人達を疑っているようで、どこかで後ろめたさを感じてしまい、シシィは慌てて手を振った。

 リリスはじっとその様子を見て、ため息をつく。


 「……あたしたちがやってるのは、あくまで中身を作って、指定された場所へ運ぶこと。瓶に詰めて、納品箱に入れたらおしまい」

 「この間、私が補助に入ったところまで……ってこと?」

 「そうよ。そこから先の配送は、別部署の人たちの仕事」


 「これで満足?」と言いたげな顔で、リリスはシシィに視線を投げる。

 

 「そっか……!ありがとう。分かった!」

 「まったく……寝すぎた時というか、疲れている時みたいな……どっちつかずな顔してる。休んでるんでしょうね?」

 「休んでるよ。むしろお察しの通り、今はちょっと寝ぼけてるっていうか……」

 

 シシィの気まずそうな様子に、リリスは「何それ」と呆れたように笑い返した。


 「……その様子じゃ、今日は夕飯食べられなさそうね」


 ふいに落とされたリリスの言葉は、どこかぽつんとした響きを帯びていた。

 肩をすくめるような仕草で誤魔化しているが、目は少しだけ、寂しげに細められている。

 立ち去ろうとしていたシシィは、その表情を見て思わず立ち止まった。

 

 「また、みんなで食べようね!……アンナちゃんにも、伝えておいて?」

 「っ!?は、はぁ!?別に一緒に食べようなんて、言ってないわよ!ていうか離して!備品落ちちゃうしっ!」


 「じゃあね!」と叫んで去っていくシシィにぶつぶつ言いながらも、リリスの足取りはさっきよりもほんの少し軽やかで。

 その頬には、本人ですら気づかない程の、わずかな笑みが浮かんでいた。




 ――リリスと別れたあと、シシィは再び足を速めた。

 すっかり昼寝してしまった分、少しでも取り戻さなければと、手帳を開きながら確認事項に目を通していく。

 廊下を曲がった先、ちょうどすれ違ったのは、騎士団の制服を着たテオスカーだった。


 「あっ、テオスカー!」

 「ん、シシィ?また走って……元気だな」


 やや呆れたような笑みを浮かべながらも、その目はほんの少し、柔らかく細められていた。

 遅れを取り戻そうと駆け回るシシィの前に、まるで気遣うように、気になることの糸口を持つ人たちが次々と現れる。

 ――そんな偶然に、シシィは小さく息を整えて、問いかけの言葉を探した。


 「……なんか、今日は気になる人が順番に出てくる日だなぁ」


 ぽつりとこぼすようなその一言に、テオスカーの足がぴたりと止まった。


 「誰と会ってたんだ?」


 何気ないふうを装って問い返すその声には、どこか探るような響きが混ざっていた。

 それには気づかず、シシィは嬉しそうに顔を上げる。

 

 「ポーションについて、リリスちゃんに聞きたかったんだけどね!ついさっきそこで会えたんだ」


 ぱっと花が咲くように、無邪気にそう告げる。

 その笑顔を見た瞬間、テオスカーの頬には自然と柔らかな笑みが浮かんだ。

 だが、その目の奥に一瞬だけ影が射したことに、本人は気づいていない。

 ――いや、認めたくなかったのかもしれない。


 「……ガイルハルトさんの妹か」


 ぽつりとこぼれた言葉。

 シシィはそれに気づく様子もなく、いつもの調子で続けた。


 「丁度テオスカーにも聞きたいことがあって。ポーションの管理って、騎士団ではどうしてるの?」

 

 問いかけに、テオスカーは少し首を傾げる。


 「ポーションの補充は、基本的に上の指示で補給係が倉庫から持ってきてる。持ち出し簿に書けばある程度自由に使えるし、厳密に個数を管理してるわけでもないな」

 「なるほど……。どのポーションもそうなの?」

 「中級までだな。さすがに上級ポーションともなれば上の許可がいる」


 シシィは顎に手を当て、考え込む。

 前髪の隙間から覗いた額に、かすかに皺が寄っていた。

 その仕草を見て、テオスカーが「なら」と軽く手を上げる。

 

 「倉庫、見に行くか?そんなに遠くないし」

 「いいのっ!?ありがとう、テオ!」


 顔をぱっと上げたシシィに合わせて、耳の後ろで結んだふたつの髪がふわりと揺れる。

 それを横目に見ながら、テオスカーは静かに歩き出した。


 ――倉庫内。

 薄暗く、ひんやりとした石造りの部屋。

 テオスカーが灯りをともすと、棚いっぱいに並ぶ色とりどりのポーションが浮かび上がった。


 「最近は大規模な遠征もなければ、大怪我をした奴もいないはずだけど。これが持ち出し簿」

 「ありがとう。失礼するね……」


 シシィは簿冊を受け取り、ぱらぱらと手早く捲った。

 記載されているのは、大体が同じ上長の名前。見覚えのある騎士団幹部の名も混じっている。

 一見、怪しいところはなさそうだ。

 少し違う名前が並んでいれば、テオスカーも「それは遠征だな」「こっちは訓練でケガした奴だ」と、情報を教えてくれた。

 

 「一応、納品書もここに入ってる。見るか?」


 棚の上から箱を取り出したテオスカー。シシィは礼を言い、箱を覗き込む。

 雑多に紙が入っている状態で、お世辞にも整頓されているとはいえない。

 そのうえ……納品書と持ち出し簿、個数管理表のすべてを一から突き合わせなくてはならない。

 王宮騎士団の倉庫という、いわば余所の領域でこれ以上深追いするのは気が引けたシシィは、そっと紙束を箱に戻した。

 

 「ありがとう。ちょっと上級ポーション絡みで気になることがあったんだけど、そう簡単には分かんなかった」

 

 顔を上げたシシィは、小さく肩をすくめて照れ笑いを浮かべた。

 その笑顔は、さっきまでの表情よりもずっと自然で、テオスカーはつられるように目元を和らげる。

 

 だが同時に、力になれなかったことへの小さなもどかしさが残った。

 何かヒントはないか。

 テオスカーが入口に視線をやると、廊下を歩いていた騎士団員が、二人の姿に気づいて足を止めた。


 「あれ?テオスカー、こんなところに珍しいな?」

 「ああ。ポーションの管理についてちょっと調べていて」


 興味をひかれた様子の団員は、自然と倉庫の中へ入ってきて、ぐるりとポーション棚を見渡した。

 

 「ポーションなぁ。この間適当に持ち出したやつがいたから、今監視が厳しくなっているんだよなー」

 「それ、詳しく聞いてもいいですか?」

 

 不意に身を乗り出してきたシシィに、団員は少し驚いたように目を瞬かせる。

 「まあ、別に面白い話じゃないけど」と肩をすくめた。

 

 「この間、うちの隊の新入りが、勝手に上級ポーションを持ちだして、王付きの従者に渡したんだよ」


 シシィとテオスカーは思わず顔を見合わせる。

 団員は淡々と続きを語った。


 「途中でポーションの個数が合わないって騒ぎになって、全員で帳簿洗ってったら、新入りが『頼まれて持ってった』って言い出したんだよ」

 「王付きの従者に……」

 「そう。新人に声かけたのは、他の隊の奴らしいんだけど……そいつも、『別の使用人に頼まれて』ってさ。要は伝言ゲームみたいな状態」


 シシィは慌てて手帳を開き、走るようにメモをとる。

 これは――大きなヒントになるんじゃないかという予感がしていた。

 

 「つまり、誰が最初に頼んだのか分からないってことか」

 「そうなんだよ。完全に人伝い。何人か辿ったけどはっきりしないんだよな。結局、その新入りも処分にはならなかったけど、しばらく監視対象って感じになってるよ」


 ひんやりとした空気が、倉庫内に立ち込めるようだった。

 無言のまま手帳を睨みつけるシシィ。

 テオスカーが声をかけようとしたその瞬間、シシィがバッと顔を上げる。

 

 「……お話、聞かせてくださってありがとうございます。テオスカーも、連れてきてくれてありがとう!」


 シシィは団員に頭を下げる。

 顔を上げたときには、その目にしっかりとした光が宿っていた。

 

 その表情を見て、団員は「?まぁ、気にすんな」と照れたように笑った。

 シシィは、弾き出されるようにして倉庫を飛び出す。次の目的地へ向かって。

 

 ――その背中、何をそんなに背負ってるんだか。

 追いかけることもできず、後ろ姿を見送りながら、テオスカーはほんの一瞬だけ口元を引き結んだ。

 

「今の、新しい特別使用人?雑務係の子だよな。結構かわいくない?」


 ぽつりと呟いた団員の声が、静かな倉庫に落ちた、その直後――。


 ゴンッ!


 「痛って!?おい、なんだよ急に!」

 「雑務係じゃなくて、シシィだ」


 即座にそう返したテオスカーの声は、隠すつもりもない苛立ちがにじんでいた。

 

 「何!?今のマジトーン……?情緒不安定すぎだろ!?」

 「うるさい。余計なこと言うな。それと今後一切、シシィのことは見るな。忘れろ」

 「ひっど!普段は使用人の子たちからモテてるくせに!」

 「そういう話をしてんじゃねーっての……!」


 そう言いながら、団員の頭を軽くどつくテオスカーの表情は、どこかむすっとしている。

 密命も、各人の感情も――何かが少しずつ、表に現れ始めている気がした。

 

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